久しぶりの映画です。夏からずっと観るぞ、と決めてたターネーション。
父親は自分が生まれる前に家を出、母親は元モデルで精神病、自身は
幼少時の虐待のせいか離人症にしてゲイ、という、「俺の人生踏んだり蹴ったり」
な人がiMovieで自身のフィルムや写真を編集して作ったという自伝映画です。
どんなに悲惨な映画かと覚悟して行ったんですが、そんなに悲惨でもなかった
10代の頃が一番悲惨ですが、それから徐々に立ち直る、というか強くなって行くんですね。
映像も、appleにはFinal cut proという、プロ用の映像編集ソフトがあるはず
なんですが、それじゃなくても、iMovieで全然いける! ということが
如実に示されてる映画だったと思います。いやほんと、iMovieでこれだけの
映画が作れるんだな、ということに少なからず感心しました。
この監督は中学生の時から映画を撮ってるし、今の職業は俳優なので、
映像に関しての知識や技術は相当あるんでしょうね。
この監督自身よりも、監督のお母さんが可哀想で印象的でした。
少女のようなんですよ性質が悪いですよね、少女のような母。
監督はお母さんをとても愛していて、映画のキャッチコピーも
「僕から母レニーへ、魂の告白(ラブレター、とルビがふってある)」
なんですよ。
でも、観てて確かに、お母さんは愛すべき人なんですよ。憎めない。守ってやりたい。
映画の途中、お母さんが監督に向かって「あなたは私の宝物」と言うんですが、
本当にそうだろうなぁと思う。この監督がいなかったら、この人、本当に悲惨な
人生だったと思う。
それと繋がるんですが、ラストがすごくよかったです。
「どこがやねん」って人もいるかもしれませんが、私はよかったと思う。
どういうラストか書いてしまうと、まず、映画の途中におじいちゃんの話がでてきます。
どういう話かというと、人間は生まれる前に神様に何もかも見せてもらってる、と。
で、記憶を持ったまま生まれるとまずいので、天使が鼻の下に触れて記憶を消す、と。
だから人間の鼻の下はくぼんでるんだよ、というお話なんですが、
映画のラスト、眠ってるお母さんの鼻の下に監督がそっと触れるんです。
このラストを観て、
「ああ、そうやなぁ。誰かが誰かの天使であっても、全然ええんやなぁ」と
このお母さんにとっては、この監督は天使も同然やなぁ、と思いました。
私は、人生に意味や物語を無理に見出すのはやめよう、という人間なんですが、
それでも、このお母さんにとってこの監督の存在は意味があるし、
この映画(つまり、この監督の半生)も、お母さんの人生も破綻しまくりで、
物語にならないものなんですが、ラストで物語になってるなぁ、と。
ささやかなことなんですが、このささやかさが侮れないな、と。
この監督自身はまだまだ苦しみの中にある人なんですが、それでも
お母さんにとっては天使なんだな、と。それならそれでいいじゃないか、と。
人間として分かってほしい・向き合ってほしい、ばかりじゃなくて、
自分が誰かの天使になれてるなら、それを引き受けてしまうのもいいじゃないか、
とか、いろいろ感じるラストでした。
他にも思ったことはあるんですが、上手くまとまらない(またかよ)ので、
またいずれ別の機会に
父親は自分が生まれる前に家を出、母親は元モデルで精神病、自身は
幼少時の虐待のせいか離人症にしてゲイ、という、「俺の人生踏んだり蹴ったり」
な人がiMovieで自身のフィルムや写真を編集して作ったという自伝映画です。
どんなに悲惨な映画かと覚悟して行ったんですが、そんなに悲惨でもなかった
10代の頃が一番悲惨ですが、それから徐々に立ち直る、というか強くなって行くんですね。
映像も、appleにはFinal cut proという、プロ用の映像編集ソフトがあるはず
なんですが、それじゃなくても、iMovieで全然いける! ということが
如実に示されてる映画だったと思います。いやほんと、iMovieでこれだけの
映画が作れるんだな、ということに少なからず感心しました。
この監督は中学生の時から映画を撮ってるし、今の職業は俳優なので、
映像に関しての知識や技術は相当あるんでしょうね。
この監督自身よりも、監督のお母さんが可哀想で印象的でした。
少女のようなんですよ性質が悪いですよね、少女のような母。
監督はお母さんをとても愛していて、映画のキャッチコピーも
「僕から母レニーへ、魂の告白(ラブレター、とルビがふってある)」
なんですよ。
でも、観てて確かに、お母さんは愛すべき人なんですよ。憎めない。守ってやりたい。
映画の途中、お母さんが監督に向かって「あなたは私の宝物」と言うんですが、
本当にそうだろうなぁと思う。この監督がいなかったら、この人、本当に悲惨な
人生だったと思う。
それと繋がるんですが、ラストがすごくよかったです。
「どこがやねん」って人もいるかもしれませんが、私はよかったと思う。
どういうラストか書いてしまうと、まず、映画の途中におじいちゃんの話がでてきます。
どういう話かというと、人間は生まれる前に神様に何もかも見せてもらってる、と。
で、記憶を持ったまま生まれるとまずいので、天使が鼻の下に触れて記憶を消す、と。
だから人間の鼻の下はくぼんでるんだよ、というお話なんですが、
映画のラスト、眠ってるお母さんの鼻の下に監督がそっと触れるんです。
このラストを観て、
「ああ、そうやなぁ。誰かが誰かの天使であっても、全然ええんやなぁ」と
このお母さんにとっては、この監督は天使も同然やなぁ、と思いました。
私は、人生に意味や物語を無理に見出すのはやめよう、という人間なんですが、
それでも、このお母さんにとってこの監督の存在は意味があるし、
この映画(つまり、この監督の半生)も、お母さんの人生も破綻しまくりで、
物語にならないものなんですが、ラストで物語になってるなぁ、と。
ささやかなことなんですが、このささやかさが侮れないな、と。
この監督自身はまだまだ苦しみの中にある人なんですが、それでも
お母さんにとっては天使なんだな、と。それならそれでいいじゃないか、と。
人間として分かってほしい・向き合ってほしい、ばかりじゃなくて、
自分が誰かの天使になれてるなら、それを引き受けてしまうのもいいじゃないか、
とか、いろいろ感じるラストでした。
他にも思ったことはあるんですが、上手くまとまらない(またかよ)ので、
またいずれ別の機会に