生まれてから死ぬまでの記録

人生とは、生まれてから死ぬまでの間のこと

北極のナヌーを観たぞ

2007-10-07 14:40:51 | 映画の記録
公開初日に観に行きました。レイトショーで。
客席は20人くらいしかいなくて、人気ないだろうとは思ってたけど、
本当に人気ないです。

さて、内容ですが、シロクマ満載の映画かと思いきや、シロクマの出番は
意外と少なく、セイウチの出番の方が多いような。
シロクマ母子は愛情豊かで、とっても仲良し親子なので、その辺りたくさん
観られるかと思ってたのに、ナヌーはあっという間に2歳になって独り立ち
してしまって、親子の様子が殆ど観れなかったのは残念です。

でも、アザラシ狩の様子を初めて見た。
アザラシが空気穴から息継ぎのための顔を出したところをバシっと前足で
どついて捕獲するのかと思いきや、氷の下に潜んで休んでるアザラシに
そーーーっと近づいていって、前足に体重かけて氷を砕いてアザラシを
捕獲する様子には、本当にビックリした。
すごい、すごすぎる。さすが、陸上最強の肉食動物。
そして、それを母親の指導の下、コグマが練習してる映像があって、
シロクマの教育現場というものも初めて見れた。
偉大やわ、かわいいわ、シロクマ

思いの他シロクマの出番が少ない分、北極に生きる様々な生き物が見れて、
命の不思議と自然の豊かさに打たれた。
同じ地球に、同じ時間を生きてる命。
自然のサイクルにピッタリ寄り添って生きる命。
その自然のサイクルが壊されつつあるんですが、でも人間だって、
自然のサイクルに従って生きている生き物なのに。
どの命も一生懸命生きている。でも、動物達は自然のサイクルに従順や。
従順ざるを得ない。
人間だけが不従順で、だからこそ、動物たちの従順さに打たれる。

上手くかけませんが、映画館を出て、たくさんの人たちを見ながら
不思議な気分でした。
どうして人間だけが、自然に不従順に生きていられるのか?と。

善き人のためのソナタ

2007-03-04 20:14:24 | 映画の記録
さんざいろんなところで、「いい」と書かれてるので、同じこと書く必要も
ないかな、と思いつつ、やっぱり書く。
いいよ、この映画
なんとも言葉に表しがたい感動がある。
あらすじに関しては、公式HPを検索して見て下さい(不親切設計)。

感想を読んでまわると、みなさんラストにえらく感動してるみたいですが、
私はラストもさりながら、ポスティングマンとなりながらも、背筋伸ばして
淡々と真面目に仕事してる大尉の姿が目に焼きついて離れない。
その姿を見たときから涙があふれてきて、たまらんかったっす

大尉という、チュートハンパな役職も、後から考えるとグッとくるわ。
年齢から考えると、エリート街道まっしぐらって訳ではない。
現場から叩き上げでここまで来た人なんだろうな。
そういう人が、自分の職分をなげうつことになるのが、なんともねぇ
でも、自分の意に沿わないことは絶対しない人なんだろうな。
だから、自分の職分をなげうって不遇に甘んじることになっても、真面目に
背筋のばして仕事してるんやろうなー、と思う。
その姿が泣ける。

ラスト、この大尉が報われることにばかり感動が集まってますが、
壁崩壊後、全く作品を書かなくなってたドライマンが脚本家として復活できた、
それは大尉ことを知ったからである、って側面もここに強調しておこう。
大尉が救われただけでなく、ドライマンもまた大尉のことを知ることによって、
脚本家として再生できた、救われてるわけですよ。
ええ話や

話がいいだけでなく、東ドイツの、人間心理を知り尽くして人間を痛めつける術の
巧みさには驚いたし、壁崩壊後、東ドイツの機密情報が一般に閲覧できるように
なってる事実に驚く。
崩壊した体制は悪として、間違ったものとして公開されてるわけで、
この映画も社会主義体制がいかに人間性を踏みにじるものだったかという面を
描いてるわけですが、資本主義も崩壊して新しい体制ができれば、同じような、
資本主義がいかに人間性を踏みにじるものだったか、ということが描かれる
ことでしょう。

あと、さんざ書かれてることやけど、主演の男優さんの演技が本当に上手い。
冷酷な顔、と書かれてるけど、私は優しい目をした人やなぁと思いながら
観てたんですが、私の見方がおかしいのか?
この男優さんが、いかにもゲルマンな冷たい顔立ちだったら、観客はあまり
感情移入できなかったのはないかと思う。

なんにせよ、いい映画。
ドカーンと感動することはないけど、静かに感動できる映画です。





OLD BOY~不条理の過酷さ

2006-03-12 02:47:40 | 映画の記録
 2年前に劇場公開されたのかな。
公開当時観に行って、すごい映画だと思ったんですが、
今朝ふと思いだして、やっぱりすごい映画やったなぁと。

 どんなストーリーかと言うと、主人公(男・30歳)が、突然拉致されて
15年間監禁された後、突然解放されて、自分が監禁された理由を1週間以内に
見つけなければ殺す、と監禁者から言われてその理由を探す、というもので、
主人公は監禁された理由を見つけ出すんですが、その理由がすごいんですよ。
ショック受けました。

 主人公にとって、15年の監禁生活は不条理そのものでしょうが、
監禁者にもまたとてつもない不条理が課せられてて、その過酷さを思うと、
胸が痛い。
誰も不条理なんて望まないのに、人間社会には必ず不条理がある。

 人間に不条理は避けがたいもので、考えてみれば、どうしてこの宇宙が出来て、
人間という生物が発生したのかも分からない、存在原因自体が謎なんだから、
存在自体が不条理と言えば不条理なんですよね。
その不条理に耐えるために、人は神を作ったのかな、と思う。
避けがたい不条理の原因としての神。
逆にいえば、だから神は因果関係を超越して愛であり、
不条理であるのかもしれない。
神は実在すると考えれば、神は不条理を通して、自分の存在をアピールしてる、
とも言える。

 また、逆に言えば、どうして人間は不条理を嫌うんだろう?
どうして自分の理解できる範囲、予測できる範囲内に物事が収まっていないと
安心できないんだろう?
それについては、おいおい考えます。

 

春の雪

2005-11-23 21:04:56 | 映画の記録
はっはっはっは
東宝が人気俳優2人を使って作った2時間半映画ですよ。
面白い訳がない、と思いつつ観に行ったら案の定面白くなかったです
ただ、原作がどのように映画化されるのかを確かめたかった私としては、
心の中で「原作通りやー」とか「原作にはないぞ」とか
勝手に楽しんでたんで、それはそれで楽しかったです。
もっと映像美を期待したんですが、それは期待はずれでした。
ただ、原作では晩年に本多と再会した聡子が
「若いときの聡子が日陰の顔なら、今の聡子は日向の顔である」
と表現されてるんですが、本当に竹内結子演じる聡子が日陰の顔なのには
感心しました。
私のイメージでは、聡子はもう少し明るいチャーミングな人なんですが、
映画ではひたすらたおやかな日陰な人でした。
妻夫木演じる松枝清顕は、あんなもんじゃないでしょうか。
原作読んでて、松枝のへたれっぷりにイライラしたんですが、映画でもイライラ
したんで、その点では実に原作に忠実に、役柄をこなせていたと思います。

二人とも、原作の年齢設定より5歳ほど年上でして、肌のツヤがねぇ、
メイクやライトでなんとかならんかったんか? とは思います。
19歳、20歳の肌ではない。
輝くような肌でないと、この悲恋も輝かない、と思うのは私だけ?
いっそのことモノクロ映画ならよかったんじゃないかと思う。
たいした色彩美はなかったし、それなら肌が綺麗にみえるモノクロのほうが。
話がつまらないのは原作がつまらないから仕方ないとして、美が美が
足りない映画だったんで、その足りなかった美を、肌のハリとツヤに求めてしまう
だって、19歳と20歳ですよ
何はなくとも肌のハリとツヤはあるはずなんですよ。
それもなかったのは残念です。
聡子には名台詞がたくさんあるのに、全然映画では採用されてなかったのも残念
素人にも玄人にもお勧めできない。そんな映画でした。
ただ、脇役たちには見るべきものがありました。
私的にはミッチーの治典王がツボでした


TARNATION(ターネーション)

2005-10-06 01:35:25 | 映画の記録
久しぶりの映画です。夏からずっと観るぞ、と決めてたターネーション。

父親は自分が生まれる前に家を出、母親は元モデルで精神病、自身は
幼少時の虐待のせいか離人症にしてゲイ、という、「俺の人生踏んだり蹴ったり」
な人がiMovieで自身のフィルムや写真を編集して作ったという自伝映画です。
どんなに悲惨な映画かと覚悟して行ったんですが、そんなに悲惨でもなかった
10代の頃が一番悲惨ですが、それから徐々に立ち直る、というか強くなって行くんですね。
映像も、appleにはFinal cut proという、プロ用の映像編集ソフトがあるはず
なんですが、それじゃなくても、iMovieで全然いける! ということが
如実に示されてる映画だったと思います。いやほんと、iMovieでこれだけの
映画が作れるんだな、ということに少なからず感心しました。
この監督は中学生の時から映画を撮ってるし、今の職業は俳優なので、
映像に関しての知識や技術は相当あるんでしょうね。

この監督自身よりも、監督のお母さんが可哀想で印象的でした。
少女のようなんですよ性質が悪いですよね、少女のような母。
監督はお母さんをとても愛していて、映画のキャッチコピーも
「僕から母レニーへ、魂の告白(ラブレター、とルビがふってある)」
なんですよ。
でも、観てて確かに、お母さんは愛すべき人なんですよ。憎めない。守ってやりたい。
映画の途中、お母さんが監督に向かって「あなたは私の宝物」と言うんですが、
本当にそうだろうなぁと思う。この監督がいなかったら、この人、本当に悲惨な
人生だったと思う。

それと繋がるんですが、ラストがすごくよかったです。
「どこがやねん」って人もいるかもしれませんが、私はよかったと思う。
どういうラストか書いてしまうと、まず、映画の途中におじいちゃんの話がでてきます。
どういう話かというと、人間は生まれる前に神様に何もかも見せてもらってる、と。
で、記憶を持ったまま生まれるとまずいので、天使が鼻の下に触れて記憶を消す、と。
だから人間の鼻の下はくぼんでるんだよ、というお話なんですが、
映画のラスト、眠ってるお母さんの鼻の下に監督がそっと触れるんです。
このラストを観て、
「ああ、そうやなぁ。誰かが誰かの天使であっても、全然ええんやなぁ」と
このお母さんにとっては、この監督は天使も同然やなぁ、と思いました。

私は、人生に意味や物語を無理に見出すのはやめよう、という人間なんですが、
それでも、このお母さんにとってこの監督の存在は意味があるし、
この映画(つまり、この監督の半生)も、お母さんの人生も破綻しまくりで、
物語にならないものなんですが、ラストで物語になってるなぁ、と。
ささやかなことなんですが、このささやかさが侮れないな、と。
この監督自身はまだまだ苦しみの中にある人なんですが、それでも
お母さんにとっては天使なんだな、と。それならそれでいいじゃないか、と。
人間として分かってほしい・向き合ってほしい、ばかりじゃなくて、
自分が誰かの天使になれてるなら、それを引き受けてしまうのもいいじゃないか、
とか、いろいろ感じるラストでした。

他にも思ったことはあるんですが、上手くまとまらない(またかよ)ので、
またいずれ別の機会に

ヒトラー~最期の12日間

2005-08-09 00:31:15 | 映画の記録
いや~、観終わって頭クラクラしました
すぐにDVD化されるでしょうが、映画館で観るチャンスのある人は映画館で観て欲しい
なぜかというと、この映画の話の多くは司令室である地下要塞が舞台なんですが、
ソ連軍から近距離の砲撃を受けてて、つねに「ドーん、ドーン」と音が聞こえてるんですが、
その聞こえ方がすごいリアルでして、地下要塞は光の差さない密室でして、映画館もそうじゃないですか。
だから、ずっと観てるうちに、自分もその地下要塞にいるかのような感覚になってきて、くらくらきます。
このくらくら感は家では味わいにくいと思うので、是非映画館で味わっていただきたい

さて、お話なんですが、邦題は「ヒトラー~最期の12日間」なので、ヒトラーが主役みたいですけど、
原題は「崩壊」「破滅」という意味でして、その名の通り、ベルリン陥落にまつわる
ドイツのいろいろって感じで、ヒトラーが死んでからも映画は結構続きます。
監督が「es」のオリヴァー・ヒルシュビーゲルって人でして、さすがに人間心理をよく達観して
いらっしゃって、この映画の主役は極限状態における人間心理なんじゃないかと思うほど。

ヒトラーは完全に人格が分離してしまってて、プライベートな人たちに対しては、気遣いもみせ
自殺の算段もしてるくせに、部下たちを前にすると妄想爆発で、もうない戦力をあるものとして
「第9軍が進撃して云々」とあくまでも負けを認めず当り散らしまくりで、困ったおっさんなんですが、
そんなヒトラー像もさりながら、ヒトラーの周囲の人たちの心理が面白い。
徹底抗戦を唱える人、無益な戦いはやめようと言う人、どうにもならんと酒に逃げる人、
どれも人間なんですねぇ
そして、つくづくやるせないと思ったのが、「秩序維持」の名の下に、脱走兵や共産主義者が
殺されてる描写です。
敗戦は決定で、いまさらそんなことしても何の意味もないのに、そういうことが行われる。
この監督は、権威を笠に着て(この場合秩序維持が権威ね)自分の欲望を充足させる心理対して
容赦ない描写をしますねぇ、esに引き続き 確かにそういう無反省な心理は本当に怖い。

この映画を観ながらつくづく考えたのは、あくまでも生きる方向に向かっていく人たち
(無益な戦いはやめようと言う人たち。この人たちによってヒトラー亡き後、ドイツは降伏
するわけですが、これが容易ではなかったのも映画でわかりました。)と、あくまでも
徹底抗戦を唱える人たち(多くが自殺してしまうんですが)を分けるものは何だろう
ということです。

徹底抗戦を唱える人たちは「降伏の屈辱は二度とごめんだ」ということを何度も言うんですね。
基本が「逃げ」なんですよねぇ。なんなんだ、そのネガティブパワーは
でも、人間を動かすのはポジティブパワーよりも、ネガティブパワーのほうが強いんじゃないだろうか、
とか、人間はポジティブパワーに動かされる人と、ネガティブパワーに動かされる人の2種類がいて、
実はネガティブパワーに動かされる人の方が多いんじゃないだろうか、とか、そんなことを考えました。
ヒトラーは、第3帝国の建設を夢見てた人で、一見ポジティブパワーに動かされた人みたいですけど、
実はネガティブパワーに動かされた人なんじゃないかと、最期の12日間の様子を見て思いました。
自殺の算段するくらいなら降伏の算段しろよ、と思いますもんねぇ
映画観る限りでは、降伏の算段は全くしてないんですよね。部下にも降伏を禁じて自殺してますし。

やけっぱちになるのは簡単なんですよね。やけっぱちになりたいときにこそ、建設的になることが
すごく貴重で、降伏の処理にあたった人は本当にえらいなぁと思いましたよ。

だらだらと書きましたけど、人間心理をつくづく考えさせられる映画です。


映画「A」 (荒木元オウム広報部長のドキュメンタリー)

2005-07-26 23:50:30 | 映画の記録
警官との衝突やマスコミ取材のいやらしさ・編集力のすごさには驚きましたが、
この映画で一番心を打たれたのは、
「世の中のためになることをしなさい」と言うおばちゃんに対して、
荒木さんが「僕たちも世の中のためになることがしたいんです。
でも、本当に世の中のためになることって何なんですか?教えてください」
と言ってたシーンと、
「オウムは嫌いだけど、荒木さんは好き」
という女子学生の言葉に荒木さんが照れくさそうに嬉しそうに笑ってたことです。

なぁーんかねぇ、切ない。
おばちゃんの言葉は限りなく「一般的」
女子学生の言葉は限りなく「個人的」

彼には女子学生のように個人的な言葉をかけてくれる人がいなさすぎたんじゃないかな。
一般的な言葉ばかりの中で、自分であること、自分であればいいことを学びそこなって、
「世のため人のため(なんて一般的な綺麗ごと!)」に頑張ってるのかな? と思いました。
荒木さんは悲しいくらいに誠実に一人の人間として対応しているのに、
この映画を見る限りでは、世間は個人と向き合おうとしな一般的な対応ばかりだったから。

映画・日本国憲法 (サブタイトルとして、文部省は何をしているのか?)

2005-07-17 18:28:03 | 映画の記録
観に行く と、このブログに書いた「映画・日本国憲法」観に行ってきました。

上映場所は、九条シネ・ヌーヴォ。
おそらく、大阪で一番「しっぶぅーい」映画が常に上映されてる映画館です。
九条という町自体、駅から徒歩5分以内に松島新地(詳しくは説明しません)、
九条OS(ストリップ劇場)、熱帯魚屋、自転車屋、社交ダンス教室、産婦人科・内科・性病科医院等、
「人生いろいろあるし、いろいろ要るやろ?」
と語りかけてるような素敵な町でして、大好きなんですけど、そんな素敵な町にある素敵な映画館です
行ったことない人は是非、一度行ってみて欲しい。

んで、映画なんですが、映画としてはそんなに面白くない映画でした。
NHKドキュメンタリーの域を出てない、と言っても、内容が「護憲」に終始してたので、
NHKはそんな偏向(?)番組は放送できないと思いますが。

焦点は第9条に当てられてまして、現在の日本国憲法はGHQの押し付けだといわれてるけど、
日本の有識者に新憲法を提出させたところ明治憲法とほとんど変わらない憲法を出してきたので
「だめだこりゃ」ってんでGHQが1週間で作成したものであること、
しかし、新憲法については民間でも進歩的な提案が多数出ており、
GHQはその民間からの提案と他国の憲法を大いに参考にして作成にあたったこと、
発布・施行当時、この憲法は日本国民に大いに好評を博して迎えいれられたことなどが、
証言を通して語られます。
そして、9条が変更されなかったのはアメリカの圧力ではなく、むしろアメリカは9条改正の
圧力をかけたが、日本がこれを変更しなかったことも、当時のニュース映画も用いて語られます。
つまり、「確かに押し付けかもしんないけど、日本人の意見は反映されてるし、日本人は
それを”自らの意思で”守り通してきた」ってことが語られる。

そして、9条が世界でどのように受け取られているか、ってことに焦点が移るんですが、
ここの部分が弱い。世界の人達は日本の9条なんて、全然知らないんだろうね。
もっと知られててもいいと思うんだけど、知られてない。
このこと自体、「憲法問題」だと私なんかは思います。

さて、この映画の証言で印象的だったのは、

日本は9条があるから普通の国じゃない、普通の国になるために憲法改正をというが、
普通の国って何? アメリカが普通だというなら、それはとても恐ろしいことです」
(確かにアメリカは普通じゃない。明らかに変だ。でも、日本はアメリカを「普通」いや、
「なんだかんだ言っても素晴しい国」だと思ってるフシがある・・・)

「戦争の謝罪を日本はもとめられているが、憲法第9条が日本の謝罪なんだと思う。
それなのに、9条を放棄するのは、謝罪を放棄することにならないか」

「軍隊が安全を保障してくれる? それが本当かどうかは沖縄の人達はみんな知ってる。
沖縄は基地があったばかりに、先の戦争では唯一日本で戦場となった地域なんだから」

「困窮しきってる北朝鮮が日本を攻撃することはないでしょう」
(韓国大学教授の言。
言われてみれば、北朝鮮にしてみれば海を渡って日本を攻撃するより陸続きの韓国を
攻撃するほうがはるかに楽だし、韓国は北朝鮮からの攻撃の可能性は低いと
思ってるらしいんで、ましてや日本はないだろう、という訳です)

「日本は軍事大国の道を歩めないでしょう。だって、そのための労働力がありませんから」
(言われてみれば少子化が・・・。ついでに財政的にも無理だ・・・)

しかし、なんといっても一番印象的だったのは、
「日本は主権国家であり、主権在民ということを忘れている」
という証言です。

アメリカのいいなりで、なんにも意見を言えなくて、なにが主権国家やねんってことです。
で、憲法ってのは、主権者たる国民が政府の力を制限するために課してる法なんですよ。
ここんとこ、憲法を考える上でとても重要だと思います。
憲法は政府が国民に保証してくれてる権利ではなく(社会国家的な条文は除いてね)、
主権者たる国民が政府に好き勝手させないための法なんですよ
忘れてるよ、忘れてるねー、てか、そんなこと学校は教えてくれたっけ?
何してんだ、モンブショー

しかし、憲法論議のときに毎度思うんですが、日本憲法=第9条、なんだねー。
日本の憲法問題の根本って、「みんな憲法を知らないし、活かす気がない」って
ことだと思うんですけどね
憲法が政府に制限かけるためのものだって知らない人多いでしょ。
ついでに、日本では「憲法違反」で国を訴えてもほとんど敗訴なんですよ。
なんでかっつーと、違憲審査権を持つ最高裁は、「政府の統治行為と立法裁量を広く認めるから」です。
ほんと、憲法を活かす気がないんだ。政府も司法も。

というわけで、サブタイトルに「何してんだよ文部省」という
文句めいたものが登場するのです。
主権者たる国民がもっと憲法を知っていれば、こんなことにはなってないと思うから。

映画について

2005-07-10 22:05:12 | 映画の記録
本日7/10に、このブログの手入れをして、カテゴリーを分けたんですが、映画と読書だけ、
現時点でなんの記事もなくてそりゃ寂しいので、とってつけたように書きますよ

映画自体はそんなに好きではないです。でも、映画を観に行く、という行為は好きです。
今、絶対観に行こうと思っている映画は「映画・日本国憲法」と「ヒトラー最期の12日間」です。

好きな映画監督はフェデリコ・フェリーニ
特に、「8 1/2(はっかにぶんのいち)」が好きです。これが生涯ベスト1
20歳のとき、猛烈に鬱だった時期に見て、分かるとか共感するなんてレベルを超えて、
自分の心の中を写し出されたような、「そうやねん、そうやねん」と
自分を確認するような気持ちで唖然と観て、観終わったら人生の見え方が変わってました
この人は、前期と後期にすっぱり作品を分けることができるんですが、「8 1/2」はちょうど
その分岐点の作品です。
前期は「どうしようもない人」を描かせるとピカ一です。
「道」「甘い生活」が前期代表作になるかな。私がお勧めなのは「崖」です。
詐欺師のおっさん(詐欺師としてもウダツがあがらなくて、後輩である若い人に媚売って、
なんとか仕事にありついてるという悲惨なおっさん。どうしようもないでしょ?)の物語です。
でも、私は前期よりも後期の作品が好き。
後期になると、ストーリーなんてものもなくなって、ただもう世界を眺めてるだけ、てな
作風になってくるけど、下手なストーリーよりよほどいろいろなことを伝え、感じさせて
くれます。そんなことが可能な監督はこの人だけなのでは?
人間や人生に対する愛や見通し方が尋常じゃないんだと思う。
後期では「アマルコルド」が代表作ってことになるのかな。
DVD化があまり進んでないのが残念。

最近観て面白かった映画は「クローサー」
考えてみれば、「冬のライオン」も好きな私は、
「どれが本当のことだかわかんない
てな映画が好きなんですね