Salem 3年日記

マサチューセッツ州セーラムに住み3年以上。

ハリケーンとワイン

2011年08月29日 | 米国生活、ここが違うよ

宇宙から見てもよく判る渦、このハリケーン・アイリーン Irene が東海岸を北上しNYやマサチューセッツ州を直撃。なんせNY・MA州ともに非常事態宣言発令で空港は閉鎖、ほとんど全ての行事はキャンセル。

実はこの土日は何ヶ月も前から計画を練り準備したI会長を迎えてのTanglewood夏のコンサートと小旅行の予定日だったが全てキャンセル!

私の頭の中では、晴れた青空の下、広がる芝生の上で用意したワインで乾杯をしてベートーベン第9が始まるまでリラックスした時間を過ごす、、が全てキャンセル!

ということで、Tossyが準備してくれていたチーズなどののおつまみと共に家で飲んでしまいました、準備したワインとシャンパン。外では風雨が強まる中、昼間から飲んだくれて寝てしまった。

日頃は買わないフランス産のワイン、ワインクーラーも準備して(Aさんからの借り物)、キャップはバルセロナで買ったおみやげで、こういう風な関連小物が楽しいのもやっぱりワインですね。写真を写したとき、中身は既に空となっていたのです。

 


夏の定番 エアーショー at Portsmouth

2011年08月21日 | 行った、見た、食べた

去年に引き続き行ってきました夏の定番エアーショー、場所はNH州 Portmouth。

去年は、行きは遅めに出発したため道が渋滞で開始に遅れ、帰りも駐車場へのシャトルバスが全く来ないほどの混乱だった。その教訓で今年は朝7時にアパートを出発し、混雑すること無く到着し、席は滑走路前の一般観客用エリアの前から2番目を確保。

展示機の最大のものはこれ、米軍最大の輸送機・ギャラクシー。前部と後部を開け中を見学しながら通り抜けることが出来る。大きな荷物を入れられる大空間はさすがだが最新鋭機ではないので少々古さが目立つ。(RESERVEと書いてあったのでこの機体は予備役?)

今回はちゃんと見つけることが出来たバドワイザーを飲み開始までの時間を待つ。国歌に続いて落下傘が上空から降りてきてショーの開幕。

 

ジェット機、プロペラ機、いずれもデモ飛行あったが上は第2次大戦中に活躍したP-51 ムスタング。下は空中給油機、空中給油するだけが目的なのに意外とデカイと言う印象。

そして、プロペラ機とFA-18(だったと思う)と並んでのフライ・バイ、そしてちょっと珍しいジェット機による民間アクロバット飛行チームと続く。このジェット機にはミグ戦闘機が1機混じっていてこれもまた珍しい。

このエアーショーでは「ポッキーのボストン」で知られているポッキーさんと会う。ポッキーさんとはブログを通して知り合ったのだがお会いするのは2回目でようやく色々とお話が出来る。そしてダンナ様のシン吉さんは望遠レンズの使い方がとても上手で、フェンウエイ球場でのイチローや松坂選手の表情までも判る写真や、エアーショーでの決定的瞬間の写真など私はまだまだ足元にも及ばないほど。

今回は私はズームレンズが変わり(SIGMA DC 18-200mm Optical Stabilizer) 去年よりかは、ズームが撮れるようになりました。最後の〆はアメリカ空軍サンダーバード!

上は最大ズームで写せた最もアップした機体、大きくくっきりと写せてはいるものの動きが見えませんね、まだまだ修行が必要。下の写真は大成功、接近しかつ上下が逆さまでの飛行。

チーム飛行のすばらしさ、騒音の洗礼、青空に広がる飛行機雲、 前日に日本から帰ってきた疲れも吹き飛んで行ったのでした。ただし、注意して日焼け止めを塗っていたもののやはり腕は赤くなってしまった。

 

 


PEM(5) Man Ray; 中年男の未練をアートに昇華させるのこと

2011年08月20日 | 美術館, Art, Design

マン・レイとリー・ミラー、二人がパリで出会ったのは彼が39才・彼女が22才のとき。彼にはその当時キキという恋人がいた。

キキとは「モンパルナスのキキ」、藤田嗣治「寝室の裸婦キキ」として知られているクラブ歌手/女優/モデルで、もちろんマン・レイの写真・絵画のモデルにもなっていた。

そんなキキを押しのけて恋人/パートナーとなったリー・ミラーだが、前述の通り3年で彼女は彼のもとを去りニューヨークへ戻り自分の新しいことを夢中で追って行った。彼女に去られた彼は42才、若い彼女に未練たっぷりで彼女が住んでいた部屋の外で一夜を明かしたり、自殺を連想させる作品を作ったり、彼女の本名である「エリザベス、エリザベス、エリザベス、、、、、」とノートに名前を書き綴ったり、ハサミで女性を切るようなデッサンを描いてみたり、、。

でもマン・レイはさすがアーティスト、そのような愛憎の感情をみごと(?)アートへ昇華させたのだった。

あえて大きな画像にしたのは、現物もけっこう大きいため。彼は彼女の唇を思い出して長い間かけてこの作品を描き自分の手元に置いていた "Observatory time - Lovers"と題されたこの作品, 私が描けば単なる若い女性の唇への執着にすぎないが、彼が描けば彼女への愛の昇華、、?

 

そしてこの有名なメトロノームに彼女の目を切り取り貼付けたオブジェ。マン・レイは『破壊すべきオブジェ』と題したデッサンの下方にオブジェの使用方法について「愛していたのにもう会うことの出来ない人の写真から、その眼を 切り抜く。メトロノームの振り子にこの眼を取り付け、思い通りのテンポになるように重りを調整する。そして、忍耐の限度まで鳴らし続ける。ハンマーで狙い 定め、そのすべてを破壊する。」と説明している。(manreyistさんブログよりの引用)

PEMではこのオブジェの解説にさらに面白いエピソードが述べられていた。「このメトロノームは後の展覧会で、芸術の商業化反対を唱える若い男性に盗まれ破壊されてしまった。これに怒ったマン・レイはコピー作品を100個(と書いていたと思う)作り、全てリー・ミラーの目の写真を付け、『破壊し得ないオブジェ』と名付けた。」

コピーが多いということで、私はこれをフランス・ポンピドー美術館で見たと記憶していたので納得した。このメトロノームがカチカチとリズムと時を刻み、リー・ミラーの目が揺れているのを見られたら最高だったのだが。

 

このように色んな視点で楽しむことが出来るこの "Man Ray | Lee Miller, Partners in Surrealism" Peabody Essex Museum 12月4日まで開催中です。


PEM(4) パリの3年間の作品 - Man Ray and Lee Miller

2011年08月18日 | 美術館, Art, Design

マン・レイとリー・ミラー、二人がパリで共に過ごした1929年から1932年の3年間。たぶん二人は英語で会話していたと思う、パリのアメリカ人、シュールレアリズム運動の中で活躍していても異邦人だった二人(これは私の勝手な想像、、)。

さてその時代の作品を抜粋、

リー・ミラーが写したパリの橋、うまく造形と影を切り取っています。

リー・ミラー 無題 (頭に手をのせた女性)髪形や服装からは80年前のものとはあまり感じないが。

リー・ミラー 「ひげを剃るマン・レイ」 シュールレアリズムは日常をアートに変えてゆく。

PEMの展覧会で展示している写真は、もちろん原版にできるだけ忠実に印画紙に焼き付けている、デジタルプリントでない、いわば本物の写真。本物だからネット上の粗い解像度や本の印刷物とは違い素晴らしいものだろうと期待したが、これだけは期待はずれ。展示されている写真は上の画像と全く同じ、ボケ、ぶれ、粒子の粗さが目立ち、白と黒のメリハリが無い。素人はこれらを嫌うが、アート作品にはタブーではないと言うことだろう。

マン・レイが写したリー・ミラー、彼は商業ポスター的に撮ることも出来るようだがうまく髪の流れを印象強くしている。

マン・レイ 『リー・ミラーのポートレート」この写真を見ているとリー・ミラーが水中をゆっくり進んで行っているように見える。この写真に付けられた解説は、そのような効果を出すために、実は彼女が上を向き写真は縦(ポートレイト)にして展示する時は横(ランドスケープ)というトリックを使っている。なるほど、80年前のアイデアでも新鮮だ。

最後の写真はリー・ミラーの首の部分を写したものだが、これには二人の関係を示すエピソードがある。

マン・レイはこの写真を現像後に「失敗作だ」として現像室に捨てていた。捨てられていた写真を見たリー・ミラーは、これは使えると直感しトリミングし直して作品にした。従い、これは二人の共作ということになった。

これほど共に生活し、共に共鳴しながら創作していた二人だが3年で別れてしまうことになる。リーの方から別れて行ったそうである、やはり女性は怖い、、、、

最後にもう1回「おまけ編」を

 


PEM (3) 美しすぎるアーティスト、リー・ミラー

2011年08月17日 | 美術館, Art, Design

 

リー・ミラーはニューヨークで美術学校に通っていたが、スカウトされ20才からモデルとしてVOGUE の表紙を飾るなどその美貌が注目されていた。

そして彼女が22才のときパリへ旅行し、そこでシュールレアリストであり写真家でもあるマン・レイと出会う。マン・レイは、自分は弟子は取らないと言っていたもののすぐに彼女はマン・レイの写真のアシスタントとなる。この期間にマン・レイは多くの後世に残る有名な写真を撮るが(ピカソやポール・エリュアールなど)その幾つかはリー・ミラーが写したものだと言われている。

最初はアシスタントとして、次は写真のモデルとして、アート制作の協力者として、そして恋人同士として一緒に住むようになった。

3年間の間に多くの写真と作品を残す活動を行ったものの(これが今回の展覧会の中心)、リー・ミラーはマン・レイと別れニューヨークへ戻る。

写真スタジオで働いたり、エジプト旅行をして写真を残したりながら、一方 Vogue のモデルも続けるなどの活動を行っていた。そして第二次世界大戦がヨーロッパで勃発したとき彼女はロンドンにいた。

そして、なんと驚くことにリー・ミラーはアメリカ軍の最初の5人の女性従軍カメラマン(ライフ誌やヴォーグ誌の特派員)としてヨーロッパ戦線の最前線の写真を撮り次々と雑誌に発表して行った。

その写真はここには掲載しないが、塹壕で、砲撃の風景、ドイツ軍撤退後の残骸、川の水の中の兵士の死体、逃げ遅れた女性兵士(看護婦?)が服毒自殺した直後の姿、など悲惨な光景だが静かに写真に切り取っていて、普通の報道カメラマンとは違うと言えるものを残している。

パリ解放の直後にパリに入り、そこで旧友であるピカソと再会した写真。ピカソとリーが親しい間柄だったことがよく判る。ピカソの絵の中で、彼女をモデルにして描いたと言われている作品もある。

その後のリーは、ある時期から写真やアートの活動をやめ、2度結婚し子供をもうけたもの、長い間 Depresshion(うつ病)に悩まされ時には深酒に溺れた時期も有ったとのこと。

マン・レイは別れた後も、長いあいだ友人として彼女をサーポートした。彼の後年の手紙が公開されているがそれは優しく励ましているようであった。

晩年に二人が再会した時の写真、この後数年で二人は相次いで亡くなった。

リー・ミラーの作品は、彼女が後半生に作品の保存に興味を示さずアートの活動から離れていたこともありあまり評価されず、作品は散逸していたそうである。彼の息子達がその散逸した作品を再度集めLee Miller Archive を作っていて、ここから彼女の大判に焼いた作品が購入出来るようになっている。

http://www.leemiller.co.uk/index.aspx

彼女の人生をうんぬん言うのが目的ではないが、その時代ごとに生きてゆき時代を切り取り足跡を残したリー・ミラーはもっと知られ評価されるべきと思う。

次回は、いよいよマン・レイとリー・ミラーがパリで過ごした3年間に焦点をあてて。(いつまで続くのやら、、)

 


PEM (2) マン・レイ&リー・ミラー、シュルレアリスムの恋人達

2011年08月01日 | 美術館, Art, Design

シュルレアリスムフランス語: Surréalisme, シュレアリスム)は芸術の形態、主張の一つ。超現実主義ともいう。現実(約束事などに囚われた日常世界)に隣接した世界、またはその中に内包された世界で、現実から離れてしまった世界ではなく、夜の夢や見慣れた都市風景、むき出しの物事などの中から不意に感じられる「強度の強い現実」「上位の現実」である。 - Wikipedia より

マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudzitsky, Эммануэль Рудзицкий, 1890年8月27日 - 1976年11月18日)は、アメリカ合衆国画家彫刻家写真家ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られる。レイヨグラフソラリゼーションなど、さまざまな技法を駆使し、一方でストレートなポートレート(特に同時代の芸術家のポートレート)も得意とし、ファッション写真と呼べるような作品もあったりと、多種多様な写真作品群を残している。 1921年、7月、エコール・ド・パリの時代であったパリに渡り、モンパルナスに住みながら本格的に写真に傾倒する。同年6月にパリに戻っていた親友のデュシャンの紹介によって、パリのダダイストたちと交友を始める。パリに渡って数ヶ月後にはフランスの歌手・モデルであるキキに出会い恋に落ちる。シュルレアリスム運動が起こると、シュリレアリスト達とも交わり、シュルレアリスム的作品も手がけることとなる。ソラリゼーションを表現技法として最初に利用したことでも有名。- Wikipedia より

リー・ミラー Elizabeth 'Lee' Miller, Lady Penrose (April 23, 1907 – July 21, 1977) was an American photographer. Born in Poughkeepsie, New York in 1907, she was a successful fashion model in New York City in the 1920s before going to Paris where she became an established fashion and fine art photographer. During the Second World War, she became an acclaimed war correspondent for Vogue magazine covering events such as the London Blitz, the liberation of Paris, and the concentration camps at Buchenwald and Dachau. -Wikipedia 日本語版が無いので英語で

長々と引用をしてすみませんが、この3つのアイテムと二人のバックグラウンドを踏まえて、

マン・レイとリー・ミラーは、パリで出会い、最初は先生と生徒として、そして恋人として、共に暮らし、一緒に作品を作り上げた。それは1929年から1932年までのわずか3年のあいだだった。

、、、以降は次回に。