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夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

TV 終戦特別企画 「硫黄島からの手紙」映画

2009-08-15 21:25:44 | Weblog

     映画「硫黄島からの手紙」は3年近く前に映画館で観ました。
   8月15日終戦記念日の特別企画としてテレビで放映されました。

  再度観てみました。アメリカのイースト・ ウッド 監督の
  「父親たちの星条旗」の2部作で、日本を主として描き、主演 も
  日本の俳優による作品でした。 渡辺謙 主演

   
  硫黄島 小高いのが擂鉢山ーここに
          米軍は星条旗を掲げた
     
          
                               
   東京都に所属し世田谷区の半分にも満たない硫黄島、 ここで
   日米あわせて8万人 もの兵士が戦をしたのです。

     19年6月に栗林中将が指揮官として硫黄島へ降り立った時
   からのドラマで、サイパン陥落後、硫黄島へと上陸してくる米軍
   との凄絶な戦でし た。そのさまは筆舌には尽くせません。
           

   戦場にあっても兵士 たち、栗林中将、 西中佐(オリンピック
   馬術優勝者)の人間性は温かいものがあり、胸をつかれました。
           
   栗林中将(渡辺謙)     西中佐(伊原剛志)  伊藤少尉(中村獅童)

   戦のない時は家族へ手紙を書き送り妻へは細かい指示までして
   いたようです。

   5日で墜ちると思われた硫黄島が36日間も戦い尽くしたのは、
   栗林中将の
   「最後の1人になっても戦え。」
  
と自ら死んでいくこと(万歳戦争・・投降、米軍に射殺される) を禁じた
     からでした。
       ・・・何のために戦うか?・・・ 首都東京を守るためでした。
    硫黄島はサイパンと東京の中央に属し、東京への射程距離
    だったからです。 (東京への防波堤)

     空爆、地上からの爆撃戦は思わず目を覆いたくなるほどの
  すさまじさで、 スケールの大きな撮影を感じました。

   「予は常に諸子の先頭にあり」
  と、最後400名の先頭に立ち、果敢 に立ち向かう姿は栗林中将
   の人間性、そして軍人としての1つの美学だったのです。
 
   アメリカに於いてさえ、敵将栗林総司令官は高く評価され、
   硫黄島の捕虜は特別扱いされたとのことです。

    映画では、最後傷ついた体に自ら拳銃(アメリカ留学の際
  もらったコルト)で自決しましたが、実際には、最後を見届けた
  者は1人も生還していない そうです。

      決別の電には
 
      「国の為重きつとめを果たし得て、矢弾尽き果て散るぞ 悲しき」
  が添えられていました。

    ラストシーン硫黄島にて発掘遺品の中の届かなかった手紙
   
数多く舞い上がり 涙しました。 


終戦記念日    甲子園 2回戦 9回ホームランが決めた勝利

2009-08-15 18:51:06 | Weblog

   64回目の終戦記念日を迎えました。当時10歳のわたしでしたが、
   玉音放送(天皇陛下の終戦宣言)は伏して聞きました。何故か涙が
   出ました。

   二人の兄の戦死はお国のためにとは言え、犬死としか考えられま
   せん。「NO」と言えなかった軍政(圧政)でした。

   今でこそ「核兵器廃絶」、「戦争NO」を如何なる場合にでも言わね
   
ばならないです。

       東京武道館では、全国戦没者追悼式が催され、わたしも12時の
    時報と共に黙祷を捧げました。
二人の兄も靖国に英霊として祀られ
    ていますが、実際にはビルマの地に土と化して眠っているでしょう

 
    兄達の分も、わたしは日本の平和をしっかりと見て生きています。

     甲子園  ー1発のホームランが勝利を分けた1試合ー
       
          

   今日の2回戦、第四試合華陵(山口)×立正大淞南(島根)
    8回まで0:0の投手戦を繰り広げていました。

   動いたのはは9回表華陵がデッドボールから、塁に出て、あわや
    1点をと思っていましたが立正の7番レフトの後藤君の見事なキャッチ
    で、点にはつながらず、9回裏ファインプレーの後藤君のホームラン
    が劇的な勝利となりました。延長戦になるやもと思っていただけに、
    すばらしい幕切れとなりました。

   華陵のピッチャーもすばらしいピッチングをしていただけに、この
   1発は無念の1投
 でした。