大庭健著、講談社現代新書です。
最近、倫理とは何だろうか、と思うことしきりなので、倫理学系の本を
読んでます。
この本は私は大変わかりやすく、面白く読んで、世の人々はこれをどのように
読んだのだろうかと思い、アマゾンの書評を読んだら、評判わるっ!
でも、その書評のほとんどどれもが、私にとっては的外れで、
これは発言したいなと思って、自分のブログに書く次第です。
まず、
>表題の「責任」を解き明かすかのようなタイトルでありながら、 何もはっきりとさせていません。
という内容の書評が二つ。
でも、倫理学ってのは、それぞれがそれぞれの倫理を確立させるための
ものであって、「これが答えだ!」ってなものを提出するものではない、
と思うんやけどなぁ。哲学もしかりです。
ヒントや考え方のガイドになればいいわけで、この書評を書いた人たちには
ヒントにすらならんかったのか。
次に
「歴史問題に関してあまりにも無知」
というご意見で、この本は日本の戦争責任についても1章をさいて、ドイツと
比較しながら言及してるんだけど、
>しかも肝心の、「戦後生まれの日本人に、「戦争責任」はあるのか」は、完全にスルー。「戦争中の一兵卒」の問題などより(もちろん、この問題を「どうでもいい」というわけではないが)、この問題が、今、そして今後、最も重要であるのは言をまたないのに、である。
という意見に関しては、いや、本の中で、30年前に発行された社債の返還責任が
現在のその社にあるのと同様、責任あり、とはっきり書いてるけどなぁ。
>「戦後生まれ(の中国人・韓国人)」が「戦後生まれ(の日本人)」の「戦争責任」を追求するということは、はたして可能なのか。こうした問題に答えるには、「倫理学者」には、荷が重すぎた、ということなのか。
って、これも殆ど本の中で答えられてると思うけど。
構成員が全員代わろうと、組織が継続しているなら、その構成員に組織の責任が
あるのと同様、自分がこうむった損害じゃなくても、その責任を追及することも
できると思うけど。
時間が経つと、いろんな要素が加わって、何が原因でどこに責任があるんだか
わからなくなることもある(バブル以降の不景気がまさにそれだな。
バブルが悪かったんだか、バブル以降の経済政策が悪かったんだか、
よう分からん)けど、そういう風になったなら、当時責任の所在をはっきり
させるべきだったのに、所在をはっきりさせなかった人間にも、
「現状のわけのわからなさ」の責任があると思う。
(バブル以降の不景気を例にとると、バブルの責任は誰に?という問題と、
崩壊直後にその責任をはっきりさせなかったのは誰?
というもうひとつの問題がある、ってことね)
私の個人的な見解では、戦争責任は、そういう2重の責任論が混乱してると
思う。
現状の訳のわからなさ、に対しては、現代の日本人も責任を追及できると思う。
そうやって過去の日本人に対して責任を追及すれば、日本がどれほどの
責任をとったのかがわかると思うし、その責任の取り方を現代の日本人が
どのように評価するかは、またその時の倫理観によるんやろうけどねぇ。
私は、日本の戦争責任の取り方は甘いと思うし、その元凶として昭和天皇が
あると思う。
昭和天皇は、戦争責任自体よりも、戦争責任問題をこれだけややこしくした責任の
方が重い、と思うけどなぁ。
話はそれたけど、戦争責任などの組織の責任論には、倫理学は不向きという
書評が2つあったけど、そうかなぁ?
この本の中で、ちゃんと言及されてますし、私はそれに納得ですが。
組織といえども、人間がつくってるものであって、そんな中での個人の責任と
継続している組織の責任がちゃんと考察されてたいい本だと私は思う。
最近、倫理とは何だろうか、と思うことしきりなので、倫理学系の本を
読んでます。
この本は私は大変わかりやすく、面白く読んで、世の人々はこれをどのように
読んだのだろうかと思い、アマゾンの書評を読んだら、評判わるっ!
でも、その書評のほとんどどれもが、私にとっては的外れで、
これは発言したいなと思って、自分のブログに書く次第です。
まず、
>表題の「責任」を解き明かすかのようなタイトルでありながら、 何もはっきりとさせていません。
という内容の書評が二つ。
でも、倫理学ってのは、それぞれがそれぞれの倫理を確立させるための
ものであって、「これが答えだ!」ってなものを提出するものではない、
と思うんやけどなぁ。哲学もしかりです。
ヒントや考え方のガイドになればいいわけで、この書評を書いた人たちには
ヒントにすらならんかったのか。
次に
「歴史問題に関してあまりにも無知」
というご意見で、この本は日本の戦争責任についても1章をさいて、ドイツと
比較しながら言及してるんだけど、
>しかも肝心の、「戦後生まれの日本人に、「戦争責任」はあるのか」は、完全にスルー。「戦争中の一兵卒」の問題などより(もちろん、この問題を「どうでもいい」というわけではないが)、この問題が、今、そして今後、最も重要であるのは言をまたないのに、である。
という意見に関しては、いや、本の中で、30年前に発行された社債の返還責任が
現在のその社にあるのと同様、責任あり、とはっきり書いてるけどなぁ。
>「戦後生まれ(の中国人・韓国人)」が「戦後生まれ(の日本人)」の「戦争責任」を追求するということは、はたして可能なのか。こうした問題に答えるには、「倫理学者」には、荷が重すぎた、ということなのか。
って、これも殆ど本の中で答えられてると思うけど。
構成員が全員代わろうと、組織が継続しているなら、その構成員に組織の責任が
あるのと同様、自分がこうむった損害じゃなくても、その責任を追及することも
できると思うけど。
時間が経つと、いろんな要素が加わって、何が原因でどこに責任があるんだか
わからなくなることもある(バブル以降の不景気がまさにそれだな。
バブルが悪かったんだか、バブル以降の経済政策が悪かったんだか、
よう分からん)けど、そういう風になったなら、当時責任の所在をはっきり
させるべきだったのに、所在をはっきりさせなかった人間にも、
「現状のわけのわからなさ」の責任があると思う。
(バブル以降の不景気を例にとると、バブルの責任は誰に?という問題と、
崩壊直後にその責任をはっきりさせなかったのは誰?
というもうひとつの問題がある、ってことね)
私の個人的な見解では、戦争責任は、そういう2重の責任論が混乱してると
思う。
現状の訳のわからなさ、に対しては、現代の日本人も責任を追及できると思う。
そうやって過去の日本人に対して責任を追及すれば、日本がどれほどの
責任をとったのかがわかると思うし、その責任の取り方を現代の日本人が
どのように評価するかは、またその時の倫理観によるんやろうけどねぇ。
私は、日本の戦争責任の取り方は甘いと思うし、その元凶として昭和天皇が
あると思う。
昭和天皇は、戦争責任自体よりも、戦争責任問題をこれだけややこしくした責任の
方が重い、と思うけどなぁ。
話はそれたけど、戦争責任などの組織の責任論には、倫理学は不向きという
書評が2つあったけど、そうかなぁ?
この本の中で、ちゃんと言及されてますし、私はそれに納得ですが。
組織といえども、人間がつくってるものであって、そんな中での個人の責任と
継続している組織の責任がちゃんと考察されてたいい本だと私は思う。