ブログを引っ越ししました、新しい場所はこちらです。
http://junsalemma.blogspot.com/
ここに長い間書いていた記事をなんとか移転しようとして、HTMLで自分のハードディスクにダウンロードするまでは出来たが、その後のアップロードはうまくいかず。けど気持ちを切り替える意味でも新たなページへ。
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1972年の発売なので、もう39年前に録音されたアルバム、もちろんLPレコード。JAZZ(フュージョン系)の今や歴史の一ページとなった名曲と言っていいと思う。そして私は1972年だったと思うが博多のジャズ喫茶ケリー(リバーサイドだったかも、、)に来日したこのチックコリア&Return to Forever のライブを聞いているので思い入れもひとしお。
ここから1曲、What Game Shall We Play Today を先日のDVD作成の音楽として採用し喜んでもらいました。
"Life Is Paradise" と言えるようになりたいな、と思いながら。
Return to Forever : CHICK COREA
CHICK COREA, el-p
JOE FARRELL, fl,soprano-sax
FLORA PURIM, vo,perc
STAN CLARKE, el-b,double-b
AIRTO MOREIRA, ds,perc
1. Return To Forever
2. Crystal Silence
3. What Game Shall We Play Today
4. Sometime Ago
What Game Shall We Play Today Lyrics
Look Around You My People
if You Look Then You Will See
how To Love
life Is Paradise
all Together
what Game Shall We Play Today
man Just Wants To Be Happy
cast Off Things That Shouldn't Be
set Him Free
life Is Paradise
all Together
what Game Shall We Play Today
there's A Way You Can Find It
it's Within You, Can't You See
find The Truth - It's Not Impossible
all Together
what Game Shall We Play Today
here We Are All Together
free To Have And Do And Be
what We See - For The First Time
all Together
what Game Shall We Play Today
マン・レイとリー・ミラー、二人がパリで出会ったのは彼が39才・彼女が22才のとき。彼にはその当時キキという恋人がいた。
キキとは「モンパルナスのキキ」、藤田嗣治「寝室の裸婦キキ」として知られているクラブ歌手/女優/モデルで、もちろんマン・レイの写真・絵画のモデルにもなっていた。
そんなキキを押しのけて恋人/パートナーとなったリー・ミラーだが、前述の通り3年で彼女は彼のもとを去りニューヨークへ戻り自分の新しいことを夢中で追って行った。彼女に去られた彼は42才、若い彼女に未練たっぷりで彼女が住んでいた部屋の外で一夜を明かしたり、自殺を連想させる作品を作ったり、彼女の本名である「エリザベス、エリザベス、エリザベス、、、、、」とノートに名前を書き綴ったり、ハサミで女性を切るようなデッサンを描いてみたり、、。
でもマン・レイはさすがアーティスト、そのような愛憎の感情をみごと(?)アートへ昇華させたのだった。
あえて大きな画像にしたのは、現物もけっこう大きいため。彼は彼女の唇を思い出して長い間かけてこの作品を描き自分の手元に置いていた "Observatory time - Lovers"と題されたこの作品, 私が描けば単なる若い女性の唇への執着にすぎないが、彼が描けば彼女への愛の昇華、、?
そしてこの有名なメトロノームに彼女の目を切り取り貼付けたオブジェ。マン・レイは『破壊すべきオブジェ』と題したデッサンの下方にオブジェの使用方法について「愛していたのにもう会うことの出来ない人の写真から、その眼を 切り抜く。メトロノームの振り子にこの眼を取り付け、思い通りのテンポになるように重りを調整する。そして、忍耐の限度まで鳴らし続ける。ハンマーで狙い 定め、そのすべてを破壊する。」と説明している。(manreyistさんブログよりの引用)
PEMではこのオブジェの解説にさらに面白いエピソードが述べられていた。「このメトロノームは後の展覧会で、芸術の商業化反対を唱える若い男性に盗まれ破壊されてしまった。これに怒ったマン・レイはコピー作品を100個(と書いていたと思う)作り、全てリー・ミラーの目の写真を付け、『破壊し得ないオブジェ』と名付けた。」
コピーが多いということで、私はこれをフランス・ポンピドー美術館で見たと記憶していたので納得した。このメトロノームがカチカチとリズムと時を刻み、リー・ミラーの目が揺れているのを見られたら最高だったのだが。
このように色んな視点で楽しむことが出来るこの "Man Ray | Lee Miller, Partners in Surrealism" Peabody Essex Museum 12月4日まで開催中です。
マン・レイとリー・ミラー、二人がパリで共に過ごした1929年から1932年の3年間。たぶん二人は英語で会話していたと思う、パリのアメリカ人、シュールレアリズム運動の中で活躍していても異邦人だった二人(これは私の勝手な想像、、)。
さてその時代の作品を抜粋、
リー・ミラーが写したパリの橋、うまく造形と影を切り取っています。
リー・ミラー 無題 (頭に手をのせた女性)髪形や服装からは80年前のものとはあまり感じないが。
リー・ミラー 「ひげを剃るマン・レイ」 シュールレアリズムは日常をアートに変えてゆく。
PEMの展覧会で展示している写真は、もちろん原版にできるだけ忠実に印画紙に焼き付けている、デジタルプリントでない、いわば本物の写真。本物だからネット上の粗い解像度や本の印刷物とは違い素晴らしいものだろうと期待したが、これだけは期待はずれ。展示されている写真は上の画像と全く同じ、ボケ、ぶれ、粒子の粗さが目立ち、白と黒のメリハリが無い。素人はこれらを嫌うが、アート作品にはタブーではないと言うことだろう。
マン・レイが写したリー・ミラー、彼は商業ポスター的に撮ることも出来るようだがうまく髪の流れを印象強くしている。
マン・レイ 『リー・ミラーのポートレート」この写真を見ているとリー・ミラーが水中をゆっくり進んで行っているように見える。この写真に付けられた解説は、そのような効果を出すために、実は彼女が上を向き写真は縦(ポートレイト)にして展示する時は横(ランドスケープ)というトリックを使っている。なるほど、80年前のアイデアでも新鮮だ。
最後の写真はリー・ミラーの首の部分を写したものだが、これには二人の関係を示すエピソードがある。
マン・レイはこの写真を現像後に「失敗作だ」として現像室に捨てていた。捨てられていた写真を見たリー・ミラーは、これは使えると直感しトリミングし直して作品にした。従い、これは二人の共作ということになった。
これほど共に生活し、共に共鳴しながら創作していた二人だが3年で別れてしまうことになる。リーの方から別れて行ったそうである、やはり女性は怖い、、、、
最後にもう1回「おまけ編」を
リー・ミラーはニューヨークで美術学校に通っていたが、スカウトされ20才からモデルとしてVOGUE の表紙を飾るなどその美貌が注目されていた。
そして彼女が22才のときパリへ旅行し、そこでシュールレアリストであり写真家でもあるマン・レイと出会う。マン・レイは、自分は弟子は取らないと言っていたもののすぐに彼女はマン・レイの写真のアシスタントとなる。この期間にマン・レイは多くの後世に残る有名な写真を撮るが(ピカソやポール・エリュアールなど)その幾つかはリー・ミラーが写したものだと言われている。
最初はアシスタントとして、次は写真のモデルとして、アート制作の協力者として、そして恋人同士として一緒に住むようになった。
3年間の間に多くの写真と作品を残す活動を行ったものの(これが今回の展覧会の中心)、リー・ミラーはマン・レイと別れニューヨークへ戻る。
写真スタジオで働いたり、エジプト旅行をして写真を残したりながら、一方 Vogue のモデルも続けるなどの活動を行っていた。そして第二次世界大戦がヨーロッパで勃発したとき彼女はロンドンにいた。
そして、なんと驚くことにリー・ミラーはアメリカ軍の最初の5人の女性従軍カメラマン(ライフ誌やヴォーグ誌の特派員)としてヨーロッパ戦線の最前線の写真を撮り次々と雑誌に発表して行った。
その写真はここには掲載しないが、塹壕で、砲撃の風景、ドイツ軍撤退後の残骸、川の水の中の兵士の死体、逃げ遅れた女性兵士(看護婦?)が服毒自殺した直後の姿、など悲惨な光景だが静かに写真に切り取っていて、普通の報道カメラマンとは違うと言えるものを残している。
パリ解放の直後にパリに入り、そこで旧友であるピカソと再会した写真。ピカソとリーが親しい間柄だったことがよく判る。ピカソの絵の中で、彼女をモデルにして描いたと言われている作品もある。
その後のリーは、ある時期から写真やアートの活動をやめ、2度結婚し子供をもうけたもの、長い間 Depresshion(うつ病)に悩まされ時には深酒に溺れた時期も有ったとのこと。
マン・レイは別れた後も、長いあいだ友人として彼女をサーポートした。彼の後年の手紙が公開されているがそれは優しく励ましているようであった。
晩年に二人が再会した時の写真、この後数年で二人は相次いで亡くなった。
リー・ミラーの作品は、彼女が後半生に作品の保存に興味を示さずアートの活動から離れていたこともありあまり評価されず、作品は散逸していたそうである。彼の息子達がその散逸した作品を再度集めLee Miller Archive を作っていて、ここから彼女の大判に焼いた作品が購入出来るようになっている。
http://www.leemiller.co.uk/index.aspx
彼女の人生をうんぬん言うのが目的ではないが、その時代ごとに生きてゆき時代を切り取り足跡を残したリー・ミラーはもっと知られ評価されるべきと思う。
次回は、いよいよマン・レイとリー・ミラーがパリで過ごした3年間に焦点をあてて。(いつまで続くのやら、、)
シュルレアリスム(フランス語: Surréalisme, シュレアリスム)は芸術の形態、主張の一つ。超現実主義ともいう。現実(約束事などに囚われた日常世界)に隣接した世界、またはその中に内包された世界で、現実から離れてしまった世界ではなく、夜の夢や見慣れた都市風景、むき出しの物事などの中から不意に感じられる「強度の強い現実」「上位の現実」である。 - Wikipedia より
マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudzitsky, Эммануэль Рудзицкий, 1890年8月27日 - 1976年11月18日)は、アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られる。レイヨグラフ、ソラリゼーションなど、さまざまな技法を駆使し、一方でストレートなポートレート(特に同時代の芸術家のポートレート)も得意とし、ファッション写真と呼べるような作品もあったりと、多種多様な写真作品群を残している。 1921年、7月、エコール・ド・パリの時代であったパリに渡り、モンパルナスに住みながら本格的に写真に傾倒する。同年6月にパリに戻っていた親友のデュシャンの紹介によって、パリのダダイストたちと交友を始める。パリに渡って数ヶ月後にはフランスの歌手・モデルであるキキに出会い恋に落ちる。シュルレアリスム運動が起こると、シュリレアリスト達とも交わり、シュルレアリスム的作品も手がけることとなる。ソラリゼーションを表現技法として最初に利用したことでも有名。- Wikipedia より
リー・ミラー Elizabeth 'Lee' Miller, Lady Penrose (April 23, 1907 – July 21, 1977) was an American photographer. Born in Poughkeepsie, New York in 1907, she was a successful fashion model in New York City in the 1920s before going to Paris where she became an established fashion and fine art photographer. During the Second World War, she became an acclaimed war correspondent for Vogue magazine covering events such as the London Blitz, the liberation of Paris, and the concentration camps at Buchenwald and Dachau. -Wikipedia 日本語版が無いので英語で
長々と引用をしてすみませんが、この3つのアイテムと二人のバックグラウンドを踏まえて、
マン・レイとリー・ミラーは、パリで出会い、最初は先生と生徒として、そして恋人として、共に暮らし、一緒に作品を作り上げた。それは1929年から1932年までのわずか3年のあいだだった。
、、、以降は次回に。
セーラムのPeabody Essex Museum はアメリカではほぼ一番古い歴史を持つ博物館、新館が増設され(右側のカラスの建物)日本の博物館とは全く違うイメージの"Museum"です。上の写真の左側の煉瓦の建物は美術館では無く画廊で、海の絵画を専門に扱っている。最初は海の風景がなんてと思っていたが、この地方、ニューイングランド地方の海岸の風景を描いているいくつかの絵画には惹かれるものがある。しかし良いと思ったものは値段が高く5千ドル以上、とても買う対象外。
PEM前の記念公園は夏の観光トロリーの停留所になってる。夏から秋のハロウインにかけてが観光でのかき入れ時で、土日には確かに観光客が多い。
街角には新しくオブジェも置かれ、雰囲気もますます良くなってきています。
そしておなじみPEM新館の催し物広場スペース、開放的で気持ちが良い。船をイメージしたカーブした鉄骨と帆を連想させる日除けの組み合わせ、それと赤煉瓦との組み合わせは船や航海に関する収集物が多いこの博物館にふさわしい。
さて、今回新しく始まっている特別展示、
マン・レイとリーミラー、シュールレアリズムの恋人達
Man Ray | Lee Miller, Partners in Surrealism
On view June 11, 2011 to December 4, 2011
下の写真の上から2番目、赤い唇が空一杯に浮かんでいる、インパクトがあり見ようによっては少し不気味な絵、これはマン・レイが別れたリーミラーを思い出しながら彼女の唇を描いたもの。
私にとって、シュールレアリズムとマン・レイ、リーミラーは以前からの、そしてリタイヤ後に時間が出来た時にと「取っている」アート分野でのわくわくする探求分野の一つ。それにピッタリのこの展示会、詳細は次回以降にご紹介。
East India Square
161 Essex Street
Salem, MA 01970-3783 USA
Phone: 978-745-9500, 866-745-1876
Open Tuesday–Sunday, 10am until 5pm. Closed Mondays (except holidays).
現在ボストン美術館にてDale Chihuly のガラス・アート展覧会が行われている。
私はガラスアートはつるつるしすぎていて、手びねりのざらざら感とか油絵のブラシの跡とかの作家の作業が感じられないため、あまり好みではなかったが、これを見てイメージが変わった。
とにかくスケールがでかい。作者が「作品そのものだけでなく、どこにどんな風に置くかで決まる」と述べているように、部屋一杯に置かれ、照明を当てられたガラス作品は自ら光を発して輝き始めていた。
この作品は、背が高い!普通の建物の3階分以上はあると思う。どうやって持ち込んだのかと思うが、組み立て式で現場にて緑の尖った葉のような部分を差し込んで作り上げる、他のものもそうだが展示室で組み立てて初めて作品になるところが面白い。
上は、自然の木からキノコが生えるイメージかな、
下が、今回の展示で一番気に入ったもの、これは天井を見上げた様子、水の下から水面を見上げ、水の波紋が光に反射して、、という気分になる。同行したCさんも、同感!と言っていた。
MFAのものではないが、動画があります。このように自然の中に置かれても負けていない所がさすがですね。
Chihuly: Through the Looking Glass
APRIL 10, 2011 - AUGUST 7, 2011
http://www.mfa.org/exhibitions/chihuly
春になると行われるボストン美術館の特別な催し、Art in bloom へ行ってきました。これは絵のイメージに合わせたフラワーアレンジメント(日本流の生け花もあり)をボストン近辺のグループや花屋さんが(たぶんボランティアで)出品するというもの。花と絵を解説してくれるツアーもあり、この期間は多くの人がMFAを訪れる。
今年は新館 American Wing が新しくできたこともありお花の展示はここを集中的に行っており去年までとは少し違うレイアウトだった。やはりアメリカ流は、派手、主張あり、という感じ。アート作品との対比で写真を写したのでご覧を。
最後の写真は、日本庭園・天心園を見る和服美人の後ろ姿。お二人とも今日のテーマ(Art in Bloom) に合わせた花柄の着物。今回も何人もの方から「美しい、すばらしい」、「写真写させて」、「着物を着るって難しいんでしょう」と声を掛けられ大満足。
Jun学説では、これが海外で着物を着るモチベーションになる。おまけに日本の存在感を示すことにもなるし。
これが増築された建物の外観(ボストン美術館ホームページより)、これまでにある重厚な作りのとは全く違ったイメージとなっている。
Art of Americas Wing の名の通り、これまであまりまとまっていなかったアメリカ人作家のアートをまとめているので、近代から現代までのアメリカのアートと文化をまとめて見ることが出来る。
この部屋は、「アメリカ印象派」の特集。モネなどの印象派にフランスで影響を受け戻ってきたアメリカ人画家たちのスタイルがこのアメリカ印象派の特徴になっている。特に地元ニューイングランド地方の海の光のきらめきが私は気に入っております。
こちらの展示方法はサロン風で、壁に多くの絵画を掛けてパーティーや舞踏会を開いていた雰囲気で、派手と言うか豪華と言うか。
多くのアメリカ人から親しまれていて、アメリカ人の生活そのものを描いたノーマン・ロックウエルの "Moving In", 白人の住宅街へ黒人家族が引っ越してきて、子供たちがお互いに初めて会った情景。お互いを見つめ合って、表情がこれから出てきて何かがこれから始まりそうな、、、という感じる私です。
マーク・ロスコー (Namijiが好き)、無機質で感情を読み取ることは出来ないように思うが、じーっとみていると筆のタッチや色の違いなどが見えてくる。
さて、最後は「アメリカ人の心を描いた画家」などと言われているアメリカ人には人気のエドワード・ホッパー。絵画ではなくデジタル化された彼の絵画を自分でタッチパネルを使い再構成できるというもの。机が大きな4枚のタッチ式液晶パネルを組み合わせて作られていて、iPad風に自分の指のドラッグで自由に、自然にホッパーの気持ちに近づくことができる(?)という体験型の展示。これも面白いです。
新しいボストン美術館、是非訪問してみて下さい。
長い間の工事が終わり、増築部分が完成しオープン。一般公開は2010年11月20日からですが、私は年間会員の特権で一足早く中へ入ることができました。
新しいエリアは中庭の一つを大空間を持つ近代的な建物に置き換えたもの。ボストン美術館はスペースがぐんと広がり、従来の石造りの建物と、新しいガラスの大空間の両方が楽しめるようになった。 この写真の正面に見える石造りの壁は、以前は中庭に面した外壁だったものなので、以前ここが中庭だったことを知る人だけが判る楽しみ方もある。
Art of the Americas Wing と呼ばれる新しいエリアは、1階から3階までアメリカの建国頃から現代までのアート作品が時代とテーマごとに展示されている。アメリカアートというと現代ポップアートぐらいしか以前は馴染みが無かったが、じっくり見るととなかなか面白いものが発見出来る。
展示方法も工夫されていて、単に絵画を壁に掛けるだけでなく、時代に合わせた家具・椅子などで部屋のようなコーナーを作り、その時代の雰囲気が感じられるようになっている。
是非、新しいボストン美術館へ訪問してみて下さい。