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Salem 3年日記

マサチューセッツ州セーラムに住み3年以上。

A letter from Costa Cruises

2012年01月25日 | 旅行記

今話題のコスタ・コンコルディア号ではなく、去年地中海クルーズで乗船したコスタ・マジカ号の写真。

せっかくの地中海クルーズが3月11日の大震災と原発事故を聞いてからは情報不足と心配で上の空になってしまった。なんせ船内新聞(英文)のトップニュースが「福島第一の原子力発電所はメルトダウンしている模様」だし、衛星放送からのCNNニュースも水素爆発の様子を何度も何度も繰り返すし、日本へ国際電話はつながらないし、、。

楽しいはずの旅の思い出も、これらと共に思い出してしまうため、写真も整理せずにそのままにしていた。そこにこのコスタ・コンコルディア号の事故があり、船の航路はほぼ私達が行った順路と同じでチビタベッキアへも立ち寄っていた。そんなことを思っていると、コスタクルーズからメールが来ました。内容は、、、このような事故を起こしたことに謝罪すとともに船のクルー全員は乗客救助に全力を尽くした、今後も安全には最大限の努力を行う、、、とのこと。

少しは思い出してみましょう、コスタ地中海クルーズの船内と船。乗員約1000人・乗客約3000人、13層のデッキを持つ巨大な船は近くから見ると大きなビルかマンションが目の前に建ってる感じ。

各国の港にはこんな風に到着、遠くから見てもよく目立つ巨大さ。クルーズの良いところは寝ているうちに次の港/次の国に連れて行ってくれることと、食事がクルーズ料金に含まれており楽しく食事が出来るように配慮されている。

ある日のレストラン、この日はウエイター達がパーフォーマンスで会場を盛り上げてくれていた。やはりイタリア船籍のためか皆さん陽気です。彼らは3ヶ月から6ヶ月は船に乗りっぱなしで、その後1ヶ月から2ヶ月の休暇をもらえるとのこと、元気でやっていてくれればいいけど。

普段の食事は上のようにカジュアルな雰囲気だが、さらにプラスアルファ払って予約すれば、このような豪華特別レストランで静かに落ち着いて食事も出来る。

これと同じかこれ以上のものがコスタ・コンコルディア号には備わっていたはずなのでそれも海に沈んで横倒しとは、、。船長の名前を調べてみたけど「あの」船長とは違っていました、ほっ。

 


春ですよー(2)セントラルパーク

2010年04月18日 | 旅行記
ニューヨーク小旅行、セントラルパーク散策の写真をもらう。
セントラルパークも若葉が芽吹き始めて、ほんと春が来たなと言う感じ。ニューヨークの路上で売っているセントラルパークの四季を写した写真パネルが我が家に有るがまさにその春の風景そのもの。









最後の写真は、観光客はあまり歩いていないセントラルパークの北側あたり。ここをさりげなく朝ジョギングしているしている方たちは、セントラルパークに面した億ション以上の超高級アパートメントからヒョイと出てくるお金持ちに違いない。


ハワイはいいわ~~この木なんの木

2010年01月17日 | 旅行記


こちらの冬の寒さと比べるべくも無い、数週間前に行ったハワイ....。
我が社のITマネージャーのEricは、今は新ERPシステムスタートしたところで大忙しだが、彼はハワイにいた経験が有るそう。
「僕はオアフ島だけ1年いたけど、一年はハワイの良さを知るには短すぎるよ。ハワイはいいよね、毎日雨上がり後の虹がみえるんだよ、何よりあそこにいるとリラックスできるもの」
まさにその通りだが、今は写真を見てその余韻に浸ることにしましょう。

こちらは通称ピンクハウスとして有名で由緒ある(という) Royal Hawaiian。宿泊もしていないのにロビーと中庭を散策し、レストランで朝食し、ショップで買いものまでさせてもらいました。






そして、行ってきました、見てきました、「この木なんの木、気になる木」。バスで行ったけど降りる場所を過ぎてしまい、ホノルル高台の住宅地帯をずーっと一周見学した後にやっとたどりつく。ここには日本人ばかりが来ていて日本語ばかりが飛び交いまるで日本の公園のよう。日立の関係者?そうでは無いようであのCMで気になって見に来たよう。
実物を見ると確かに大きな木が翼を広げるように枝と葉を広げている。近くへ寄ってみると花も咲いていて、自然の生命力を感じられる。






Hitachi no ki

もうちょっと元気なって欲しいよね、日立。

来年はこれがはやる、と占う

2009年12月24日 | 旅行記
秋に行ったヨーロッパ三都市めぐり(ベルリン、ザルツブルグ、ロンドン)の旅行記ブログは未完になってしまいそうなので、せめて最後のロンドンはこの一枚を。
場所はロンドン最大のアンティーク・マーケットであるポートベロー・マーケットのアクセサリーばかり置いてある間口の狭い小さなお店。



さて、アンティーク探索の今回のテーマは「カメオのブローチ」。若い人にはなじみが無いかもしれないが、私達より上の世代では飾り物の定番であったが最近はあまり見かけない。しかしジャラジャラの光り物のアクセサリーを卒業したら次はこの「カメオのブローチ」がはやりだすのではないかと思っております。
このお店にはたくさんのカメオのブローチがあったので色々と品定めをしていると、この店主のおばさま、店の奥から上物を持ってきて「ビクトリア時代のものなのよ」と見せてくれた。Tossyは顔が上品なのが気に入って購入したが、結局はNamijiのものになる?

カメオのブローチと呼んでいるものでも、プラスチックの成形品から象牙の手彫りアンティーク品まで値段もピンからキリまで有る。Tossy鑑定団長から見分け方のコツを伝授、手のひらでそっと握って暖かく感じられるものはプラスチック製、ひんやり感じるものは象牙など本物の骨を使っているとのこと。なるほど、熱伝導率の差か!
皆さんも試してみて下さい、そして本当にはやりだしたらご一報を。


ベルリン、あれから20年

2009年11月09日 | 旅行記


ベルリンを東西に分けていた壁崩壊からちょうど20年。それを記念して(?)壁と、旧東ベルリンの変化を見る旅をする。
やはり私にとってベルリンと言えばこのブランデンブルグ門と「壁の崩壊」。都市の生活している場所の真ん中を壁が区切って行くという生活者にとっては悲劇で、見ようによってはシュールな状態が発生して、なんと28年間。ようやく1989年11月に東側市民たちが検問所を無許可突破し始めて、事実上の壁と東側体制の崩壊を迎えた。その前後に私はドイツ出張に行き、東ドイツとの国境の鉄条網、壁が崩壊後に流入してきた東ドイツ市民が小さな"Travi" に乗り町を見物していたのを記憶している。Traviはほんとうにボロな車で、とても濃い排気ガスをまき散らしながら走っていて、会社の(西)ドイツ人は「知ってるかい、あの車の外側は紙で出来ているんだよ」と言っていた。





それから20年、ドイツはベルリン復興のために国会議事堂をベルリンへ移すなど色々と対策をとってきたとのこと。ベルリン市内を観光したが、まだまだ工事中の建物が多く、復興途上のような印象を受けた。今や壁は歴史的、観光的にほんの一部に保管展示されているにすぎないが、道路には当時の壁の場所の印が残されている。
東ドイツ時代を象徴するテレビ塔も残り、ブランデンブルグ門や国会議事堂の柱を見ると生々しく銃弾の痕やその部分を補修した跡がよく判り1945年にはベルリン全体が砲撃にさらされ市街戦が行われたことを思い起こさせる、など現代の歴史を感じられる。一方で、多くの新しい高層ビル、宣伝ポスターがあふれベルリンは活気のある大都会そのものである。




Salzburg サウンド・オブ・ミュージックのロケ地巡礼

2009年10月16日 | 旅行記
The sound of music...do re mi


旅行にザルツブルグを選んだのは映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地であり、実話のトラップ・ファミリーが暮らした都市であるため。トラップ・ファミリーがアメリカへたどり着き生活を始めたバーモント州ストウの「トラップファミリー・ロッジ」を訪れたりして身近な存在であるので、一度は訪れて見たかったのです。

巡礼して行った場所は、これは映画の中で写っていた場所だ!というところばかりで、40数年経ってもほぼ同じ風景で変わっていないというところも驚きのザルツブルグです。

まず最初はザルツブルグ市街地を高台の道から見た風景、遠くにホーエンザルツブルグ城塞が見える。


今も変わらず美しいミラベル宮殿と庭園、ウエディング姿のカップルが記念写真を写していた。ドレミの歌で走ったり、歩いたりしていた場所がそのままで!



街の中心を流れるザルツアッハ川と、そこにかかる小さなモーツアルト小橋



マリアが結婚式を挙げるシーンで使われた郊外のモントーゼにある大聖堂
最初はパイプオルガンのある後ろ側の写真にしていたが、Namiji指摘により差し替える。
How do you solve the problem like Maria?


「もうすぐ17歳」を歌うシーンのガラスのパビリオン、郊外のヘンブルグ宮殿にある。この宮殿の見学者たちは全く興味ないようで、場所は聞いて教えてもらわなければ判らない隅っこにひっそりとあり鍵がかかっており、中へ入って踊ることは出来なかった。


トラップ一家の邸宅として映画では使われたレオポルツクロン宮殿、このロココ様式の美しい建物は有名らしくここには観光客が多かった。日本人は、モーツアルトとサウンド・オブ・ミュージックを訪ねてザルツブルグを訪れ、ヨーロッパ人は歴史と歴史的建築物や教会などを目当てに来るそうです。



Climb every mountain,

Ford every stream,

Follow every rainbow,

Till you find your dream.



Toshiko隊長、お疲れさま

ザルツブルグのマリオネット

2009年10月04日 | 旅行記
ご無沙汰しています、1週間の遅い夏のバケーションを取りザルツブルグ・ベルリン・ロンドンの3都市へ行ってきました。
ヘーと心に残るところのみをピックアップしてぼちぼちとアップしてゆきます。

ザルツブルグでは夜のイベントを探して、マリオネット劇場で伝統的な人形劇を見に。ロビーで開演前にワインを飲み雰囲気を楽しんでいると、スタッフがすぐそばで何やら準備を、と思ったらそのばで「アコーデオンを弾くネズミ人形」を実演してくれた。こんな風に操るのかと感心。熱演しすぎて途中で...はYouTubeを見てのお楽しみ。

SALZBURG Marionet








マリオネット劇場
Salzburger Marionetten Theater
http://www.marionetten.at/marionetten/marionetten/aktuelles_home_en

野口英世博士のお墓ツアー

2009年04月29日 | 旅行記
古い世代には図書室にある偉人伝の一人で記憶のある野口英世博士、では彼の墓がどこにあるかご存知か?

生まれ故郷の福島県?ーーーーーーNO
研究中に亡くなったアフリカ?ーーNO

なんと、彼のお墓はニューヨークのブロンクスにあるという。今回はニューヨーク住民気分で、地球の歩き方にも載っていないお墓ツアーへ小旅行。
この週末のニューヨークは暖かいというより暑いほどに気温が上昇し春から一足飛びに夏になっていた。セントラルパークの芝生の上はすごい人出で、最初は何か集会が開かれているのかと思ったほど、中にはビキニ姿も。宿泊は、娘の友達のアパートメントに夫婦で泊めてもらう、そのアパートはStudioタイプ(ワンルーム)ながら日本の6畳一間と違い、そこそこ広くロフト付き。しかもマンハッタン島の中で地下鉄駅から歩いて数分という便利なところで、夜は久しぶりに日本風(?)居酒屋へ飲みに行くなどニューヨーク住民気分を満喫させてもらう。





さて本題のお墓ツアーへ
事前の情報でM4の終点という情報を仕入れていたのだが、クロイスター美術館にはM4バス路線があったためM4をバスと思い込んで探しまわり、大回りし余分な時間を使ってしまったが。行き先は地下鉄メトロM4の終点にあるウッドローンを降りてすぐです!

ウッドローン墓地
Woodlawn Cemetery
Webster Avenue & E.233rd Street
Bronx, New York 10470
(718) 920-0500

今なら地下鉄が地上を出て走っている時に、新旧二つのヤンキースタジアムが見ることができます。我々が地下鉄で通過した時、ちらりと見えた球場はレッドソックス対ヤンキーズの試合中で満席だった。





さて墓地へ着いたが、お墓を探すのがまた難しかった。ブログを読んで見当をつけて探したが見当たらず、Officeへ聞いて(Saoriちゃんに聞いてもらい)地図をもらって探してもなかなか見つからず苦労したが大きな廟(びょう)の裏側にやっと見つける。
お墓を探す時は、「入り口を入り、オフィスがある角を右へ曲がり、次に左へ曲がり、2つ目のブロック(右側)の大きな廟(建物のようなお墓)の裏側、通路からは見えないところ」ですのでご参考に。

心を落ち着け手を合わせ、貧しい農家の子供から医者となり、ロックフェラーにも認められるほどの業績をあげ、アフリカで研究の途上で黄熱病で亡くなった野口英世博士の人生に思いをめぐらせたのでした。

墓標にはこう書かれている、

THROUGH DEVOTION TO SCIENCE
HE LIVED AND DIED FOR HUMANITY


科学への献身により、人類の為に生き、人類の為に死す







蛇足だが、このウッドローン墓地は超有名人と超お金持ちのの墓地のようで、まるで石の家のようなお墓もいくつもあった。また有名人などでは、
高峰譲吉博士
マイルス・デービス
デューク・エリントン
のお墓もあるとオフィスでもらった地図に書いていた。


ロサンゼルス

2008年09月06日 | 旅行記
わが家の女性達はロサンゼルス観光へ。

ここ東海岸と、西海岸は全く違うらしい、おまけに飛行機で6時間と同じ国内とは思えないほど遠い。気候が人間の気質へも影響するのか、Namijiは「毎日が晴れで、ぽかぽかで、年中ビーチサンダルで、ここで生まれ育てば誰でも◯◯になるなー」という感想。













NY 一泊二日旅行

2008年04月05日 | 旅行記


TOSHIKO TRAVEL
女三人、ニューヨーク一泊二日(ちょっとゆっくりコース)記録

・朝8時BOSTON発のグレイハウンドバス、昼12時NY着

・ホテルに荷物を預けてから五番街を経由してセントラルパークへ、
 普通ならとにかく歩くが、今回は初めて馬車に乗る

・メトロポリタン美術館をゆっくりと見る

・ディナーは予約しておいたMORIMOTOへ、
このレストランはアメリカのテレビ番組 IRON SHEFF にも出演している森本シェフが企画したもの。私はそれよりこのレストラン内装を、あの安藤忠雄が手がけているので予約を薦めたもの。壁の一部がペットボトルを積み重ねて照明を当てるというちょっと変わったデザイン。写真がピンぼけなのはNamijiがわざと芸術的撮り方をしたため(?)。

MORIMOTOについての詳細はこちら
http://www.morimotonyc.com/

・夜のエンパイヤステート・ビルディングがらの夜景を見ようとしたが1時間半の待ち時間のため中止

・翌日はゆっくり起きてから地下鉄でブルックリン・ブリッジへ
天気の良い日にこの橋を歩いて渡るのは、本当に気持ちが良い。橋の歩く通路は木製の板が敷いてあり、車の走る道路から一段高い場所に有るため歩きやすイーストリバーも、河口も、ビル街もよく見える。普通のNY一日観光コースには無いがお勧めで、これをTOSHIKO TRAVEL は地下鉄の出入り口を迷わずきちんと案内してくれる。


・グラウンド・ゼロへ、新しいビルの工事が始まったとはいえまだまだ

・お目当てのセンチュリー21にてお買い物
衣料品やカバンが安いが、レスポのポーチやバッグなどは特に安いのでママ友はアメリカのおみやげに大量購入

・午後4時30発のバスで帰路へ、ボストン・サウスステーションへ午後8時30分着

お疲れさまでした

クルーズ(7)オリンピック・レストラン

2008年01月06日 | 旅行記
 

この船ミレニアム号の「売り」のひとつに Olympic Restaurant がある。このレストランの名前「オリンピック」は、あのタイタニック号とそっくりの姉妹船オリンピック号から名付けたもの。単に名付けただけでなく本当にオリンピック号の豪華レストランからレストランの内装と食器類を買い取って当時のレストランの様子を再現し、最高のサービスを提供している。
オリンピック号は、Wikipedia にもあるので参考に、
このオリンピック号はタイタニック号とすり替えられたという「伝説」があるとか、タイタニック号とこのミレニアム号もよく似た大きさだとか、タイタニック号のレストランもこんな風だったのかな、とか想像しながら食事をするといっそう楽しさが増す。

 

レストランではハープの生演奏でその曲目は最初は「サウンド・オブ・ミュージック」からの数曲でわらわれにピッタリ!そしてウエイターたちのサービスも3人同時にお料理が出るように配慮するなど、さすが。写真はチーズのサービスと食後のデザートの様子。
高級レストランなので海の上でもワインの量と質は素晴らしいよう、ソムリエが優しくかつ熱心にワインを薦めてくれる。
「3人でワインを飲むのでしたら是非1本このリストから選んで下さい」
「フランスの白がお好みですか、そらならこちらはいかがですか◯◯◯(フランス語で覚えられない)をお薦めします」
「このワインはFullbody でこと年のものはとても深い味わいです」
薦められても、ついつい値段の方に先に目が行ってしまうJun、(えー、ソムリエお好みのワインは255ドル!すごい値段するねー)と心の中でで思いながら、もう少し安いやつを選ぶ。この日飲んだワインは値段も味わいも格別だった。

 

クルーズ7日目は早くも帰路で一日中海の上。到着前日夜には大きなトランクは運搬に出す必要があるので荷物作り、その他、ウエイター達へのチップの心配など。
レストランは7回のディナーがあるが、ドレスコードはFormalが2回、informalが1回、その他はカジュアル。わが家の女性は、フォーマルドレス、着物、ゆかた、を準備してお着替え。やはり着物の注目度はバツグンで「ビューティフル、素晴らしい、プリティー」などの賛辞をいただき満足で、さすが日本の伝統の力を感じる。


クルーズ(6)ハイチ

2008年01月05日 | 旅行記


クルーズ6日目は、Labadee, Haiti、ここではクルーズ会社が持つプライベートビーチへ、沖合へ船は停泊し皆さんはジェットスキー、シューノーケル、ヨット、パワーボートなどを選択してそれぞれに楽しむ。



我々は「30人限定、何も無いプライベートビーチで静かな時間を過ごす」で、ボートに乗り島の小さな砂浜に到着。何も無いというということだが、きちんとビーチチェアーとビーチマットが準備されていて、ちょうどいい具合に木陰で過ごすもよし、海で泳ぐもよしでほんと、リラックスーリラックスー。

 

 

観察したところによれば約1/4のおじさま、おばさまたちは椅子に寝ながら持ってきたペーパーバックスを読むだけで海には入らなかった。うーむ西洋人の最上のバケーションの時間はカリブの風と光の中でゆっくり読書か、残念ながら私はまだその域に達していないようだ。
夢のような数時間はあっというまに終わりボートが迎えにきた、もう一度この浜辺を訪れることがあるだろうか、と思いながら島を後にする。

 

クルーズ(5)ドミニカ共和国

2008年01月04日 | 旅行記
次々と新しい島へ朝目覚めると連れて行ってくれる、初めて知ったクルーズの快適さ。5日目は、Casa de Campo, Dominican Republic、多少カリブの国に慣れて来たので船の用意したツアーではなくタクシーを貸し切り島の一部をまわる、意外だが3人だとタクシーの方が安い。



最初は大きなマリーナ、その横には別荘風の建物が建ち並び、アメリカだけでなくヨーロッパからも(金持ちが)来て滞在しゆっくりとゴルフとクルージングを楽しむらしい。

 

次に行ったのは「芸術家の村」と解説のあるALTOS DE CHAVON という名の場所。ここは建物などスペン風で古い石、れんが、木材は使っているものの全て新しく建て直したので、いわばテーマパークみたいなものらしい。
この太陽と原色のアート、回りは熱帯の原生林という取り合わせは、もうすっかり真冬の地域から来たということを忘れさせてくれた。

 






クルーズ(4)サンファン(プエルトリコ)

2008年01月04日 | 旅行記
 

4日目は、San Juan (Pueroto Rico)、空が真っ青で白い雲がまぶしくサングラスが必需品、そして港には我々だけでなく他にも大きなクルーズ船が並ぶ。ここは市街地に多くの宝石店がありお買い物には最適の場所らしいが、まずバスツアーで街の主要スポットを廻る。

  
最初は旧庁舎、総大理石作りで古いけどピカピカ、昔のプエルトリコの繁栄がうかがえる。

 
海に突き出た要塞跡、ここから大砲を発射し攻めてくる船を沈めたらしい、カリブの海は荒い。

  
宝石時計店が店を並べる石畳の通りはにぎやかで明るい雰囲気。その中の落ちついた感じのアンティーク店で、少々お買い物をする。


クルーズ(3)クリスマス

2008年01月03日 | 旅行記
船室はこんな感じ、3人目は2段ベッドの上、シャワーだけと部屋は狭いがお陰で一人当たりの料金はそんなに高くない。しかし上を見れば、バルコニー付き、スイートルーム、24時間部屋専用バトラー(執事)付き、などお金を出せばいくらでも上がある。




3日目は一日中海の上だが2日目夜から3日目にかけてはクリスマスの催しが沢山で、船の中いくつもの場所で音楽、ショーなどを楽しめる。
そしてクリスマスの深夜はいつものレストランが模様替して、氷の彫刻・ジンジャーブレッドの家・細かく細工した色んな料理のどを見せ、そのあとこれを目でも楽しみながら食べる、かなりホーと言わざるをえない趣向だった。