遊鵬窟

展覧会感想メモ等

仏像半島ー房総の美しき仏たち 展

2013-04-21 16:37:29 | 展覧会

会場:千葉市美術館 会期:2013年6月13日まで

http://www.ccma-net.jp/exhibition_01.html

 

東国仏=野趣に富み,素朴で力強い造形,などというオリエンタリズム的固定観念を粉砕する,学芸員渾身の企画。ここは奈良国博か?と思うような,充実した展示が冒頭から最後まで続きます。

特に,第一室は,龍角寺薬師如来像(重文),小松寺薬師如来像(秘仏,県文),東明寺十二神将像と刮目すべき作品が並んでいます。

 

龍角寺薬師如来像は,オリジナルは雲崗石仏やホータン仏頭を思わせる頭部だけということですが,胴体部が実によく白鳳風にできています。頭部の表面からは火中の痕跡が窺われ,胴部残欠や残された記録等から,ここまで再現した,元禄の工人の実力を頌るべきでしょう。

 

小松寺薬師如来像は,類例のない神品です。異常に薄い胴部に大胆かつ力強い溝彫りで衣紋を表し,切れ長の眼を刻線で画した端正な童顔の頭部を載せ,全体が破綻なく神秘的に構成されています。見ていると畏怖の念に打たれ,到底並の仏師の作ではありません。

 

展示には9世紀とありますが,私の観るところ,8世紀には優に遡り,7世紀の可能性すらあると見えました。たぶん,論者は,胴部のY字型衣紋に着目して,8世紀後半と目される唐招提寺伝薬師如来像から派生したものと考え,裳裾が台座部まで垂れることから,9世紀作とされる唐招提寺如来像トルソーや法隆寺日羅像(いずれもY字型衣紋で裳裾が台座部まで垂れる)と並行と考えたのでしょう。

 

しかし,そもそもそれらの像が8世紀に遡らない保証もなく,また,鑑真招来像を写したとみられる唐招提寺伝薬師如来像のY字型衣紋が既に完成していることからすると,大陸でのY字衣紋成立はもっと早いはずです。国内だけ見た型式学的年代観と,地方は情報が遅れるとの先入観からすると無難に9世紀の比定となってしまうのでしょうが,全体の造形が,唐招提寺伝薬師如来像から平安仏に至る量感ある仏像の流れには乗りません。どちらかというと,広隆寺半跏思惟像や中宮寺弥勒菩薩像のような飛鳥仏に近い印象があります。

 

私が小松寺薬師如来像を一目見て似ていると直感したのは,ドヴァーラヴァティの石像如来像の一群です。バンコク国立博物館蔵の「タイ美術展」(1987東京国立博物館)図録No.40,No.45,No.51などは,童顔の頭部,切れ長の目,扁平な胴部といった点が小松寺薬師如来像と共通し,8世紀に比定されています。また,小松寺薬師如来像の肩の局面は,法隆寺の摩耶夫人像や北魏仏を思わせるものがあります。世界帝国唐の沿海部でドヴァーラヴァティ系様式と北朝系様式,南朝系様式が融合し,小松寺薬師如来像のプロトタイプが7−8世紀に成立していたのではないでしょうか。教王護国寺の講堂梵天像がグプタ彫刻の影響を受けているように見えることも考えると,南伝系の彫像の情報はけっこう入ってきていたのではないかと思われます。

 

文化史的価値からいっても,美術的評価としても,小松寺薬師如来像がいまだ県文どまりとは,秘仏であったことを割り引いても,文化庁の文化審議会の眼は節穴かと疑わざるを得ません。重文指定はおろか,直ちに国宝指定しておかしくないレベル。京都にあれば,とっくに国宝になっているでしょう。

 

東明寺十二神将像も,何の文化財指定も受けてないのが驚きの優品です。展示解説や図録では慶派と断ずることすら慎重なようですが,ここまでの顔貌の迫真性とユーモア感覚,背後から見ても破綻なくリズミカルな,それでいてデフォルメしすぎない造形,これはもう,運慶か湛慶の作ではないかと疑われます。胴体は工房作かもしれませんが,頭部は,先週見てきた北円堂の無著・世親像と顔貌表現がそっくりで,運慶の丸っこい造形の癖とも符合し,個人的に運慶その人の作だと考えています。称名寺の小像が修理で運慶作であることが「発見」されたことを想えば,解体修理にかける価値があります。これまた,寺外の展示がされたことがないということが正当な評価を妨げていたのでしょうが,ただちに重文指定すべきものです。ずっと見ていて飽きるということがありません。

 

後半部も,南宋の法華経寺十六羅漢像,波の伊八の欄間彫刻と,手抜きのない展示が並びます。関東の海の入口だった房総の底力を見せつけられた展示でした。

彫刻あるいは仏像が好きな人は,今展を見逃すと一生後悔するでしょう。

 

2013年4月20日観覧