女性化する世界と安全保障という男性的課題~2019年を迎えて~

2019-01-05 16:19:06 | 宗教或いは人生論

ここ最近の私の所感を述べたいと思う。

2000年代からは、占星術において水瓶座の時代、アクエリアスの時代と言われている。
この時代は、女性性の時代と呼ばれている。世間を見渡せば、女性性がこの社会を
覆いだしていることは、随所に現れている。
例を言えば、LGBTの権利の話題が常に巷間に流布されていること、パワハラ・セクハラという
言葉が強化され、かつての男性的な制御の仕組みの解体が行われていること
男が女化した芸能人に共感性と親和性が強くなっているようなことだ。
また、スポ根的な積み上げ式の精神論、根性論、私はこれは、男性的な劣等感克服プロセスであり、
成男的なイニシエーションだと思うのだが、これらのことへの価値感が弱まっていると感じる。
EXILEではなく、DAPUMPであり、格闘技よりもコミケのイベントの集客性が強まっている。
これらは、見えない世界での神替わりがおこなれたものだと私は理解をしている。

私自身としては、1900年代に生まれて、劣等感を叩きつけられた生き方を強いられてため、
私自身が歪められた生き方をせざるを得ない個人史があったため、それは今も苦しめては
いるのだが、昨今の社会の変化は、私にとっては優しいものだ。
私は、元々、女性性が強い人間なので、がんばるとか乗り越えるだとか、そういう直線的な
指向性よりも、肌触りだとか、耳優しいだとか、今の状態がどうであるというほうが居心地が
良い人間だ。

しかしながら、私は男でもあるので、感じているのだ。
この日本の安全保障については、地震以上に危惧をしている。
我が国は、アメリカが国力を失ったときアメリカが我々の国を見捨てたとき、
我々は、あっさりと中国に侵略されていると思う。
アメリカの危機は、いつ何が起こってもおかしくないと思う。つまりアメリカ自国の崩壊は
現在において想像することは難しいが、アメリカにとっての東アジアの安全保障の優先度が
低くなる可能性は、当たり前にあり得る。
我々の自衛隊の武器制御システムは、全てアメリカの制御下にあるので、アメリカに見捨て
られたとき、その武器は機能しなくなる。機能したとしても、中国の軍備には既に追いつけない。
私は、中国に侵略される可能性を考えることは当たり前のことだと考えている。

しかしながら、女性化する世界だ。
女性性は、安全保障のことを考えられない。
守るためには、攻めなければならない。
ボクシングを見れば、それはよくわかる。ガードばかりしているボクサーは
やがてガードを外されて、カウンターを食らう。

女性性は、安全保障のことを考えれないのだ。
株式市況を考えるとき、ファウンドメンタルが大事だという。
基礎状況のことだと思う。
国力は、経済力と軍事力と外交力が基礎にないと国の屋台骨は担えない。
それ以外の国の在り方は、残念ながら有史以来、存在できなかった。
我々の女性性があり得るのは、私たちが現在が平和であるからだ。

私自身としての精神の在り方としては、
ファウンドメンタルでは、男性性を柱とし、活動は女性性でありたいと思う。

 

 

 

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憂国

2018-09-30 19:30:10 | 小説

わたしたちのお国は

「imagine」がおもいえがいた世界が

となり近所まで近づいてきたよ

国どおしの国境はなくなってきたし

男と女の違いもなくなってきたし

それぞれの違いのある考え方を尊重するようになったし

みんな兄弟のように、仲間を傷つけないように

注意して、注意しているよ

それなりに腹いっぱい食べれるしね

 

あああ、あああ、

なんかつまんない

あああ、あああ、

夢か幻か

あああ、あああ、

これ大丈夫なの?

 

僕たちは、他のお国の人たちから

夢想家だと言われていないか?

僕たちは、夢を見つづけたおかげで

覚めたときに

あなたの世界は、そこにあるのだろうか

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帰り道

2018-06-23 20:26:13 | 
 
口ずさむ唄もなく
寝転べるベンチもない
道草もできなくて
依るべき仲間もない
 
空は広く遠くに山はある
 
幾人もの悪人に騙されて
いいように使われて
帰り道 泣き濡れて
花を買う慰みなど失せ
胃に悪いベトついたホットドッグを
買ってしまう
 
知らない国の外人の眼光鋭く
馴染んだ街の求人は今日も暗い
 
帰り道
一人で入る盛り場は自動ドアの
空しき開閉
エレベーターの空しき開閉
冷めてしまいそのまま入れない
 
さようなら、誰に言えるだろう
でも さようならといいたくなるんだ
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「万引き家族」を見にいった

2018-06-04 17:32:29 | アート

※本文は、万引き家族の内容部分に触れているので、知りたくない方はご注意ください。

 

「万引き家族」を見にいった。とにかくすばらしかった。各メディアや個人のSNS発信等では役者の賛辞を多く見るが、
その役者の賛辞によって作品の本質についての議論が隠れてしまっている気がする。
そのため、役者の賛辞は他の人に行ってもらうことにして、私はこの作品のテーマや問題性、
あるいは日本社会の深層との関わりについて評論をしてみたいと思う。

 この作品は、失われた「家族」を疑似的に「家族ごっこ」として回復を試みたが、
早々に破綻してしまう物語だ。その「家族ごっこ」を破綻させたのはにか?
それは、単純に経済活動を継続できなかったためだった。
家族ぐるみで万引きをしたら、それは早々に捕まるだろう。
この物語では、仮のおばあさんが死ぬことで、死亡届けを出さずに年金受給を継続させる
ことで不労所得を得た途端に、浮かれる仮の両親の浮き足に違和感を抱いた仮の息子が
自らから捕まりにいった。仮の妹にまで万引きに手を染めさせることに、
仮の兄ちゃんは違和感を覚えた。ある意味、お金が無いことで万引きをせざるを得ないと
了解していた少年は、不労所得でお金を得ている状況で、万引きをし続けることに
正当性を見いだせなかったのだ。ここには親の在り方を子供自身が疑っている
姿が浮き彫りになっている。仮の両親は親になれなかった悲しみをそれぞれ後半に訴えていた。
一方で本当の血のつながった親は、親らしいと言われていた愛情を与えられず、
本当の親のところに子供は帰されても子供は取り残され孤独の闇に入っていく。

この映画では、様々なパラドクスがある。仮の両親が仕事を失った。
そのとき家庭内の安寧が生まれている。もっともなことで労働という人間阻害の
現場から離れることで人間性が回復してしまうというパラドックスが発生していた。
一方で経済性と社会性を保っている家庭が家庭の豊かさを保てなくなっているのだ。
保てない側の私たちは、この映画上での家族を羨ましい眼でみてしまう。

 

私は、個人的に是枝監督の作品は、好きになれなかった。「誰も知らない」を見て、
観客に感情を受け渡しっぱなしの姿勢に作家性の希薄さを感じていた。
しかし今回の作品は、明らかに是枝氏のパッションがあり、怒りと葛藤があった。
作家としてのパッションがなければ観客は、どこに共感していいかわからないではないか。
勝手な話しだか、この万引き家族で、これまでの誰も知らない等の作品が、
万引き家族の伏線として捉えることができた。ある意味、この万引き家族は、
現代版のチャップリンのキッドなのだ。捨てられた子供を、仕方なくも面倒を見ていくことで、
愛情が染み込んでいく。それは、我々の当たり前にあった愛情という気持ちを取り戻す人間活動なのだが、
それが経済性の困窮によって、取り戻せない悲劇的な状態を現している。
我々がかつてあった愛情に関する人間活動は、FaceBook 的な愛情ごっこではなく、
肌すり合わせる極めて土着的な愛情だったということを徹底的に描いている映画だった。

しかしその活動は、万引きでもしなければ、保てないほど切羽つまっていた。
見渡せば、20年以上デフレの状態である我々の現実生活は、経済の困窮という映画上での
状況は、決して絵空事ではない。
この映画では、万引きというリスクを取ってまで家族ごっこを真剣に行っていたので、
この映画に感動できるだが、我々は経済活動を成り立たせるために、どれだけの人間的な活動を
置き去りにしてしまっているかを思い知るべきだ。
置き去りにされているものは、人間的な愛情表現であったり、人間同士の接触だったり、
世代間の触れ合いなのだろう。
カンヌ受賞は重要な要素だが、
それよりも、この映画から喚起される私たちの生活そのものを見つめることが大事だ。
映画として見ないほうがいいとさえ思った。

 

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Believe で知られるcherは素晴らしい =cher宇宙人説=

2018-02-03 22:00:08 | 小説

Believe - cher (subtitulado)


なにかなんの作用かわからないけど、cherのBelieveが聞きたくなって、
Youtubeで再生したらcherに魅了されて止まらなくなった

まず、cherのことを甚だしく私は勘違いしていた
男だと思っていた。なので、ド派手な恰好をしているドラッククイーンが
芸術的な才能を活かしてアーティスト活動をしていると思っていた
声の様子が野太く強いため、おかまさんが出す声の系統だ

なのだが、調べていくうちに女性だということがわかった
実は、それで少しがっかりしたくらいだ

私にとってcherの魅力は、両性具有性だ
男とも女とも思えない超越性をとても感じる
しかも、この曲が出たときは、すでにcherは50歳代らしい
それまでのキャリアも輝かしい


cherは、女性性の美しさをとても大事にしているようだ
外見も恐らく整形をしていると思えるし
内面もとてもエレガンスに思える


しかし、私にはcherの本質は、性の現れにはなくて、
その魂が、女性というドレスを着て存分に楽しんでいるように見える。

この人が歌う姿は、たまらなく光に満ちた愛を感じる
次元の違う愛だ。普通ではない

何か、この人は人間であることを楽しんでいるように見える
宇宙人が人間の真似をして遊んでいるように見えるのだ

こんな人は日本人では見たこともない。
あちらの人は、たまにとんでもない人がいるもんだ


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