夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

朝ドラ「カーネーション」  洋裁の思い出 

2011-10-29 15:48:51 | Weblog

 ファッションデザイナー小篠ひろ子・じゅん子・みち子さん3姉妹育てた
母で 同じくデザイナーの小篠綾子さんがモデルの
朝ドラ「カーネーション」 
が始まって1ヶ月が経ちました。 尾野真千子さんがヒロイン絲子さんを
演じて
います。
                        ミシンを前に
絲子さん
                  
         小篠綾子さん           
 コシノ3姉妹
                  
               
モデルの実家
             

  昭和5,6年ごろが今の舞台ですが。わたしが生まれる少し前です。やはり
 まだ着物が多かったのかも分かりません。
わたしの母も 昭和20年頃まで
 着物で過ごしていました。夏だけアパッパを着ていたようです。

  わたしも子供の頃家では結構着物を着せられていました。学校へは洋服
 でしたが・・・・母が和裁の内職をしていて着物は仕立て直しでよかったのです。
 戦争が激しくなるまではお正月には振袖での初詣、夏の風呂上りは浴衣でした。

  洋服も手縫いで作ってくれました。我が家にミシンが来たのは姉が女学生
 なってからで、小学生のわたしはなかなかミシンに触らせてもらえませんでした。
 戦時中に義姉(兄 戦争で外地)が、土地の先生をしながら洋裁が上手く、
 着物 を解いて洋服やもんぺ、頭巾、非情袋など作ってくれました。この人は絵
 も字も音楽も全てに器用でした。

  戦後中学生になってからミシン使用が出来、エプロンに始まり、スリップ
 等作った思い出があります。
昔のミシンは下糸を入れる釜の部分があり、
 時々からませてしまい、分解しなければならないこともあり難儀しました。
          
足踏み式ミシン  (シンガーミシン)
      

  就職してから夜間に洋裁教室に行きました。今の様に既製服は無い時代
 ですから、全て作らなければ着られないのです。当時
服飾界は田中千代さん
 の「文化服装学園」と杉野芳子さんの「ドレスメーカー杉野学園」が主流で
 した。わたしの方はドレメ系でした。

  1年あまり通っただけでしたが、自分の洋服や家族のものはかなり作りま
 した。ミシンも何台も買い換えましたが、・・・・・
はそのミシンすら2~3年
 前に
手放しました。ちょっと淋しいですが、殆ど作ることなくサイズ直し
 程度ぐらいですから、手縫いでも出来ます。 

  自分で作ることの楽しさを味わい(子ども物もかなり作った)良き時代で
 した。作った物への愛着があり、捨てがたい思いもあります。



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