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ARTな日々

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安定と安全であるという津波(1)

2012-04-01 20:06:43 | Weblog

スペインの哲学者であるホセ・オルテガが言った
「あらゆる生は、自分自身であるための戦いであり、努力である。」
という言葉があるが、この言葉が身に沁みる。
ご存知のとおり、去年、大きな震災があった。
大きな破壊があった。
大きな破壊の現実に人々はどう思っただろうか。
人間には、色々な感じ方がある。
直接的に、あるいは自分の親族においても影響が
なかった場合にどう感じただろうか。
不謹慎な発言をこれから行う。
人間の深層における声を表に出することを
あえて、必要だと感じて言う。
これは、直接的に被害に遭われた方には
はなはだしく失礼な言葉だとは思うのだが、
ここでの言葉は、ある出来事に対して、
その感じ方や現実は、一人一人の人間に、
1億人いれば、1億人の感じ方や現実があるという意味で、
言う。

 この前の震災に対して、大きな破壊に対して、
何か、自らの人生が変わる契機となるのではと
半ば、未来に対する期待を感じた人間がいたのでは
なかろうか。または、明日も同じようにある日常を
破壊というきっかけから、何か非日常を生きれることが
できるのではなかろうかと期待した人間がいるのでは
なかろうか。

私は、先の震災には、このように感じたことを
率直に言う。

そもそも、人間の生は、安定していること安全である
こと、それを維持することに、人間の英知を
結集して仕組みをつくり、それを保持することを
積み重ねてきた歴史である。それを文明という。
しかしながら、自然は、そうではなく、
刻一刻と同じ姿をとどめないものであり、
活物である。また、人間も自然の一部であるため、
人間も刻一刻と同じ姿をとどめないものであり、
活物でなのだ。なのだが、人間はこの自然の
ダイナミックな変化や流動とともに生きたら、
生を保てはしない。その抵抗をとどめなければ、
生が維持できない。生を維持するには、できるだけ
生を維持することに都合が良い部分を変化をさせないことが
必要となるのだ。食物を貯蔵することや、部屋の温度を
一定にすること、外敵から襲われないように防御すること等々
がそれである。
現代の文明とは、生その維持という意味で、極めて
安定したしたシステムを作り上げた。安全という意味でも
極めて精緻なシステムを作り上げた。
作り上げただけでは、維持は出来ないので、
現代人は、とりわけ日本人は、このシステムを維持するために
誰もが、例外なくこのシステムの維持に関わらなければならない。
その関わり方たるや、システムの冗長性・堅牢性が増加すれば
それに比例して、増加した関わり方をしなければならない。
つまり、生を生きるということが、安定と安全を維持するために
どれほど費やされているかという現実があるのだ。

(次回につづく)


そろそろ活動を

2012-02-15 00:29:59 | Weblog

このごろの個人的な活動は、

まちづくりの活動が中心となっている。

一人では出来ないので協力しながらの

活動となるので、なかなかもどかしい点もある。

一方で、個人的な活動はというと、これが

特にない訳である。

いい年にもなり、このまま何者でもない

まま死ぬこともさびしいものだ。

せっかく生まれてきたのに、それでは

自分を出し惜しみしているという気持ちが

膨らんできている感じはする。

しかしながら、こうも毎日、癖のように

ただ仕事を行っていると、自分が何者なのかを

すっかり忘れてしまうというものだ。

これは、いけないことであり、

自分自身であることに対して

怠惰と言おう。

今、机に向っているが、

何もすることがない。

何もすることがないという現実が

怠惰が招いた今だろう

言い換えれば、自分に対して

良いことをずっとしていなかったのだろう

勘違いしてならないこととして、

仕事をすることが、運命論として

自分に果され、それを苦行のように引き受け、

それを行うことが、重要な仕事なのかと

いうことだ。

これは、違うのだ。

自分自身となれる仕事を

追及することに怠けていたため、

あるいは巡り合うことができなかったため

本望でないことを、仕方なくやっているのだろう

もちろん、その世界にも自分はいるので

懸命に行うことは意味はあると思う。

しかし、それは、運命ではない。

自分が招いたことであるため、

自分でおとしまえをつけて

次にさっさといかなければ

ならないのだ。

それを祈るよ


二心(ふたごころ)

2012-01-28 18:25:26 | Weblog

偽りの温かさは
鉄を温めた温かさと似ていて
すぐ冷めてしまう
温もりは
皆でだるまストーブを囲んで
後ろにチヂコモッている人がいたら
温まっていけと声をかけるような
ことで十分です

あなたと関係をもった人が
すこし重い荷物をもったときに
「大変でしたね、さぞ重たかったでしょう」
といいます
そんなに重い荷物でもないのに
重い荷物だといってしまったら
言われたその人は
いちいち重い荷物を持っている自分を
可哀そうだと思ってもらえる権利を
あなたに求めてくるでしょう

あなたは、たいしたことでもないのに
気づかって
「大変でしたね」
といいますが
その言葉は、あなたがその人と
うまくやっていくために
いっているのですね
そんな二心はやめにしましょう
人生は重い荷物を持ち続けることなんだから
そんなことは、いわないほうが
いいのです

あなたは、うまくやるために
いってばかりです
うまくやることよりも
あなたにとって大事なことがあるはずです
あなたがあなた自身で思ったことを
率直に伝えなければ
あなたは、いったい誰と話しているのでしょうか
あなたは二心で話し続けるならば
あなたはあなたを忘れてしまいますよ

 


埼玉南部版「わたしのお父さん!」(O Mio Babbino Caro:プッチーニ)

2012-01-08 14:33:35 | Weblog

今日、いつものようにテレビを見ていたら、
ジャッキー・エヴェンコという11才の少女が
プッチーニのわたしのお父さんを歌ってた

信じられない位に素晴らしかった
直接的に見えない高次の意識が働きかけている
と思う

Jackie Evancho - O Mio Babbino Caro.
http://www.youtube.com/watch?v=Ej1giP1QFFQ&feature=related

昨日、茜と車の中で考えていたことなのだが、
これから大人になる中・高校生が、
模範になる大人や叶わないと思われる価値のないこと、
憧れることや敬意をもつことを教わっていない中で、
どうやって生きていけばいいのだろうかと考えていた

人類の歴史という大きなブックの中には、
さまざまな人間が、わたしたちと同じ感情で
同じような体躯で生きていたこと、その中には
親しみをもって触れ合える精神がたくさんあるはず
それらと触れ合える瞬間がどこにあるのかとおもって
いたのだが、
今日、このジャッキー・エヴェンコの歌を聴いて、
その歌詞の中に、人間の精神が今も生きており、
触れることができた

このように、かつてあり今も生きているものを
身近に引き出すことが重要であり、

この現代の失われつづける精神の時代で
隠されていた私を見つけだすことこそ
求められている。

わたしも一つ身近に感じさせる試みです。

【埼玉南部版「わたしのお父さん!」】

ああ わたしの愛しいお父さん
あの人が好きなの とても素敵な素敵な人なの
川口アリオへと行きたいの
指輪を買うために
そう 本当にあそこへ行きたいの
もし あの人を愛しても 無駄ならば
私はきっと笹目橋に行くわ
荒川にこの身を投げるために
私は恋に焦がれて、苦しんでいるわ
ああ 神様 いっそ死なせてください
お父様 お願い お願いよ
お父様 お願い お願いよ

(原詞)
ああ わたしの愛しいお父さん
あの人が好きなの とても素敵な素敵な人なの
ポルタ・ロッサへと行きたいの
指輪を買うために
そう 本当にあそこへ行きたいの
もし あの人を愛しても 無駄ならば
私はきっとポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)に行くわ
アルノ川にこの身を投げるために
私は恋に焦がれて、苦しんでいるわ
ああ 神様 いっそ死なせてください
お父様 お願い お願いよ
お父様 お願い お願いよ