ARTな日々

ART制作・映像作成してます→HP

正直を申せば

2005-12-28 08:56:14 | Weblog
正直を申せば、創作欲が薄れているのかもしれない
というよりも、美術に対する創作力が薄れているのかもしれない
原因は簡単で、女の人と付き合っているからだ
よく、恋愛をするとそればかりにかかりっきりになることを、
つまらないようなことを聞く。他のことが疎かになって、
ただそれにすがっているようなイメージを言っているのかもしれない
私はそれに対して開き直れば、もしもそういうことがあるとしたなら、
それだってやってみればいいと思っている。私がダメになる具合なんて
たがが知れている。おそらく世間的なダメになっても、すぐに通常の人間
に戻れるだろう。
昨日、感動を喰って人間は育っていくといった。その意味で、女の人と
付き合うことは感動がものすごくたくさんある。だから、私は、美術を
していなくても、あせらないのかもしれない。目の前の感動、今しかない
感動を見逃す訳がない。今はこれをしたいのだ。
美術は美術でしかないが、私はやめられる訳がなく、また興味が薄れることも
なくずっとやっていくだろうという感覚があるので、いまさらジタバタしない。
そのうちやるよ。
でも、逆に今は美術をあんまりやっていなかったので、またやりたくなった。
美術熱をつけるには、足を使わなければならない。頭からではなく素材から、
完成品からではなく、面白いとおもったもの、手軽なものから、またチョコ
チョコやろうかな、今は缶が欲しい。同時に2作を並行して作ることも私はできるのだ
やるか

我が何故に

2005-12-27 21:36:46 | Weblog
人間は恵まれぬことが、恵まれることであるのだろう
ないところからしか、あることを見つめられない
ないからこそ、あることに夢見る
いつまでも続く辛苦の闇夜に見る朝焼けと
夜の来ない朝の太陽では、
光への歓喜へと、というよりも、
この心の歓喜に入れない
とすると、人間は感動をするために生まれてきたのかもしれない
朝焼けが何色だろうと、春の息吹がどんな匂いだろうと、
それよりも、この心を揺さぶること
その大きさを味わい、震わし、共に生成していく
感動こそ、おおいなる食物なのだ
ならば、感動をおおいに味わうには
腹を空かせなければならない
だとしたら?
恵まれた人間というのは
結局、
感動を喰うことがあまり出来にくい
育ちにくいのだろう

大人になるとは、

2005-12-19 14:25:32 | Weblog
大人になるとはどういうことだろう
大人になることは、なんかつまらない人になるみたいに
なっているけど、本当はそんな意味じゃなかった気がする
大人になるとは、大きな人になるということだったんだとおもう
大人になろうとしたときに、大人を見て、こんな大人ならならなくてもいいと
どれだけの子どもがおもったことだろうか
だから、子どもはいつまでたっても子どもで、
大人になろうしないのに、体と年齢や性ばかりが大人になっていて
その子どもはまた、そんな大人にはならなくていいとおもってしまう

でも、わたしは大人になろうとおもう
大きな人になろうとおもう
子どもが、なりたいように思われる大きな人になりたいとおもう

油絵を描いている

2005-12-12 02:53:56 | Weblog
油絵を描いている。油絵の穴というものがありそうだ
時間軸で生きている人間は、
積み重ねるということに、とても興味がる
しかし、その積み重ねるという癖がつきすぎると
一瞬を見逃しがちになる

油絵は確かに面白いが、積み減らすことが大事な
人生において、積み重ねる作業をする油絵は、
非常に注意が必要だろう。

ファッションデザイナーが着る服が売ってないから
自分で作ったように、
体験したい絵がないから、絵を描くように
油絵をしていきたい
なぜなら、油絵はあまりにも描かれすぎた
だから、どの油絵も私は改めて見たいとも想わない
そして、自分でも自分の描いた油絵は見たいとも想わない
ならば、わたしが見てみたい、油絵はなんだろうか?
タブローという言葉には、どうも近代の個室から生まれた
狭さを感じて仕方ない。
実際、今描いている絵もその狭さに閉じこもっている

どうもこれからは、屋外に出て、創るということが
ものすごく大事になってきているような気がして仕方ない
野外制作かあ、空の天井の下での制作
そうじゃなきゃ、あの縄文土器はできなかっただろうなあ、

私の告白について

2005-12-12 01:55:07 | Weblog
私の告白は、目の前にいる人に
正直に勇気をもって、
ひるまず、自分を超えて
していこうと
敢えて、敢えてと
やってきた
それを自分はさらけだし道と名前をつけて
やってきた
これからも、さらけだし道の道を
まっしぐらにやっていくが、
さらけだす場所というのが、
変わってきた
そして、そのさらけだしというのは
本当は文字ではできないことが
一番のさらけだしだった
人の裸は裸でしか語れない