生まれてから死ぬまでの記録

人生とは、生まれてから死ぬまでの間のこと

阪神優勝目前で道頓堀は厳戒態勢

2005-09-29 20:29:41 | 日々のどうでもよさげな記録
仕事が終わり、道頓堀のTSUTAYAでCDでも借りて帰るべ、と御堂筋を
道頓堀へと歩いていたら、道頓堀前に警察車が止まりまくりで、
御堂筋の1車線を完全に埋めてて、3メートル置きくらいに警察官が
立ってるんですよ。
世情に疎い私は、何があったのかさっぱり分からなかったのですが
道頓堀に入り、「阪神優勝」のハッピを着た兄ちゃん達を見てやっと理解できました

道頓堀TSUTAYAは、人が飛び込みまくりでお馴染みの橋(通称ひっかけ橋)前に
あるんですが、TSUTAYA前から撮った写真がアップした写真です
水色の服着た人たちが警察官で、その後ろにある白い壁が、
道頓堀川を封鎖しているフェンスです
(ひっかけ橋は写ってませんが、位置としてはこの写真の右側に、
この写真の奥に伸びるようにあります)
これを超えて飛び込むこと事態、至難の業だと思うのですが、
ひっかけ橋上をちらりと見た限りでは、警察官がびっしり立ってて、
「立ち止まらないで下さい」と始終アナウンスされてて、通行以外は
なにもできない状態です。
普段はネオンをバックに写真撮ったりできるんですが、今日は無理
大阪府警の威信(そんなものあるのか疑問ですが)にかけて、
誰一人飛び込ませない、という気概に満ちてます
これ、飛び込もうとしたら、警察官にぼこられまくりそうな感じです

ひっかけ橋は、戎橋筋・心斎橋筋という商店街にある橋で、
阪神優勝が決定したら、その商店街の店は即刻店を閉める、とか
言われてた(阪神ファン・偽ファンが暴れまくるから)んですが、
どうなんでしょう?
これだけ警察官が出動してたら、大丈夫なのではないだろうか?
私が通行したときはみんなのどかに営業してましたけど

それにしても、85年阪神優勝の時は、カーネルサンダースが道頓堀川に
投げ込まれたのが話題になったくらいで、実際飛び込んだ人はごくわずか
やったのに、それがいつの間に、阪神優勝=道頓堀暴動、みたいに
なってしまってんやろう?
いややわー

自民党・憲法改正案に激しく萎える~公の秩序なんてクソくらえ

2005-09-28 22:51:40 | 日々の結構重要なような記録
憲法改正投票法案についての書き込みにトラックバックをたくさんいただいて、
全部見てみたら、大変勉強になりました。
自民党の憲法改正案の条文も読みましたけど、自民党員も、そして日本国民の
皆様も、あまり憲法をよくわかっていないような
自民党案では「公共の福祉」を「公の秩序」に変えてたりするんですが、
これなんて、憲法学者は怒り狂ってると思いますよ。私は怒ってますけどね

憲法は、国家権力からの自由を保障するための法律で、その核となるのが
基本的人権です。この基本的人権は、憲法によって保障されているものではなく、
「自然権」といって、法律で保障されるまでもなく、誰もが生まれながらに
持っているもので、それを憲法は成文化したにすぎない。
つまり、憲法>基本的人権、ではなく、基本的人権>>>憲法、なわけです。
その基本的人権を制限するものが「公共の福祉」ですが、「公共の福祉」の
一声でなんでもかんでも制限されたら基本的人権の意味ないじゃーん
なので、憲法学者はいろいろ考えて考えて、「内在制約説」といって
公共の福祉は、国家が人権を制限できる原理ではなく、他の人権との衝突を
調整し、共存するために人権が内在的に持っているものである、としたわけです。

も一度書きますが、公共の福祉は国家が人権を制限するための原理ではなく、
衝突の調整、共存のために人権に内在されてるものです。
それが、「公の秩序」て・・・
国家が人権を制限するための原理に後退してますやん
(昭和20年代は、公共の福祉は「外在制約説」といって、人権を制限するための
ものとして運用されてました)
これじゃあ昭和20年代に逆戻り&それで固定化されてしまう。
とんでもないっすよ

怒りを通り越して萎えるわ・・・。

他にもトラックバックを読んで、いろいろ感じた・考えたことがあるんですが、
多すぎて上手くまとまりません。
おいおい書いていきます。
とりあえず本日の締めは「公の秩序なんてクソくらえ」ということで

ちょっと朗報

2005-09-28 22:29:26 | 日々のどうでもよさげな記録
昨日愚痴った件ですが、来月からの座席表が回ってきまして、見たら
その気のきっつい人とは席が遠いんです
なんとかやっていけるかも~
同じ部署であることには変わりないんですけどねー、まあ、なんとかなるかもしれない。
希望は捨てたらいかんね

全くの愚痴

2005-09-27 22:14:59 | 日々のどうでもよさげな記録
おそらく、このブログ史上(っても3ヶ月だけど)、最もどうでもいいこと。
愚痴になるんですけど、私の仕事の部署が大きくなって、「事業部」に
なるんですよ。でね、新しく人が入ってくるんですが、そこに今月末で
辞めるはずだった、気のきっつい人も入ってくるんですよ
あんた、辞めるはずやったんちゃうんかい

その人のほうが先輩で、他部署の人で、時々接触があって
「気のきつい人やなぁ」とか思ってたら、その人と仕事することに
なっちゃって・・・。来月から・・・。
なんちゅーか、自分に満たされないものがあって、それを仕事で満たそうと
してる人って感じで、そういう人苦手だし、嫌いなんだよなぁ
「どうしてみんなもっと頑張らないの」みたいなさ。
それは、あなたよりみんな満たされてるからですよ、っての。
なまじ仕事が出来る人だけに、周りも止められないからなぁ。

どうなるんやろう、来月から・・・
乞うご期待

めっきりブログの更新が止まってしまったら、この件やと思ってもらって
いいと思います。ううう・・・。

憲法改正国民投票法案の誤解について

2005-09-27 00:01:58 | 日々の結構重要なような記録
トラックバックが2こもついてて、早速みてみたら、皆さん結構誤解されてるような
この法案が通ったらブログでの発言も規制されるとか、憲法改正についての
集会を開いただけで刑罰対象、とか思ってるみたいですけど、
そうではないでしょう? 私の読みが甘い?

まず、規制されるのは、「報道」であって、個人の発言ではないので、
ブログは問題ないと思います。ただ、
「報道の自由は表現の自由を規定した憲法21条の保障の元にある」と
最高裁は平成2年7月9日第二小法廷で明言してるわけですから、
それに対して「真っ向・言論弾圧」なこの法律はいかんやろ、と。

また、集会を開いたたけで刑罰対象と言うのも、第80条だけを見て言ってるような。
ちなみに第80条は

第八十条 多衆集合して第七十五条又は前条の罪を犯した者は、
     次の区別に従って処断する。
 一 首謀者は、一年以上七年以下の懲役又は禁錮に処する。
 二 他人を指揮し、又は他人に率先して勢いを助けた者は、
   六月以上五年以下の懲役又は禁錮に処する。
 三 付和随行した者は、二十万円以下の罰金又は科料に処する。

刑罰対象になるのは第75条、または第79条に多人数で違反した時であって、
多人数が集合しただけで刑罰対象、ではないです。
じゃあ、75条と79条はどんな法律かと言えば、

第七十五条 国民投票に関し、次に掲げる行為をした者は、
      四年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。
 一 投票人又は国民投票運動をする者に対し暴行若しくは威力を加え又は
   これをかどわかしたとき。
 二 交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄し、
   その他偽計詐術等不正の方法をもって国民投票の自由を妨害したとき。
 三 投票人若しくは国民投票運動をする者又はその関係のある社寺、学校、
   会社、組合、市町村等に対する用水、小作、債権、寄附その他特殊の
   利害関係を利用して投票人又は国民投票運動をする者を威迫したとき。

第七十九条 国民投票に関し、次に掲げる行為をした者は、
      四年以下の懲役又は禁錮に処する。
 一 投票管理者、開票管理者、国民投票分会長、国民投票長、立会人又は
   監視者に対して暴行又は脅迫を加えたとき。
 二 投票所、開票所、国民投票分会場又は国民投票会場を暴行又は
   威力を用いて混乱させたとき。
 三 投票、投票箱その他関係書類を抑留し、損ない、又は奪取したとき。

つまり、80条は集団による投票の妨害や脅迫に対して罪を定めてるものです。
よく読めば75条の「威力を加え又はこれをかどわかしたとき。」ってのが、
解釈次第では言論弾圧にもつながりそうですけど、全体を読むと、
言論弾圧には繋がらないと思います。
裁判官はただただ文面から判断するのではなく、その法理から判断しますので、
さすがにそうそう政府の都合よくは運用されない、と思います。

私が「これはヤバイ」と危惧してるのは、繰り返しになりますが、
表現の自由は憲法でも最も厳格に守られるものであり、報道の自由は
表現の自由と同じだよ、と最高裁は言ってるわけで、それがこんなに
明白に踏みにじられたら、憲法の一体何が守られるの? ってことです。
決して、個人の表現の自由が危ない、とは思ってません。
ただ、改憲前にして「日本国憲法の危機だ」と思います。

憲法改正国民投票法案はヤバイ・マズイ・絶対反対

2005-09-25 14:35:59 | 日々の結構重要なような記録
呑気にブログを散歩してたら、あらっ こんな法案が国会に提出される
かも、なんですが、これは本当にヤバイ 
憲法改正国民投票法案といいます。
特にヤバイのがこの部分

(第六十九条) 新聞紙(これに類する通信類を含む。以下同じ。)又は雑誌は、国民投票に関する報道及び評論において、虚偽の事項を記載し、又は事実をゆがめて記載する表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。

(第七十条) 何人も、国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者に対し、財産上の利益を供与し、又はその供与の申込み若しくは約束をして、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載させることができない。

2 新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者は、前項の供与を受け、若しくは要求し、又は同項の申込みを承諾して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載することができない。

(第七十一条) 日本放送協会又は一般放送事業者は、国民投票に関する報道及び評論において虚偽の事項を放送し、又は事実をゆがめて放送する等表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。

「朝日の好き勝手には報道させん」という強い意志が感じられる
なんて呑気なこと言ってる場合じゃないですね。言論弾圧ですやん
何が「虚偽の事項」「事実をゆがめ」かは、それも含めて国民に考えさえせる
べきじゃないですかね? 
そのために表現の自由はこれを保障してるわけでしょ、憲法は。
これは、本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に、いかんヤバイ
こんなもんが通ったら、改憲前にして、日本国憲法は死んだね。
表現の自由って、憲法でも最も厳格に守られるべきものなのに。
大体、表現の自由に「濫用」なんて、名誉毀損的なこと以外にありえるの?
国家権力が表現の自由に「濫用」を持ち出すって、すごーーーく変だ

日弁連はこれに強く反対してて、そりゃそうだろ。法律ド素人の私ですら、
これが著しく・激しく・猛烈に憲法違反だということがわかるもん。
こんな間抜けというか、恐ろしい法律、中山太郎が作ったそうで、ほんまに、
これが可決したらどうしてくれよう中山太郎

てか、提出されたなら可決されるよなー。自民・公明で衆院の2/3以上だもん。
参院で否決されても、再び衆院で2/3以上で可決されたら、それで通りますから。
憲法59条ですよ。

今のとこ、民主と協調目指すとのことで、まだ提出されてない(憲法改正発議
には衆参2/3以上の賛成がいるけど、与党は参院で民主なしでは2/3をとれない
からか)けど、提出されたら可決されるよ~。

立法府って、立法府たる資格がないと思ってたけど、こんなバカな法案を
作って提出しようとするか 
自民党に投票した奴 お前ら、もっと、勉強しろ バカッ

ブログの本旨~なぜ「交流する」は難しいか

2005-09-25 11:58:05 | トラックバックの記録
今日は近所の小学校が運動会で、その音が風に乗って聞こえてくるんですが、
最近の小学校は運動会でオレンジレンジが流れたりするんですよ。以心伝心とか。
朝っぱらからご陽気過ぎる 
という訳でご陽気に目が覚めましたよ、覚めましたとも。
で、あまりにご陽気なんで朝っぱらからブログを見てたら、「おお」と思う、
ブログがあったんでトラックバックです。

ブログって何をどこまで書いていいのやら、よくわからん、ということを
以前書いたけど、言われてみれば、ブログって交流するためのツールですね。
でも、確かに発信すること・書くことが一番の目的になってますね。
なんでかっつーと、誰もコメントしてくれないんだもん
何事かに当たるにあたって「誰それが○○してくれないから」と他人のせいに
するのは結局自分を不幸にするだけだということはわかってるつもりですが、
でも、当初の頃を思い出すと、「コメントついてないかなー」と
楽しみにしてたのに、今は学習機能がバッチリ働いて全然期待してないですから。
でも、発信して、それをちゃんと読んでる人がいる限り、一方的ではあれ
交流になってるかな、と思ってせっせとブログ書いてる、ってとこかな。

「交流する」のは「発信する」より難しい、とありますが、まさにそうだと思う。
コメントつけるのは難しいんですよね。ましては、トラックバックは
なんで難しいかというと、「不快な気分にさせないかな?」という遠慮があるから
ですね。結構気をつかうし、それなら書かないほうが楽なんですよね。
人はそれを「自己完結」と呼ぶわけですが
「自己完結」って悲しいけど、日本には「察しが悪い」という恐ろしい言葉も
あってですね、自己完結と察しが悪い、どっちか選べといわれれば、
大抵の人が自己完結を選ぶ、という図式になってるんだと思う。
そして自己完結を元に、発信一方になるのでしょう。

でも、ブログでちゃんと交流してる人達もいてるんですよ。
ハムスター飼ってる人たちとか、りらっくま集めが趣味の人とか。
でもね、読んでると、これって本当に交流かな? と思います。
あれはこうすればいいだの、これはどこでどうゲットしただの、それを
「ふんふん」と読んでコメントして、結局、他人が一情報に収斂してしまってる。
一情報に対してなら、いくらでも遠慮なくコメントできるんですよね。

ここまでくると現代日本コミュニケーション論になってくるけど、どうして
他人が一情報にならないと交流できないとかというと、日本人って結局
「自分」がいたって脆弱だからだと思う。

私にはすごく気のおける友達と気のおけない友達がいて、気のおけない友達は
いたって「自分」がはっきりしてる。
こっちが何か言っても、いいものはいい、駄目なものはダメ、とはっきりしてる。
だから声かけやすいし、こっちも反省すべき点がよく分かる。
それに対して気のおける友達は、こっちが誘ってもあいまいで、はっきりしない。
で、「どうなってるの?」とか催促すると「察しが悪い」と陰で言われたり
するんですよ。日本って恐ろしい国ですよー
「自分」の脆弱さを他人に「察しが悪い」って言葉で責任転嫁できるんだから、
いいご身分だよなぁ はっきり、嫌いだ、こんな人間。
でも、さすがに私も日本に生きているので、そういう人たちとも「交流」したりするんですが

じゃあ、どうして日本人は「自分」が脆弱なの? と考えるタネはつきない
んですが、いい加減長くなってきたので、今日はもうやめておきます。
ただ、日本は言葉と「自分」の乖離が激しい国だから、ブログで交流って
できないと思う。他人を一情報に収斂させて、情報交換を「交流」と思うのが
関の山じゃないかな? 
一部の「自分」がちゃんとある人たちだけが交流できると思います。

最近ブログの新規登録がすごい勢いで増えてて、このgooブログでも、私が
このブログを始めたころ(今年7月)は「25万突破」と喜んでたのが
今34万ですからね。毎日7000くらい新規登録されてるんですよ。
すごい勢いなんですが、それが日本のコミュニケーションや日本人の自我の
あり方が大いに変わってきたのか、単なる流行なのか、気になるところでは
あります。

国勢調査で考え中

2005-09-24 21:59:54 | 日々のどうでもよさげな記録
10/1国勢調査に向けて、どこの誰とも知らんおっちゃんが用紙を持ってきてて、
「鉛筆で書かなあかんらしいけど、鉛筆持ってないからあんた書いて」と
母親に記入を一任されました。

国勢調査って別に嘘を書いてもいいんですよ。
高校の時の友達は6帖1間の家に家族4人と留学生5人が住んでることにしてました。
用紙1枚に4人までしかかけないので、友達のような嘘はかけないけど、
どんな内容にしようか考え中

そごう寄席 in そごう劇場

2005-09-24 00:11:00 | ライブの記録
そごう心斎橋本店に出来たそごう劇場の杮(こけら)落とし落語です。
3日に渡るイベントの初日なので、本当に杮落としです。
出演は、桂吉弥、桂雀松、桂米朝、桂千朝、桂南光です。豪華だ

まず、会場が14階にあるんですが、エレベーターもエスカレーターも長蛇の列で
そごうに地下入り口から入って、会場に着くまでに25分くらいかかった
大体、地上14階(屋上含めると15階)・地下2階のデパートがエレベーター
4基(しかも小さい)しかないって、その時点で設計ミスだと思うんですけど。
いくらエスカレーターがあるったって、14階までエスカレーターで移動する気は
起こらんよ。8階くらいが限界じゃないかな?
上層階(9階以上)用にあと3基はエレベーターが欲しいところだったと思う。
そごう劇場自体も、座席が分かり辛い これも何とかしてほしい。
劇場のつくり自体は可もなく不可もなく。

肝心の落語なんですが、これはみんなよかった
落語って、つくづく上機嫌な芸能だと思う。
こういう文化を生んだ江戸時代を本当に本当に尊敬する。偉大な時代だ

桂米朝が80歳ということを今日知った。
席が前の端のほうだったんで、出を待つ落語家の姿が見えたんだけど、
米朝の待ち姿がなんともりりしい、というか、「すんなり」というか、
いさぎよい、というか、うまく表現できないけど、実は今日の落語で
一番印象に残ってるのは出を待つ米朝の姿だったりする。
舞台に対する緊張や集中力が本当にうまく調整されて、力みすぎず、緩みすぎず、
ほどよい感じを、出を待つ姿に感じた。
格の違いが立ってる姿だけでこんなに違う・わかるものかと思った。
舞台は膝が痛いということで椅子に座っての落語で、「もう年なので
長い演目はできない」と言って、本当に短いものを何本かやって、どれも本当に
何気ない感じでした。が、その何気なさは修練の賜物なんだろうなぁ。

桂枝雀が、私はすごく好きで、独特ののんびりとしたとぼけた語り口に
「この人はこういう人なんだ」と思ってたら、鬱病で自殺してしまって、
とてもとても驚いた。
とても努力家で自分に厳しすぎるくらい厳しい人だということもその後知った。
落語は本当に本当にすごい芸能だと思う。

落語論はやってみたいけど、今回は遠慮しておきます。時間かかるし
ただ、こんなすごい文化を生んだ江戸時代は本当にすごい時代だと思う。
落語はCDも出てるし、夜中にテレビでもやってたりするけど、ライブが一番です。


浮気する男の気持ちと運命の人

2005-09-21 21:18:31 | 日々のどうでもよさげな記録
今朝、はたと気がついたんですが、愛用の香水があとちょっとしかないんです。
「また買わな」と思う一方で、「もっとええ香水ないかな?」と思ってしまう。
そして思う。「浮気する男の気持ちもこんなもんなんだろうな」と。

香水が好きで、友達からもらったものも含めると20種類以上は持ってます。
買ったりもらったりした時はうれしがってしばらくつけてるんですが、
しばらくすると愛用の香水に戻る。こうしてかれこれ6年くらい同じ香水を
スタンダードとして使ってます。
どうしてこの香水に戻るのか、自分でもよくわからないんです。
もちろん好きは好きなんですけど、他にも同じくらい好きな香水はあるんです。
ただ、「落ち着く」というか、「やっぱこれだ」と思うのは愛用のものだけです。
自分が使ってない香水を他の人がつけてるのを匂うと、「いいなぁ」と
思うんですけど、でも、自分がつけるには、なんか自分自身がしっくりこない。
愛用ちゃんが一番なんです。「なんかええ香水ないかなぁ」と思いつつもね。

これって、この香水が私にとって運命の香水なんだなぁと思う。
ちなみに愛用の香水が一番最初に買った香水なんです。
一目惚れならぬ、一嗅惚れでした。
初恋にして運命って、なんて幸せな出会い
にもかかわらず「他にええのないかなぁ」と思ってしまうのも含めて、
浮気する男の気持ちってこういうもんなんだろうなぁと思う。
う、浮気する男を責められない・・・

私にとって香水は、私の一部であり、癒しでもあるんですが、こういう位置付けも
男にとっての女っぽいよなぁ
そうか、じゃあ、最終的に選ばれる女は「落ち着ける女」ってことか。
そんなことわかったところで、どうしようもないねんけどさ