生まれてから死ぬまでの記録

人生とは、生まれてから死ぬまでの間のこと

人は想いにつく

2005-10-31 21:52:37 | 日々の結構重要なような記録
いつか書こうと思いつつ、慢性的な寝不足に書けずにいたんですけど、
あのですねぇ、犬は人につき、猫は家につく、って言うじゃないですか。
それで言うと、人は想いにつく、と思うんです。
人は人につかない。

過去の恋愛で、その人のことは全然恋しくないのに、その人との思い出を
思い出して、「ああ、あの時に帰りたい」ってのないですか?
あと、恋愛中、すごーーく会いたくて、いざ会ってみると全然気持ちが
盛り上がらなくて、どうも、幻想のその人と、実際のその人との間に乖離が
あって、それに悩む、とか。
ないですか?
私はあります。ありまくりです。
ネットでもこういう意見を結構見るので、普遍的なことなんだろうと
思うんですが、これって、人は人につかずに、想いにつくからこうなるんだなぁ、
と思う。

だから何なんだ、と言えば、いろんな展開は出来ると思います。
でも、あえていろんな展開しなくて、「人は想いにつく」ということで
とどめておきたいです。

ずっと、「この人には幸せになってもらいたい」と思ってた人が恋して幸せそう、
というか、「幸せってこういうことなんだ」ということを掴みはじめてて、
他人ごとながら、すごく嬉しいです。
なんていうか、まぶしい
そのまぶしさに最大の敬意を払いたい。

なんか要領を得てませんけど、また、時間があって気が向いたときに
落ち着いて書きます。
とりあえず、その人が幸せそうで私は嬉しいです。
おめでとう、まっちーさん。

大川興業(大川豊・阿曽山大噴火) in ウルトラマーケット

2005-10-31 01:06:15 | ライブの記録
マッキーの2回目のアンコールを振り切って、駆け込んだトークイベント。
マッキーとこのイベントと、どちらに生きる力をもらったかというと、こっちです。
マッキーには悪いけど、大川興業のほうが、私に生きる力を与えてくれるね。
どうしてかというと、変な人でも楽しく生きていける、という点の説得力において、
大川興業に勝るものはないからです。

阿曽山大噴火という人は、裁判傍聴の最早プロで、このネタで本も書き、
連載も持ってるという人で、この人が裁判について語るのを総裁が聞く、
会場のみんなも聞く、というものでした。ちなみに阿曽山大噴火は住所不定。
どうして大川興業は、こうも変なものばかり拾っては面白がれるのか?
そして、実際面白いのよね。それがすごい。
変なものはたくさんある。それを面白がろうという人もたくさんいる。
でも、本当に面白いものは少ない。でも、大川興業はちゃんと面白いのよね。

9時に終わるはずだったみたいだけど、終わったのは9時50分でした。
この過剰さも、いいなぁ好きだなぁ
ウルトラマーケットという会場も、初めて行ったんですが、大阪城ホールの
倉庫なんですけど、結構広くって、さすがに大阪城ホールの一部だけあって、
しっかり作られてるんですよね。
こういう立派な「隙間」を会場にしてしまう、というのはとても素敵だ、と思う。
冷暖房がないらしく、会場にはいったら掛毛布をくれたのもよかった。
大阪城ホールというとても立派な会場の隅っこに、こういう手作り感ありまくりの
会場があるというのは、とてもいいと思う。
とてもいい空間だと思った。

裁判傍聴も、いっちょ行ってみようと思った。
大阪地裁が日本で一番面白い裁判が目白押しらしいので。

槇原敬之 in 大阪城ホール

2005-10-31 00:28:18 | ライブの記録
正式タイトルが「cLEBRATION 2005-Heart Beat-」というものでして、
マッキーがオーケストラをバックに燕尾服着て歌う、というものです。
会場内で配られたチラシにはこのイベントをしようとしたきっかけは
「今日生きている事を心からみんなで喜び、お祝いをしましょう!」という
テーマのもとで始まったそうです。

まずオーケストラが入場して、コンサートマスターが入場して、指揮者が
入場して、最後にマッキーが登場して、演奏が始まったんですが、
うーん、大阪城ホールのスピーカーはオーケストラを鳴らすには力不足で、
音が悪いよ・・・ これは本当に期待はずれでした。
でも、電子音は綺麗に鳴ります。スピーカーって、やっぱり音楽の種類によって
向き不向きがありますね。こういう会場のスピーカーはやはり、電子音が
綺麗に鳴るようになってるんですね。

マッキーの曲に特に思い入れはないんですが、マッキーの歌はマッキーの声と
歌い方とワンセットになってるな、と思いました。
マッキーの曲って、あまりに素直すぎてあまり省みてなかったんですが、
声と歌い方を聴いてるだけで「素直になるのもいいもんだ」というような、
そういう気持ちになります。なりました。
こういう、なんともいえない声と歌い方をもった人が伸びやかに歌ってるだけで、
本当にくつろぐ、というか、心がほどけてゆく、というんですか、神の存在を感じる

会場のライティングはさすがによく出来てて、途中でマッキーは見飽きて、
まわりは立ってたんですが、座ってライティングをぼんやり見ながら
聴き入ってました。
マッキーの歌は本当に素晴しいんですが、音がちょっとでかすぎ。
普段、爆音で音楽を聴いてる私ですらこう思うんだから、普段あまり音楽を
爆音で聴かない人たちには辛いものがあったのではないでしょうか。
時々音割れてたし。
大阪城ホールのスピーカーがあまりに力不足だったのかもしれないけど。

途中で、好きだったけどうまくいかなかった人のことを思い出して、ちょっと
鬱入ったんですが、実はライブの途中で鬱入るってよくあるんですけど、
音楽のいいところは、曲がどんどん流れていくから考えもどんどん流れて
いくとこですね。
で、ライブのいいところは、想いをその会場に置いていけるとこだなぁ、と思う。
まるで本を読み返すように、今度同じ会場や同じアーティストのライブで
「あのときはこんなこと思ったなぁ」と思い出して、その想いとの距離に
自分の変化を感じる、と。
これもまた楽しい。

アンコールで「どんなときも」を歌って、一緒に歌ったんですが、全部歌えた
自分にビックリ。
私が確か高1の時の曲なんですが、10代の時に覚えた歌って、歌えるもんですねぇ。
自分に感心

1回目のアンコールが終わった時点で、7時40分で、開演が4時40分だったんで、
約3時間ですよ。
実はこの日、大阪城ホール西倉庫の「ウルトラマーケット」での大川興業の
トークライブのチケットも買ってて、そのトークライブの開演が7時だったんで、
1回目のアンコールが終わった時点で、席を立ちました。
ちょうど会場を出る頃に2回目のアンコールにこたえてマッキーが登場した
ところみたいでした。
でも、最後まで聴けなくても、充分満足でした。

今度マッキーのライブを見るとき、私は何を想うのか。
あと、マッキーはゲイの人たちに大人気と友達から聞いたんですが、
時々野太い歓声が上がってたんですが、あれはゲイの人たちなのか、
そういうことが気になるライブでした。

森山直太朗 in 平安神宮

2005-10-30 11:18:40 | ライブの記録
友達との約束の時間に30分も遅刻して、行ってきました、直太朗。
平安神宮でのライブは毎年、京都のイベントとしてあるもので、
去年は確か藤井フミヤだったと思う。
平安神宮の境内に椅子を並べて会場にしてしまうんです。
一度は見てみたい、とどちらかというと会場に惹かれていってみたんですが、
会場設営に無理がある、と思った。
特に今回のライブはチケットの売れ行きがよすぎたのか、追加席が発売になった
せいで、本当に無理無理な設営だったのではないか、と。
だって、ステージが真正面になくて、左手の端のほうにあったんですよ。
スピーカーが会場真正面にあるような状態で、真正面のスピーカー1個から音が
なってる感じで、音の鳴りが全然よくなかった。
ライブは音に包み込まれるような感じが楽しいんだから、その辺りは本当に
期待はずれだった。
ただ、ライトアップされた神社の建物は美しかったです。
ライトアップ次第で、柱の朱色がいかような色にも見えるのはすごい。
こういうライブだけじゃなくて、ライトアップをいろいろ施して境内を公開する、
というのをやって欲しいなぁ。平安神宮に限らず。

森山直太朗自体は、確かに美声だな、と。ビブラートが美しいな、と。
いろんな声を持ってる人で、それには感心しました。
「君は5番目の季節」という曲がよかった。
私が聴きたかった「時の行方~序・春の空」は、最後の最後に歌詞を間違えて、
感動半減でした。

平安神宮、来年のライブはスピッツでお願いしたい。

仕事を休んでひたすら寝る

2005-10-28 22:58:05 | 日々のどうでもよさげな記録
昨日はシンフォニーホールで大阪フィルの定期演奏会を聴くべく、
チケットを取ってたのに聴きにいかず、あげくTUTAYAで借りたCDも返さず、
仕事から帰ってきてさっさと寝て、やっぱり夜中に目が覚めてから眠れず、
明け方ウトウトして朝起きれず、結局本日金曜日は仕事を休んでひたすら
寝てました。よく眠れました。なぜ、昼間はよく眠れるのか?

夕方に起きて、TUTAYAにCD返しに行って、それからジュンク堂に行って、
本を物色して幸せでした。
そして今、あくびの連発です。

岩波文庫の「ブッダの言葉」や「ブッダ・神々との対話」を読み返してるんですが、
ブッダって完成された近代人なんだなぁ、と思う。
こういう人が過去に実在して、この人の言葉が2000年以上の時を経てなお
語り継がれるということ自体、奇跡だな、と思う。

「過ぎ去るものは虚妄である」
という言葉と、ブッダ最後の言葉、
「全てのものは過ぎ去るのみ」
が、身にしみる・・・


眠りが浅くて困る

2005-10-25 22:35:46 | 日々のどうでもよさげな記録
 最近、寝付きはいいのに、すぐ(といっても夜中の2時くらい)に目が覚めて、
それから全然眠れなくって、朝6時くらいにウトウトして7時には起きる、
という睡眠リズムで、おかげで昼間が眠くてしょうがないんですが、これって
なんなんでしょう?
 人に話しても、みんな悪い寝つきをよくする知恵しか教えてくれないんですが、
寝付きはいいんですよ。昨日も爆音でエルレガーデンを聴きながらいつの間にか
寝てた。

 こうして、引きこもり・ニートへの道が開かれてたりしたら、どうしよう。
家でずっと寝ていたい。

 

より、くつろげる方へ

2005-10-22 20:16:21 | 思考の記録
全くもって個人的な、極めて個人的な想いであり記録なんですが、
やっと最近、生きることにくつろげるようになりました。
今まで、すごく神経質に、いろんなものを知ろうと、見極めようと、頑張って
生きてきて、その為に、誰よりも自分自身と諍いが多い人だったんですが、私、
最近、「自分を肯定するってこういうことなんだ」ということをわかってきました。

ぼんやりしてる時間がすごく無駄に思えてて、本当にいつも頭はフル回転でした。
リラックスしてる時はあったけど、くつろいではいなかった。
ぼんやりしてると、罪悪感というか、「こんなことしててはいかん」という
気持ちがあったんですよ。いつも何かにせっつかれてた。
でも、最近「これでいいんだ」と、何にせっつかれることもなく、
その時間を肯定して楽しむことができるようになりました。

アリストテレスの考えに、「可能態」と「現実態」というものがあって、
可能態とは「目的を達成する可能性がある状態」で、
現実態とは「目的を達成してしまっている状態」をいいます。
例えば、同じ「歩く」という動作でも、「~へ到着するために」歩いているなら、
それは「~へ到着する可能態」なんですが、それが「散歩するために」
歩いているなら、それは「散歩の現実態」になります。
でね、アリストテレスは「生きることは現実態である」と言ってます。
つまり、生きていれば、生きている目的を達成している、と。
生きている目的は「生きている」ことなんだと。
これってすごくないですか?
初めてこれを知ったとき、すんごい感動したんですが、最近これを
実感できるようになりました。
自分を肯定する、ってこういうことなんだ。
くつろぐ、ってこういうことなんだ。

くつろぎと肯定と楽しむ、ということはとても近い。三位一体みたい。
「面白い」と「楽しい」は似て非なるもので、「面白い」というのは
知的な作業ですが、「楽しい」は知的ではなく、生きるエネルギーに関わる、
とてもとても大切な感情です。
これが枯れきると人は死ぬ。
鬱病で自殺する人は、その典型だと思う。
楽しいという感情は、心からくつろいだときにでてくる。
くつろぐためには、肯定が必要なんですよ。「これでいいんんだ」と。

この世界にはいらない幻想が多すぎる。
義務とか責任とか成長とか進歩とか大人であることとか。
どうだっていいよ、そんなこと。
いや、どうだっていいことはないんですが、生きていく上でそれが最上の
価値でも意味でもない。
生きる上で最優先すべきことは、自分が生きていることに対して、
くつろぐこと、肯定すること、楽しむことなんだ。

私はやたらと「鬱だ、氏のう」な人だったんですが、それって全然くつろげて
なかったんですよね、自分が生きていることに対して。
今ならいろいろ「ああ、そうだったんだ」と分かる。

そして、生きることは変わることだから、これからいろいろ変化していく
だろうけど、魂とでもいうべきものは
「天使は無限の栄光を絶えず愛しつつ見て浄福である」
というところに留めておきたい。俗世的なものを追いかけて行きたくない。
ずっとずっと、浄福なところに留めておきたい。
誰に、何に、頼ることもなく。
そして、よりくつろげる方へと生きて行きたい。


浅川マキ in RainDogs

2005-10-21 23:49:39 | ライブの記録
疲れた・・・。
最近、疲労困ぱいなんですが、時間に遅れていったら立見で、なお疲れた。

ステージは、失礼かもしれないけど、妖怪かイタコのようでした。
ライトは赤いし、全身黒でサングラスだし、伴奏はドラムだけだし、
なによりその自由自在だけどドラムに全く負けていない歌唱が
異様なステージでした。すごい世界。浅川マキの世界です。
語るように歌う。歌う、ということに全く距離が無い。気負いもない。
タバコ吸いながら歌ってたりして、でもたバコの吸い方かっこよかったです。

この人の歌を聴いてると、どこかにふらりと消えたくなるから危険だ、とても。
すべての思考を放棄して、流されるままに生きていこうか、なんて思う。
私の中の近代性がすっかり消えうせて、前近代性が全面的に呼び起こされる。
文楽とか演歌とか、情念と没個性の世界にどっぶりつれていかれる。
いかん、いかん

「浅川マキを知らない」という人はCDを聴いてみて欲しい。
お勧めは「DarknnesⅠ」です。たぶんビックリすると思います。
ちなみにデビュー当時は寺山修司に詞を書いてもらってます。
そういう世界が展開してるんですが、全然負けてないんですよ。


小泉は近所のおっさんか?

2005-10-20 22:58:19 | 日々のどうでもよさげな記録
なぁーーんかお疲れモードでして、今聴いているのはモーツァルトです。
リラックス効果がある、と「はなまるマーケット」でやってたのを見たもんで。
リラックスしてるのかなぁ? よくわからん

殆ど新聞を見ないんですが、たまたま見てみたら、小泉が靖国参拝を
「思想の自由は憲法で保障されてる」と言ってたそうで、
「首相である小泉純一郎が一国民として行った」とも言ってるそうで、
ほんとぉーーーーーーーーーーーーーーーーーおおおおおおおおおおおおに
アフォかと、バカかと、小一時間(以下略)ってやつですよ。
この人、狙ってるのか天然なのか、自分が公人であり絶大な権力者であることを
全然自覚してない(かのよう)ですね。

私が小泉は「こりゃだめだ」と思ったのは、イラクで3人人質になって、
なんとか救出されて、高遠さんが「それでもイラクの人を嫌いになれない。
イラクに戻りたい」と発言したのが報道されたのを受けて、
「人の苦労をなんだと思ってるんだ」と発言した時です。
近所のおっさんが言うのは構わない。近所のおばちゃんも構わない。
でも、あなたは日本国首相であって、絶大な権力があるんですよ。
あなたの発言にはとんでもない影響力があるんですよ。
その人が、殆ど名指しで一国民を非難とは、なんたること
あってはいけないあってはいけないあってはいけないことですよ
それをさらりとやってのけてしまう
しかも、日本国民は近所のおっさんの発言を聞くかのように、
「そうだよねー
って感じで受け入れてて、これも本当にアフォかと、バカかと。
権力とそれに関わる人に対する感覚が鈍すぎる。
国家権力のありようと手近な人間関係が同じレベルで考えられてる。
「人に迷惑かけるのはよくないよね」と。
「小泉さんが怒るのも無理ないよね」と。
アホか。
小泉は近所のおっさんじゃないよ? 政治・行政は近所づきあいじゃないよ?
でも、これを分かってない人は多い。小泉はそれを分かってて、さも
近所のおっさんみたいに振舞ってるんやろうなぁ。
今回も自分は権力者ということをぼかして、「一国民」ということを強調してるし。
本当に一国民として参拝するなら、こっそりやれ。密かに詣でろ。周囲に悟られるな。
あれだけ大々的に報道されて「一国民」もへちまもあるか。
今回もそうやけど、小泉のこの論を詭弁といわずしてなんというのか私は知らない。
小泉のこの妙な論点・目線のずらし方、すんごい腹立たしいし、危険に思う。

小泉なんて本当にどうだっていいので、この記録は「どうでもよさげな記録」だ。
このおっさん、人間としては本当に取るに足らん人間やと思う。
「小泉の政治手腕が云々かんぬんで、小泉はなかなかやる」とかいう論も見る
んですが、でも、取るに足らない人間ですよ?
てか、小泉を「取るに足らない」としなければ、日本の人間の基準が
ボロボロになって、ますます日本の精神的空洞化が進むような気がする
ここはひとつ、小泉は「取るに足りない」として棄却したい。
存在自体を棄却したい。
つまらないものを過大評価すれば、それだけつまらないものがのさばるねんし。
田中角栄を過大評価して日本から「品」が著しくなくなったように、
小泉を過大評価すると、日本から「格」と「情」がなくなると思う。
それはなんとしても、勘弁していただきたい。本当に、本当に、本当に

郵政民営化と靖国参拝と

2005-10-19 02:41:09 | 日々のどうでもよさげな記録
ネタが古いといわれるかもしれませんが、郵政民営化が可決されましたね。
念願かなって、小泉はこの後どうするんでしょうか?
外国資本の株式保有率を制限する法律はできるんでしょうか?
今後の動向が注目されます。

ついでに、って訳ではないけれども、小泉が靖国を参拝しましたね。
こんなこと話題にするのも癪というか、小泉の意思ではなくて、誰かに言われて
やってんだろーなー、というのが見え隠れするんですが、一応、首相の
靖国参拝について意見すると、これには大きく分けて二つの問題があるという。
1つは、アジア諸国(特に中国、韓国)の反発という外交問題と、政教分離という
国内問題と。

まず国内問題である政教分離からいくと、学説の強い反対にもかかわらず、
最高裁の判断基準は「目的効果基準」といって、その行為がある宗教の援助、
助長、促進し、他の宗教を圧迫、干渉を加えるものでないかぎり違憲ではない、
というのがスタンダードでして、じゃあ、首相の靖国参拝はどうなの? 
というと、政教分離違反であるとして正面きって争われたことはない(よう)です。
なんでか、というと、「訴えの利益」といって、違法行為によって具体的な
法的侵害を受けた件に関して裁判所は審判を下すのであって、なんの法的侵害も
受けていない件に関しては「訴えの利益が無い」として、裁判所は審判を
下さないようになってるからです。
靖国参拝が違憲だとしても、それで誰か具体的に法的に被害を受けてる人がいるの?
といわれると、なかなか辛いところです。
過去に、「平和的生存権がおびやかされた」「精神的苦痛を受けた」
として訴えたものもあったようですが、棄却されてます。
法的侵害は結局のところ差止め、もしくは損害賠償請求するしかないんですが、
靖国参拝が賠償するほどのものか? というところで、どうしても負けてしまう。
継続的に行われてることではないので、差止めもできない。
判旨には「違憲の疑いがある」とは言及されてるんですが、結局は棄却です。
だから、靖国参拝の政教分離違反に関しては、裁判所の判断はあてにはできないのです。
これは、国民ひとりひとりが考えて、自分の意見を言うしかない。

で、国外の問題ですが、これはA級戦犯の合祀がどうの、という問題ではなくて、
外交路線の問題だと思うんで、それに関しては「外務省の問題だ」と思う。
てか、アメリカと中国・韓国の綱引きだと思う。「どっちを向くの?」と。
靖国参拝をアメリカは喜んでると思うんですよ。てか、今回の小泉の靖国参拝は
アメリカからの指示か応援があったと思う。
テレビでは「先の大戦の正当化」とか「軍国主義化懸念」で中国、韓国は反対してる、
とか言ってるけど、それは単なる建前で、本音は日本が中国や韓国などアジアに
そっぽむいてアメリカ一筋になるのを懸念してるんだと思う。
靖国に祀られてるのは中国や韓国を侵略しただけでなく、アメリカに攻撃を
加えた人たちも祀られてるわけで、どうしてアメリカは反対しないんだろうと
思うけど、そういうことなんだろう。
靖国参拝を好ましく思ってる人たちは日本のアイデンティティの回復を
思ってるのかもしれないけど、事はそう簡単ではないと思う。