goo blog サービス終了のお知らせ 

Salem 3年日記

マサチューセッツ州セーラムに住み3年以上。

Audi ブランド戦略を体感

2011年10月15日 | Technology/産業/Business

Essex地方のHamilton付近の林と緑の中をドライブ中に、Tossyが車と馬が集まるイベントを発見。

去年と同じ乗馬クラブのイベントかと思い入ってゆき入り口のお兄さんに聞いてみると、

「今日はポロの試合があるんだよ、アウディがスポンサーだから入場無料・フードも無料・このパンフレットも全てフリーだよ」、フリーの言葉につられ見学をすることに。

入り口にはこのAudi Q7 が馬を搬送するカーゴルームを取り付けてお出迎え、その奥にはAudi A6 から A8L まで高級セダンの試乗車がずらりと並び試乗出来るようになっていた。ポロの試合見学者はもともとけっこう良い車に乗っているので、皆さん気軽に試乗してた。

最新、ほぼ最高級、もちろん革張り、後部座席でビデオモニターが見られる仕様になっている、日本価格で600万円から1,100万円程度か。日本ではお寺で発表会を行ったり大きなスポーツイベントのスポンサーになってブランド認知度を高めているようであるが、アメリカでのブランド戦略はズバリ富裕層狙いと見た。このようなポロ競技が出来るのは馬を2頭以上所有し練習出来る時間とお金の余裕がある家庭のみ。そのような層にポロ競技=アウディのイメージを植え付けるためにスポンサーになっている、テントの中にはおいしいケータリングの飲み物とドリンク類がふんだんにあり飲み放題食べ放題なんてスポンサー料金としては安いもの。

後ほど調べてみたが、この MYOPIA POLO CLUB はアメリカで最も古いポロ・クラブで、MIOPIAグループでHunt Club, Country Club ゴルフ場を運営している由緒あるクラブである、アメリカにも歴史有り。

また、参加者と見学者にHマークのセーターやジャケットを着てる人が多いと思ったら、どうもハーバードとエール大学の親善試合も行われるよう。両大学生は皆さん育ちが良くて、しかもスポーツをやっていて凛々しい顔立ち、これがアメリカの「1%」の側の人達かと実感。


コンサートにて、石井裕教授 MIT media Labo.

2010年05月08日 | Technology/産業/Business


5月2日、日本ーアメリカ交流コンサートの私のもう一つのお目当ては、MITメディアラボ教授の石井裕さんが「コンサートに寄せて」ということでお話しされるのを聞くこと。
コンピュータ・テクノロジーに興味が無いと知らない人も多いと思うが、Media Laboratory はMITの中でも大きな研究所で、石井教授はその中で Tangible(触れられる) Media という研究グループを率いていて、そのユニークな研究が注目されている。

石井教授のお話は、まず自分がコンピュータとコミュニケーションという研究分野で働いていることを話され、コミュニケーションとはいかに人の心に届くかが大事である趣旨のことを話された。
ルネッサンスアートが好きでイタリア・フィレンツエへ行くと、その時代の彫刻・絵画・建築はそれを見るだけで200年の時を超えて作者を感じることが出来、感動を与えてくれる。
ところが音楽はそれと違い楽譜が残されているだけ。その楽譜を現代の音楽家がていねいに解釈して、演奏して、初めて人に感動を与えてくれる「音楽」になる。
今日のように現代の最高レベルの音楽家たちの演奏を間近で見て、聞くことが出来るチャンスを与えて下さったことを感謝したい。

という内容を(覚え違いがありましたら、すいません!)日本語と英語で交互に判り易くお話しされた。

石井教授の研究内容の一部を判り易く紹介したテレビの一部がYouTubeにありますので見て下さい。
石井 裕(Hiroshi ISHII):MIT Media Lab., Part1 of 2


石井さんの言葉は心に問いかけるものがある。

「出過ぎる杭(くい)は打たれない」

「感動は何から来たのか、自分自身に問いかけよ」

「人生は短い、新しいことにチャレンジし、走り続けよ」

「未来を予言するベストの方法は、自らが発明することだ、とアラン・ケイは言った」

「新しいアイデアを出せ、しかしアイデアの90%はゴミだ、早く忘れて10%のアイデアを育てよ」

「僕の原点は若山牧水と宮澤賢治。キミも文学書を読みあさるのがいいと思うよ。」

「テクノロジーは1年でゴミになってしまう、ビジョンはもっと長く生き延びる」

「哲学をもっていないと人は生きていけない。その哲学は、そのあたりのおばさんにも子供にも理解できる普遍的なものでなければならない」

「未来を作るには燃料が必要。飢餓、屈辱、誇り、情念、問い、哲学。」

いやーすごいですね!

ナマ石井裕さんを前にTossyから「あなたなに興奮しているの」と言われるほどでしたが、Tossyに背中を押してもらい少しお話しし、サインをいただきました!ご本人は「いやー私はこのコンサートでは刺身のつまみたなもですから。クラッシック・コンサートの途中でお話するのは初めてでしたよ」とご謙遜。

◯◯さま  一期一会  石井裕  5/2/10

これで我が家の家宝ができました。 



りんごと iPad

2010年04月16日 | Technology/産業/Business


NamijiがiPadを持ちお出かけ、
ホテルでもWi-Fiがつながり、快適にメールチェックなどが出来たそう。
けどNamiji報告によればニューヨークの地下鉄、セントラルパークでもiPadを見せびらかしている人は見当たらず、アメリカで売れすぎて日本発売延期というはウソではないの、とのこと。


今のところダウンロードしたAPPは、いずれもアメリカのサイトからで、

IMDb; 映画とテレビのサーチ、俳優中心に検索が出来る

Wikipanion; Wikipediaをより便利に検索

KAYAK Flight; フライトとホテルのサーチとスケジュール作り

epi; 料理のレシピ集、iPadをキッチンへ持ち込み見ながらお料理できそう

Dictionary; 英英辞書と、類義語辞書

ABC Player; ABCテレビの有名番組が丸ごと見られる。なんと Lost も Ugly Betty もタダで!日本では見られないように規制があるでしょう

Bing; なんとなく入れる

Google Eath; iPhone用アプリだが画質はまあまあ

Voice Memos; タイトル通り

Pro Keys; もしもピアノが弾けたなら...iPhone用より音階範囲が広い

USA TODAY; 新聞、ニュース

Sudoku Tablet; 数独

iBook; 本、英語本なので私には無関係

Skype; iPhone用だけどスカイプもできますよ、ただしiPadにはカメラが無いので音声のみで楽しさ半減

Pandora; インターネット音楽ラジオ、別途詳しく

Numbers;(有料)エクセルを見るために

Pages;(有料)ワードを見るために

というところです。



iPad が我が家に

2010年04月07日 | Technology/産業/Business
アメリカでは4月3日に発売となったiPad、早速発売日にNorth Shore mall アップルストアで現物を確認した。お店は半分以上のスペースをこのiPad展示に使いPRして来店者も多かったが通常の休日程度でそれほどでもなかった。
iPadはお店では子供たちがゲームに夢中で、半分以上の展示品サンプルは子供に占拠されていた。その他、熱狂的なアップルファンと思われるMac OSXのTシャツを着た若者2人組がビデオカメラで勝手にiPad使用感を早口でしゃべりながら撮影中だったが、店員は何も言わずむしろ好意的。その隙間をぬってJunも新製品iPadに触れてみる。
丁度よい画面の大きさ、画面表示や立ち上げが本当に早い、液晶画面はきれい。どうせパソコンでもメール、インターネット使用がほとんどなのでこのiPadでも代替えは可能と思われるほど。しかし私は既にiMac, iPhone を持ってるのでさらにiPad まで買う必要性は無い、と判断した。



2日後の4月5日、なぜかそのiPadが家にある。現在、我が家に帰省、居候中のNamijiが買ってきた。買って初めて判るNamiji情報を皆様へご連絡。

・意外とすんなり買えた、在庫は充分作っていたようである
・買う時に thank you ではなく Congratulation と店員から言われた。
・開けてちょっとビックリ、取扱説明書は無い。だた、iTuneをインストールしているパソコンと接続せよ、質問有る時はアップルのサイトを見よ、ただそれだけ。アップル強気と言うべきか、使いやすいからそれで良いと言うべきか、、普通のパソコンの取説とは大違い。
・一番安い499ドルバージョンを買う、一切の値引き無し。16Gのフラッシュドライブはハードディスクと違い、早くてカチャカチャ言わず快適。16Gという容量は写真や音楽の保存には問題ないが、何本も映画を保存するには足りないかも
・写真をiPhotoスライドショーで見ると、ちょっと感動するほど出来が良い。
・iBook電子書籍がiPadのウリのひとつだが、いまのところ英語の本ばかりで日本人には興味を引かない。例えば青空文庫の作品をエキスパンドブック・フォーマットで読めれば良いのだが、それは今のところ対応していない。
・バッテリーの持ちは良いよう、10時間連続使用可能はうれしい
・薄くて、手で持つ、膝の上に乗せる、テーブルの上に置く、色々な場所で使える。Wi-Fi完備が必須条件では有るが。
・日本語へシステム変更もらくらく、最初からマルチ言語対応。
・日本へ持って帰って不都合はとの質問に、最初の何ヶ月は万が一故障しても日本では修理対応体制がないだろう、それくらいかな問題は、との回答。

など、など、
アメリカのメディアも新分野の商品で今後継続して売上げが伸びるだろうと好意的。しかし、Wi-Fi接続がうまくいかない、遅い場合が有るとの苦情が頻発しているとの話しもある。

アップル製品はいったんハードに問題が起きると、修理費がものすごくかかるので保険としてアップルケアに入っていた方が良いというのが経験上からお勧めします。


チョコレート研究所?

2010年02月04日 | Technology/産業/Business
アメリカ人はチョコレートとアイスクリームが大好き。
周りの日本人女性もTossy, Namiji 以外はチョコレート好きで、ケンブリッジの◯◯のチョコレートはおいしいとか、RI州の手作りチョコレートは素晴らしいとか、Marblehead の老舗チョコレート店は大統領へ献上したことがあるとか、、、おいしいチョコレート情報があふれている。

MITにチョコレート研究所がある??



IYさんがMIT記念食事会に招待されたおみやげとして、Tossy がチョコレートをいただいた。よく見るとラベルには何やら六角形の化学の亀の甲記号と共に"MIT LABORATORY FOR CHOCOLATE SCIENCE"と書いている、訳せば「MITチョコレート科学研究所」である。

MITには数多くの研究所があり、そこからノーベル賞受賞者や起業して有名になった人達もいる。特に有名なのは、
コンピュータ科学・人工知能研究所 (CSAIL)
メディア・ラボ(Media Lab)
である。
ところがこの「チョコレート研究所」の名前をMITのホームページで検索しても発見できない。アメリカのことだから、チョコレート会社が寄付をしておいしいチョコレートとカカオの秘密を科学的に研究しているのかとおもったら、、、、

、、、単なる学生たちのグループで、チョコレートについて語り・食べ・手作りチョコ作りをしているらしい。名前はMIT流のハックで、それに引っかかったか。
BOSTON.com の写真と記事

http://www.boston.com/lifestyle/food/articles/2009/04/08/at_mit_a_hunger_for_chocolate_knowledge/

中を開けて見たら、確かに少し不格好な手作りチョコだった。



あれから40年、時の経つのは...

2010年02月03日 | Technology/産業/Business
時の経つのは早いもの、誕生日になり私はまたひとつ年を取りました。自分が◯◯歳なんて信じられない。(信じたくないという意味ではありません)

これは私の勤める会社の受付で、そして壁にはなにやら変色した白黒写真が掲げてある。もっと近づいてみると例の月着陸した宇宙飛行士の有名な写真で何やらサインがしてあり Buzz Oldrin (バズ・オルドリン)と読める。古参社員の Tom によれば、このサインはオルドリン飛行士が月着陸の偉業を成し遂げてから数年後に直筆サインをしてもらった貴重なものだそう。





あれから40年と言うのは、アポロ11号が人類で最初に月着陸した1969年から40年、正確には40年と6ヶ月経ったということ。その頃の私は多感な◯◯歳、人類が宇宙へ飛び出して地球以外の星へ足を降ろして、しかもそれが白黒で非常に画質は悪いものの生中継で!という新鮮な驚きでテレビに釘づけだったのを覚えている。
月着陸から40周年を記念して、オバマ大統領がオルドリン氏・アームストロング氏など元宇宙飛行士と会見し宇宙探査計画について語ったのが半年前。NASAでは「再び月へ!」というプロジェクトが既に始まっており、いよいよアメリカの月探査計画は進行中と見えていた。

あの古びた白黒写真にオルドリン氏がサインしてくれたのは、実は現在のアメリカの会社の源流になる会社が月着陸船の一部の部品を作っていて、それは実際に月へ行ったのが縁だったからとのこと。
私は、会社の出退の際にはチラリとこの写真を見ながら時々『こんな夢のある仕事をしてみたいね...』などと時々思っていたのでありました。

ところが!一昨日のニュースで「有人月探査を目指した米国の計画が中止されることになった。厳しい財政事情を背景に世論の支持も薄く、オバマ大統領が予算教書で表明」とのこと。
夢はやっぱり夢でしかないか、とも思うものの、まだ私の i-Phone スタート画面はこの月面に立つ人間の姿にしております。



鉄道博物館 at Renox

2009年08月22日 | Technology/産業/Business


タングルウッドへ行く前に、ここ鉄道博物館 Berkshire Scenic Railway Museum へ寄る。
この地方、バークシャー地方はニューヨークからもボストンからもほぼ等距離の高原のため昔は避暑地として栄えていたようである。ニューヨークからの鉄道線路が50年前はあり毎日何便も運航していたが、今はその一部が観光用に残され運用されているのみ。





駅舎や運行している列車は昔のまま、少し雑草の生えた鉄道路線のポイントを手動で切り替える風景は日本ではもう見られないのではないだろうか。昔の雰囲気を残し郷愁を誘う駅舎、そして鉄道路線は客車や機関車をメンテナンスし運行しつづける努力が必要で、いまはもうLenox、Stockbridge 間の45分の運行しか行われていないが、これも多くのボランティアに支えられているようである。

 

Berkshire Scenic Railway Museum
http://www.berkshirescenicrailroad.org/index.php
ーーーおまけーーー
車社会一辺倒であり鉄道路線は次々と撤去されるばかりだったアメリカだが新・高速鉄道網計画が出来るなど、環境・エネルギーの面からも鉄道が再評価されてゆけば良いのだが。
Wさんの話しで調べてみたが去年テレビの企画で、列車に乗ってニューヨークからストックブリッジを訪れ、なんと James Taylor と Yo Yo Ma がホテル・レッドライオンで歌い演奏する、というのがあった。バークシャー地方はニューヨーカーにも高原の避暑地のようである。
James Taylor & Yo-Yo Ma


「最後の授業」Randy Pausch

2008年08月02日 | Technology/産業/Business
ネットニュースで小さく出ていた「最後の授業」Randy Pausch氏死去、47歳、という記事が気になり調べて、そしてネット上(YouTube)で70分以上の「授業」を一気に聞き、ここ数日で合計3回も授業を「受けた」気持ちになり、考えさせられた。

概要は下記のネットニュースのコピーで、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「最後の授業」で多くの人に感銘を与えたカーネギーメロン大学コンピュータ科学教授Randy Pausch氏が、米国時間7月25日、膵臓がんに伴う合併症によりバージニア州の自宅で死去した。47歳だった。

 2006年9月に発見された膵臓がんを抱えつつ、多くの大学で行われている人生について深く考える授業シリーズの一環として、同氏が2007年9月にカーネギーメロン大学で行った「最後の授業」は多くの聴講者を集めただけでなく、インターネットを通じて世界中の人が視聴し大きな反響を呼んだ。

 「子供の頃の夢を本気で実現すること」と題されたその講義の中で、同氏は、プロのアメフト選手になること、無重力を体験すること、ウォルトディスニーのイマジニアリング部門と協力して遊園地の乗り物を仮想現実で作ることなど、自身の子供時代の夢を実現するために行ったさまざまな努力をユーモアたっぷりに語った。

 プレゼンテーションの中で同氏は写真も紹介した。そのなかには1965年に写された故郷デラウェア州レホボスビーチでの少年時代の姿、自身をむしばむ巨大な腫瘍を示すPET画像、思い出に残る学生、同僚、上司の写真などがあった。

 そして、講義に一貫して流れていたのは、他者を助け、障害物があっても夢を追い続けるという、同氏の考え方だ。ブラウン大学を卒業しカーネギーメロン大学で博士号(コンピュータ科学)を授与された同氏だが、当初はどちらの大学からも入学を許可されなかったと告白し、そうした障害に負けず何とかして道を切り開いたと語った。

 そして教授となってからは、仮想現実研究の先駆者となり、いくつかの賞を授与されている。カーネギーメロン大学Human-Computer Interaction Instituteの主要メンバーであり、アーティストと技術者を融合した修士課程Entertainment Technology Centerの創設者の一人ともなった。若い人々にコンピュータプログラミングを教えるための双方向型プログラムAliceの作成にも携わっている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一気に約70分の授業を英語で受けたい方はYouTubeのカーネギーメロン大学公式映像であるこちら、
Randy Pausch Last Lecture: Achieving Your Childhood Dreams



判りやすい字幕付きのYouTube映像はこちら、9分割なので順番に探して下さい、
ランディ・パウシュの「最後の授業」1


Wataruも聞くべし!
ではJunは何に考えさせられ、どこに感動したのか。
・妻に感謝し、3人の子供たちにこの講義をささげ、残した
 (Junは昨日結婚記念日を忘れて....以下省略)
・死が近づいて来ても前向きに自分の夢を語れる情熱を持っている
 (パケット・リストとは少し違う)
・決して優等生ではなかったが、周りの人の力も借り壁を(Brick wall)乗り越えた
 (すごい業績を残したようである)
・子供の頃の夢を大人になっても持ち続け、それを実現した
 (夢をあきらめるのが大人になることではないようだ)
・夢の一つに「カーク船長になる」というものがある!
 なぜカーク船長になりたかったのかを分析し、クールな小道具だけでなく、船長の仕事である「決断力」に憧れたとのこと(同じトレッキーとして、同感)
・カーネギーメロン大学は素晴らしい大学のようだ
 (ハーバードとMITが最高だと思っていたが)
・判りやすい英語で話してくれる、英語のヒヤリングに最適
 (それでも字幕付きでなければ理解しにくいJun)
Namijiも聞くべし!









USMという大きな機械製造会社が有った(1)

2008年07月06日 | Technology/産業/Business


BeverlyのRMVでの窓口交渉(?)がうまく行かず、会社のベテラン姐御Vickiに助けてもらうために一緒に車に乗っていた時、彼女が大きなビルディングの建物群を見て、
「ここがかつてUSMが有った場所なのよ」
(USM = United Shoe Machinery Corporation の略)
「私はこの場所で働き始めたのよ、もう20年以上も前の話しだけどね」
「広い敷地で、オフィスへ歩いて行くのにも時間がかかったのよ」
(知らなかった、私の今働いている会社のアメリカ側の源流はこのUSMである)
「あの高い建物には、フォージングの大きな機械が入っていたの」
「ビルディングのガラス部分は新しいけど、コンクリートの部分は昔のままよ」
「結局、私たちの部門は投資会社へ売られてここを出て行き、そして時が経ち、今は日本の会社が私たちのオーナーになったのよ」



会社の歴史というか変遷は、まさに物語のよう。今はこの場所は Cummings Center という名前で、建物を近代的に改装し色んな会社へリースしており、コンピュータ関連・バイオ関連・医者のオフィスなど様々な会社/団体が入居しているが、それらは大企業ではない。
そしてこの場所はEssex地方の歴史遺産に指定されておりちゃんとその説明表示板もある。USMはその名の通り靴製造機械を独占的に製造し主に米国内へ供給しており、地元では数千人の雇用を生みだし"The Shoe"という名前で親しまれていたとのこと。そんな大企業や大きな工場でも寿命は80年で尽き、たった20年で栄光から没落へ、会社そのものが消滅してしまい歴史の1ページになってしまっている。




USM (2) 栄光と没落

2008年07月06日 | Technology/産業/Business


このプレートには、概略以下のようなことが書かれている、
「USM世界本社 1902年」
「かつて鉄筋コンクリート建築物としては世界一だったマンモス・ビルディングがこの両側に広がっている。特許のねじり鉄筋を使用した初期の建築物であり、広い窓を取り付け改装した今も、これは米国の近代産業の建築物としての記念碑であると言える」

USMの栄光は画期的な靴製造機械の発明と製造だけでは無いようである。

1、幾つかの会社が合併しUSMを作り靴製造機械「独占」を狙って成功した。しかしそれは連邦政府との独占禁止の長い戦いでもあった。

2、特許で権利を守るなどして、競合の出現を許さなかった。ヨーロッパなどへはロイヤリティーなどの別戦略で自分たちの勢力を世界的に見ても保ったようである。

3、巨大な工場を建て、当時では最大の機械製造業者になり高度な機械製造技術を導入、または自ら作った。専用の列車線路と駅まで作った。(あのLowellで見たBoston & Maine Railroadと繋がっていた)USMで働いていた長老Tomによれば「Jun, 知ってるかい、USMは色んなパテントを持っていて、工場の天井走行クレーンも自分たちで使うために発明したんだよ!」(ほんとかな....)

4、最も画期的なことは、靴製造業者へ機械を売るのではなくリースし買いやすくしたこと、そして、靴を一足作るごとにパテント料と称してお金を徴収したこと。これはすごいアイデアだと思う。機械製造業は通常、機械を売って終わり。その機械が働いてどれだけ利益を上げても関係がないが、この仕組みはユーザー(靴製造業者)が働いてくれれば儲かるので製造コストと無関係に利益を生んでくれる。

5、これらの潤沢な資金で、従業員には地域一番の給料を払い、会社の保険制度を充実し、色んなクラブを作り、工業学校を作り機械技術を若者に教えた。United Shoe Golf and Country Clubという名のゴルフコースも有った。典型的な良きアメリカの良き会社だったのだと思う。

6、戦後も社内の機械技術力で様々な発明を行った。
  タイムレコーダ(IBM用)
  缶のプルトップ
  月着陸船の操縦メカニズム
  熱接着ガン
  超音速コンコルドにも使われたポップリベット

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ではなぜUSMは没落したのか?


たぶん、独占と利益の構図が崩れ、靴製造業がメジャーな産業では無くなったから。にもかかわらず、次のメインになる製品が生み出せなかった。

..ではないかと...


一旦利益が生み出せ無くと会社の没落は早い。
・株価の低下
・総資産の目減りにより資産売却、部門の切り売り
・ついには会社を丸ごと売却し、USMの名前は消え転々と転売
・かつて$40ミリオンあった土地建物の価値は下がってしまい、当時の所有者Black & DeckerからCummingsが買い叩いた値段はたったの50万ドル(5千万円と少し)
・投資/再生/開発業者のCummingsは会社を再生させるのでなく、建物を再生しリースにより利益を回収

会社の危機を救おうなどと言う浪花節なんかは通用しない世界、厳しいです。


今は記念碑的にしか残されていないUMSの姿。色んなUMSの遺品(?)や思い出は、わずかにかつての従業員やBeverly住民に残っているのみと思っていたが、ワシントンDCにあるスミソニアン博物館にはUSMに関するアーカイブズが存在するらしい。これも本当かな?と眉唾物だが、いつか産業版/現代版インディー・ジョンズになり私に取ってのお宝archivesを探索してみたい。




Saugus 国立史跡の製鉄所 (1)

2008年06月29日 | Technology/産業/Business


ボストンより北へ20分程度、Saugus(ソウガス、サーガス)に1640年代に初めてアメリカで本格的な製鉄に成功した製鉄所の跡地に、昔のままに溶鉱炉などを再現した Saugus Iron Works / National Historic Site がある。
1640年代と言えば、メイフラワー号がプリマスに到着してからまだ20年ちょっとしか経ておらず、国というよりまだ入植地が点在すると言う状態のはず。そんな頃にイギリスから技術導入をして、農機具・釘など開拓に必要な「鉄」を大量に作り出す製鉄所を作り上げた当時としては先端産業だったと思う。



つい最近リニューアルしたとのことで、建物、水車、回りの木々と緑、入り江と川の風景が調和して美しい。これが360年前と同じ風景だと思うとちょっと感動だが、製鉄所が稼働している時は煙突からは煙がもくもく、水車に駆動されたハンマーはガンガンと大きな音を立て活気があったと思う。だが、今はあくまでも静かで水車を動かすため導かれた水の音がするだけ。建物の再現も当時の工法のままに行っているようで、木の肌はノミの跡がよく判る。







Saugus Iron Works National Historic Site
244 Central Street
Saugus, Massachusetts 01906

http://www.nps.gov/sair/

オープンしているのは4月から10月で、冬は閉鎖
2時間に1回程度案内のツアーあり




そういえば...

Iron Works と聞くと私が反射的に思いつくのは、Karats Iron Works; 唐津鐵工所である。創業100年、私が最初に訪問した時にはまだ社内に鋳物工場があったこの歴史ある工作機械の会社は、昨日ホームページを確認したら Karats Precision Machinery と英語名を変えていた。そうか、鉄の時代ではなく精密の時代だなと思いながらも、資源としての重要性や高品質な鉄鋼材料の必要性は変わっていない。



Saugus 製鉄所 (2) 鉄作り

2008年06月28日 | Technology/産業/Business

説明板も鉄製、凝っているな

360年前の鉄作りは、現在のよなコークスを使った高炉ではなく木炭を使っていた。
説明書によれば原材料は、
Bog Iron; この鉄鉱石がこの付近で採れたので、この地が選ばれた。
Charcoal; 木炭。水車で駆動する大きなふいごで空気を吹き込み、温度を上げるのとCOによる還元で酸化鉄を鉄へ変える。しかし木炭では温度の上昇不足などで、製鉄・製鋼技術向上には限界がある。
Gabbro; 辞書を引くとハンレイ岩とある。スラグなど大きな不純物を集める働きをするらしい。






高炉の上から鉄鉱石と木炭を投入し、底に近いところから空気を吹き込み、還元/溶解したら底部からを開けて流れ出した銑鉄を砂の上に流し出す。基本的には「金属材料学」教科書の最初の数ページに書いてあることと同じだ。だが、はて、ここには転炉や反射炉のような炭素や不純物を取り出す工程が無い。
そうか、この大きなハンマで熱しながら銑鉄を打ち続け(Forge)不純物を取り除くようだ、炭素量や微量の不純物が鉄の性質に大きな変化を起こすことを知るのはまだ先の時代だな、などと考えながらこれらを見て行くのは楽しい。

さて、このSaugus Iron Works は米国に於ける初の鉄の量産には成功したが、事業としてはあまり成功しなかったようで数十年で閉鎖となってしまう。ここで働いていた労働者や技術者が各地にちらばりその後の産業発展の時代を迎え、米国のパワーの源となったと思う。エンパヤステートビルを作った鉄鋼の量!戦前は米国とスウエーデンで世界の鉄鋼生産の80%を占めていた!輝かしき主役であった、「世界一」が好きな米国は復活するのだろうか。





Lowell (4) 稼働している工場

2008年06月22日 | Technology/産業/Business


Lowellのすごいところは、実際に織り機を稼働させて綿の布を作っていること。

だが、American Textile Historic Museum を訪問したところ closed...。Visitor Center で聞いたところ、「あそこは finantial difficulty で今は閉鎖してるの、けど何とか再開するよう活動中らしいよ」と教えてくれた。そうか、財政的な困難か、どこもお金の話し抜きでは成り立って行かないよねと実感。そこで聞いた別の場所、Boott Cotton Millを訪問しついに実際に運転している織り機を見ることが出来る。

ここはNational Park Service が建物の中の幾つかのフロアを管理運営しており、フロアには全部で数十台の織り機を設置してあり、その中のほんの7台しか運転していないのにガチャガチャとすごい騒音、見学者の希望者へは耳栓も貸しているほど。ここで働いていた Mill girls 女工さんたちは大変だったと思う。
たぶん20世紀初頭のままの工場と機械の光景が見られたことに感動。そして、どうしても動いている機械を見ると職業意識が湧いてくる。

『回転力は天井に取り付けられた長いシャフトから、ベルトへ各機械へ供給しているな。近代的な機械になるにはやはり電力の供給と電動モータ発明を待たなければだめか。』
『一人で7台持ちだが、糸が切れるのに繋ぐのが追いついていないな、機械が止まってしまっている』
『糸が切れる頻度が多すぎる、ナゼ? 1.糸の品質が悪くすぐ切れる 2.糸を左右へ送るシャトルが木製でスムースに送られていない 3.糸を巻いている糸車やガイドに問題は無いか、検討用だな』
『糸が切れると機械は止まる。豊田佐吉翁が問題が有ると止まる自動織機を発明したとのことだが、これって当たり前じゃないの?』

など、興味は尽きること無し。百聞は一見にしかず、技術者ならこの約100年近く前の工場がそのままに残っているここを見るべし。





そして、この後の見学コースにはかつてこの工場で働いていたおじいさんのインタビュー・ビデオが見られる。
「俺は保全マンだったから、工場は縮小されたけど最後まで働いていたんだ」
「ところが、ある日突然に上の命令で工場は止まってしまったんだよ、きのうまで元気な音を立てて働いていた機械が...」
「何も無くなった工場の床を見て悲しかったよ、まるで自分の一部がどこかへ行ったしまったようで」

そう、最初は素晴らしい工場でも、ちょっと製品と生産技能・技術の改善を怠り停滞すると、たちまち取り残されてしまう。そうならないよう、いつも元気よく機械と人が働いている工場を造るのが私の想いでもある。

--------------------------------------------------
おまけ

このLowellの町散策の話しをToshikoさんにしたところ、

Toshiko: へー、アメリカも日本と同じで女工哀史のお話があったのねー

Namiji: 女工あいしって、何?

Toshiko: ああ野麦峠よ!

Namiji: 野麦峠って、長野県の?

Toshiko: そうよ、野麦峠を大竹しのぶが背負われて、峠を越して行きながら、涙するのよ!

Namiji: ???

おしまい


Lowell (3) 赤煉瓦と産業革命

2008年06月21日 | Technology/産業/Business


Lowell(ローエル、ローウエル)は、運河による水力を動力として利用して大規模な繊維製品の生産が米国で初めて始まった米国に於ける「産業革命」の始まりの地であり、その後は衰退してしまったが当時の赤煉瓦の建物が多く残っている。
1枚目はLowellの象徴の糸車、2枚目のような赤煉瓦の建物や煙突、石畳の道路も残っていて、19世紀から20世紀初頭の雰囲気が一部に残っている。この5階建ての建物は工場で、5階全てに綿織物を織る織機が設置されて多くの女工たち(Mill girlsと呼ばれていた)が働いていたという。
今はナショナル・ヒストリカルパークとして管理されており、いわば国の歴史記念地域・建物ということ。日本では産業の歴史を国が保存するということはほとんど出来ていないと思うので、こういう面でも日米差を感じる。Visitor Center の説明を見ていると身近な工学面から引き寄せられ、脳の活性化にもなる。

「ほー、水力を利用したが古典的な水車で回転力を取り出したのではなく、当時最新の技術の水力タービンで効率的に回転力を取り出し、各機械に分配したのか」
「これが実業家ローエル氏が起業し巨大な会社を作るのに成功した原因の一つだな、では衰退はなぜかな」
「水力学といえば反射的にレイノルズ数、試験に苦労したけど水力学を教えてくれた井上先生ももう亡くなられたようだし。。。」
「この自動織機はまだ木を多く使っているけどトヨタの自動織機とどこが違うのかな、今度トヨタ産業技術記念館でじっくり見てみよう」

これらを見てから産業遺産・産業遺構・赤煉瓦建物めぐりを趣味の一つに加えることにしたので何か情報有ればよろしく、お知らせを。









Lowell (2) 蒸気機関車、鉄の迫力

2008年06月16日 | Technology/産業/Business
かつては大陸横断鉄道と共に開拓が進んだアメリカだが、交通の主役は今や車と航空機になってしまっている。Lowellにはそんな「かつての主役」が残っている。
Lowellが栄えた頃は市内では多くの通勤する人のための市電が、そして東海岸には鉄道網が活躍していた。

National Streetcar Museum には市電の発展と衰退の歴史が展示されてある。(小さい博物館で有料なので、興味のある人のみどうぞ)ハイウエイが多くなり市電の線路は撤去されてしまったが、今再びエコということで見直されている、という感じで締めくくられている。Lowellではほんの短い区間だがこの市電を保存・運転し観光客が体験乗車できるようになっている。

(写真はMuseumのホームページより)

同じ会社で働くアメリカ人はこう言っていた、「Jun, don't you know? 車を作るビッグ3の経営者が、車を売るために鉄道会社を買って、そして鉄道線路を潰したんだよ!」
Jun; Realy? I did not know!
これが本当かどうかは分からないが、有りそうな話しと思ってしまうほどの車社会、アメリカ。
Lowellにはかつての勇姿をしのばせる蒸気機関車が屋外展示してある。この蒸気機関車はデカイ、そして保存状態が良く、すぐにでも走り出すことが出来そう。近くで見ると、大きな車輪、シリンダー、蒸気ボイラーの圧力を受け止めるボルトの多さ、で迫力が有る。




アメリカにも鉄道ファン・蒸気機関車ファンがいて、この蒸気機関車の保存は、Boston & Main Railroad Historical Societyが協力しているとのこと。最近日本では「鉄ちゃん、鉄子」とよばれているらしいが、鉄道ファンでない私でもほんとこの蒸気機関車が走るのを見ることが出来たら楽しいと思う。
この蒸気機関車の名前は、B & M steam locomotive #410、「410号」とのこと。