ARTな日々

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また来年のやりたいこと

2007-12-31 17:54:41 | Weblog
来年は、本を一冊書いてみたいとおもっている。

今日、小田実の追悼番組を見ていて、
生前、あの人の言っていることは甘いなあと
思っていたものだが、なんだがとても人間味があって
好きになった。
やはり自分の中の作家性というものを
表現することは、使命であるのじゃないかという自覚が
あるなら、さっさとやるべきであり、私は私しかできない
この時代と共に生きる人間に呼びかける言葉があるのじゃないかと
以前からおもっている。言葉とはアートももちろん含まれるのだが。

来年やるべきことは

2007-12-31 12:37:30 | Weblog
来年やるべきことは、ある道筋を作り、それを習慣化すること
だろうとおもう。
前提として、わたしにはわたしにしか出来ない仕事があるという
ことを大事にすることだ。
個の世界というものを見つめることだ。もっと内面化するということ
だろう。
その時間をつくる。
わたしの創作の仕方は、まあ誰しもなのかもしれないが、
趣味の訳でもなく、功名心ということでもなく、
自分の存在価値とか生甲斐というわけでもなく、
祈願であるとか、救いだとか、
仏像彫りみたいな祈念のもとに行われる性格があるから、
現在が満たされていれば、やる必要がなくなるのだ。
私自身にエゴがあれば、創作をするだろう。

しかしながら、この一年に思っていたことは、
創作というものが一体、芸術作品を作ることだけなのだろうかと
いうことと、創作というものと人間が生きるということは
なにを連れそうものなのかということ、
そこに、自分は次の段階にきているのだという予感を過ぎた
実感をしていた。
来年はそれを形にしようと思えば、できるのだとおもう。
どうするのかといえば、がんばるのだ。
どうがんばるのか、頭も体も使うということ。
たくさんのものを抱える覚悟をもつことだ。
来年は結婚の算段もするだろう、だからそのための準備だってするだろう
仕事もがんばる。それだけではなく、内面化と、コミュニティーを和を
広げていくという一歩を踏み出したい。

一人に棲むということ

2007-12-28 23:17:10 | Weblog
ここにて感じることは、
ひとりぼっちということが、どうにも
ひとに対して、どうしようもなく
侵してきてしょうがない必然的な、
重力が地球にあるような、空気が空にあるように
あたりまえのこととしてあるのだとおもう。

これは、知っておくべきこととして、
というよりも知らなければ、参ったままとなることだろうが
ひとりということをよーく知らなければ
「和」というものがわからない。

今の時代、私は「愛」よりも「和」なのではないかと思うのだ
和というのは、平和というよりも、輪に近いものとして
つまり、どうにも、誰しも、輪をつなぐことに対して
臆病でもあり、消極的でもあり、可能性を見出していない。
人間にとって和と輪がなければ、そしてこれは、和と輪という
それ自体とも和となるお気持ちが必要だ。

人との関係において、手と手を実際つなぐことが結構難しい。
孤独を噛む苦味から、ロマンを見るようなそのような
仕組みを脱ぎ捨ててもいいのじゃないかとおもう。

おれは今、考えていることは、新たな物語が
ほしいとすごくおもっている。

その物語とは、ロマン主義⇒ニヒリズムであるままに長い
時間をこの物語のままであるが、
新しい物語が必要だ。
ニヒリズムの先にあるものは、あたらしい信仰に基づく物語が
あるのではないかとおもう。その信仰の対象というものが、
どこにあるのか、という想像よりも
私の信仰の対象がどこにあるか?
いつも感じているというより、もういるとかいないなんて
ということより、
見えない世界というものと並列で歩いているのが人生だと思っているから、
あっちの世界の人といつも対話をしているのが私の人生だ。
だから和なのだ。