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ARTな日々

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確率論から離れる

2015-08-09 13:06:25 | 哲学

六つの目のサイコロを振ったとき
一がでる確率は、6分の一だろう
しかし、一になにかしらの重りを入れたら
ぐっと一がでる確率は上がる

不確定な未来に対して、想定される状況を
確率論で考えることに、人間の不安が始まる
不安な危機的な状況を避けるために
不安な状況を下がるための施策を
己の力で行う。それによって不安な状況に
陥る確率を下げると信じている

ここには、未来という不確定要素は、
未来の状況というのがなんの因果によって
招来するのかが未知であるという
断定的な科学的な決定事項があるため、
不確定な未来は、自らの働きかけで
開いていかなければならないという
唯物論なのだ。

しかしながら、人々はお守りを買うし
パワースポットにいく
もしかしたらという想いでとりあえずやってみる
くらいのものらしい。
中には、そのような根拠が示せない
まじないものを信じているのに、
惨めな姿をしている占い師を見るにつれ
憐れみの目で見、自らの唯物論者である確信を
深めているのが現代人というものだ

しかし、ものごとの姿や、人の人生を
自分のみならず、回りの人間、または過去の人たちの
姿をよく見ると、どうにも確率論だけで説明することは
難しい。
自分自身の未来についてもだ。

よくある引き寄せの法則だけでも説明も
しづらい。
また、同じ状況でも考え方を変えるという
ものごとの捉え方だけでも説明はしづらい。

今感じていることは、確率論であることを
信じていることを手放すこと
引き寄せの法則も手放すこと
考え方を変える法則も手放すこと

それをおこなってみたいとおもっている
その先に何かを期待することも違うのだろう
もちろん恐れることも違う

次々と起こってくることに
対して、素直に反応し、
私という現象があるがままに
振舞うことを祝福したいと思っている

あるがままということが大事なのだと思う
確率論によって、しばられ、あるがままにある姿を
しばってはいけない

あるがままを現代人は信頼しないのだ
やはり自然というのをコントロールするものだという
西欧思想に侵されているのだ

勇気をもって、あるがままになろう
明日、米を食べれないということが
明日の私のあるがままならば
それも良い
私は、あるがままでないことが
どれほど苦しいことかと感じている

力を入れず、あるがままでありたい


一つあることは二つある

2015-07-29 22:18:30 | 哲学

一つあることは二つある

生きるがあれば死ぬがある
二つある
月があれば、月がないがある
二つある
歌を唄うがあれば歌を唄わないがある
二つある
私があることは、私がないこと
二つある

あればないことが生まれる

ないからはあるは生まれない

あるとない
あるとない

なんだろう


苦の哲学

2014-07-09 01:11:51 | 哲学

苦は、何かの外的な状況に遭遇したときに、
表われてくるもののようが、
実態は違う。
苦は既に身体の中に存在しており、
きっかけにより、表に出るだけなのだ。
己の苦に出会わないように
外的な状況と苦が結びつくようにならぬよう
人は、それに専念する
しかし苦は、スカートの裾から出る蛇のように
首を出している。
首を出した蛇が暴れ回らぬように
人は自らの蛇を飼い馴らす

人はそれぞれの苦を飼っており
様々な奇怪な表情を出している
あなたの化け物はあなただけのものなので
誰もあなたの化け物を飼い馴らすことは
できない
あなたにしかできない
また、あなたの苦はあなたばかりのものなので、
あなたの苦はわからない

己の苦に向き合わざるを得ないとき
絶望的な戦いに耐えられるだろうか
この汚臭や化け物の容態に
我慢できるのだろうか

そして、一体、誰がこんな
戦いを望んでいるのだろう
それを運命と呼ぶべきか