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Salem 3年日記

マサチューセッツ州セーラムに住み3年以上。

耳たこソングがグラミー賞で判った

2010年02月07日 | 米国生活、ここが違うよ
私にとっての耳たこソングは、車で走る時にラジオから流れてきて馴染みになったものの、歌手も題名も判らなかったこの曲。"upset" はよく使う口語だよねなどと思いながら聞いていた。

You're on the phone
With your girlfriend
She's upset
She's going off about
Something that you said
She doesn't get your humor
Like I do

そしてグラミー賞受賞のテレビ中継を見て初めて判った歌手と曲名、

Taylor Swift - You Belong With Me

弱冠二十歳でグラミー4部門制覇、最優秀アルバム賞はビヨンセを押さえて受賞、すごいね。しかし彼女はカントリー部門に分類されている、古くさい?カントリーも今風になったということか。
もちろんこのアラレちゃん眼鏡はグラミー賞授賞式の時にはしていなかった。




Happy Holiday !

2009年12月23日 | 米国生活、ここが違うよ


クリスマスカードをいただきながら返事もしておらず、失礼しております。
この場を借りて、

Marry Christmas and Happy New Year!

来る年が皆様にとっても良い年になりますように

日本の年賀状は元旦(または2日に)ドカッとまとめて配達されるが、クリスマスカードは12月に入り徐々に来るようになり飾ったりして長い間楽しめますね。

さて、下の写真はNamijiが残して行った我が家の大型プーさん、彼もサンタの衣装に変えて次の引き取り手を待っている。


ボストン→ハイアニス→ナンタケッタ島へ(前日の余韻が残る中を)

2009年08月31日 | 米国生活、ここが違うよ
8月29日にエドワード・ケネディー上院議員の葬儀がボストンで行われ、葬儀は国葬並みでオバマ大統領、3人の前大統領が出席して行われた。
ケープコッドのハイアニスにある自宅で亡くなった後、遺体はJFKミュージアム(John F. Kennedy Presidential Library & Museum)へ二日間安置され市民の皆さんが別れの挨拶、その後にボストンのカトリック教会で行われた葬儀はアメリカの全チャンネルが生中継で様子を伝えていた。
IさんはJFKミュージアムに行き1時間半以上並んで棺を拝んできたそうで、その時の写真を送ってきてくれた。弔辞に訪れた市民にはケネディー家の親族が一人一人に挨拶していたそうである、大きく写っている方が故ケネディ議員の奥様のヴィクトリア(通称ビッキー)さん。

 

土曜の葬儀のテレビ生中継を朝起きてから午後過ぎまでずーーっと見て、アメリカの葬儀の様子、ケネディ家の家系、オバマ大統領の弔辞など英語が充分には理解出来なかったが興味深く見続けた。アメリカと市民が故ケネディ氏を立派な政治家と讃えるだけでなく(特にマサチューセッツ州住民は)市民に近い身近な存在として捉えているとこが日本と異なると感じた。もうひとつ、テレビが何度もKeneddy Family と言うようにアメリカでもケネディ一家は特別なセレブリティーであり注目の的。離婚・事故死・暗殺など悲劇と影の面がある反面、華やかな結婚式(あのシュワちゃんもケネディ家の娘さんと結婚しケネディ一家の一員)とスペシャル・オリンピックの普及に尽くしたシュライバー夫人(つい一ヶ月前に亡くなった)など、あこがれや模範にすべき輝かしい面もある。
葬儀が進み、チェロの演奏が始まったがなんと奏者はあの Yo-Yo Ma!
静かに、心にしみるチェロの演奏はすばらしい!の一言。その後に、オペラ歌手スーザン・グラハムのアベ・マリア独唱など、世界一流の音楽家が伝える感情表現の美しさを改めて感じることが出来た。

Family Moved By Yo-Yo Ma Cello Performance


葬儀の29日はハリケーンの影響で大雨と風、我々はナンタケッタ島行き小旅行を翌日に延ばして30日早朝に自宅アパートを出発。ルートはセーラム→ボストン→JFKミュージアムそば→ハイアニスとちょうど前日に棺が通ったであろうと思われるルートを通る。
いつも見える星条旗は半旗で弔意を表していた。
そしてハイウエイの電光掲示板には、

THAKS TED, FROM THE PEOPLE OF MASSATUSETTS
(Tedはエドワードの愛称)
というサインがターンパイクを含むハイウエイの全てで表示されていた。棺を乗せた車はこのサインを見ながら、沿道には多くの市民に見送られながら進んでいったのかと思うと、ここに居合わせたことと、アメリカ市民の持つ故ケネディ氏への一体感のような感情にちょっと感動を覚えた。

雲が厚く霧も出ているハイアニスやナンタケッタ島の景色は夏のリゾート地とは違う、墨絵のような風景だった。



ポールが屋上ライブ、そしてフェンウエイ球場でも

2009年07月19日 | 米国生活、ここが違うよ
私は毎朝の簡単な朝食時にテレビのニュースを約10分程度見ることにしている。天気予報や事故のニュースは判り易いが、政治/裁判/行政ニュースの内容は今でも半分も理解出来ない。
先週のこと、いつものように朝のテレビを見ていると聞き慣れたビートルズの「ゲットバック」の歌声が流れてきた。
ポールマッカートニーが野外で歌っている!
しかも屋上ライブの録画のよう!
しかもニューヨークで!

Letterman - Paul McCartney: \"Back In The USSR\"

"Get Back"は残念ながらYouTubeから削除されたようなので、代わりにCBS公式YouTube映像の"Back in the USSR"で。

ポールマッカートニーはいま全米ツアー中で、ニューヨークのCBSテレビ LATE SHOW に出演しこの屋上ライブの演奏を行ったよう。しかし演出がにくいね、
屋上ライブはあの有名なアップル本社屋上でのライブ演奏以来40年ぶり!
演奏した建物は、あのアメリカでのスターの地位を獲得した45年前のテレビ番組「エドサリバンショー」にゆかりの Ed Sullivan Theater!

そして。。。。
ポールはニューヨークだけでなくボストンでもコンサートを行う!
しかもフェンウエイ球場で!
8月5日、6日、もうすぐ!

そして。。。。
私はもうその切符を手に入れている!
8月は結婚記念日の月(あのときは暑かった...)、忘れないように早めに手配をしたのです。ポールは1942年生まれの67歳、このチャンスを逃せばもう生ポールを見たり歌を聞いたりするチャンスはないのではと思う。
私の世代はビートルズの日本公演で、「ビートルズ台風」と称して大騒ぎになり、テレビ中継を実際に見て、ませた先輩が家出をして東京へビートルズを見に行ったらしいとウワサをした、ことを実感している多感な高校1年生だった。
こんな43年前のことは鮮明に覚えているのに、数日前のことは忘れてしまう Jun です。

アメリカ公演のチケットはここで、運がよければ入手できるかも、
LIVE NATION
http://www.livenation.com/artist/paul-mccartney-tickets


IZ(イズ)の歌

2009年07月12日 | 米国生活、ここが違うよ
たまには音楽ネタで、
ハワイアンという枠にははまらない彼、ハワイ出身の歌手IZ(イズ)こと Israel Kamakawiwo'ole、彼の歌を聴かないことには良さは判らない。

Somewhere Over The Rainbow
Israel Kamakawiwo'Ole 'IZ' 'Somewhere Over The Rainbow' HQ

改めてこの映像を見たが、最後の方で多くの人が見守る中を壷から灰を海に撒いている...どうも散骨/海洋葬のよう。ハワイの海には彼の魂が漂っているかもしれない。

もう一曲、これも良い!
In This Life
"In This Life" - Israel Kamakawiwo'ole


やはりハワイも一度は行ってみるベキところのよう、なんせ小さい頃には「トリスを飲んでハワイへ行こう」という1960年代のCMで頭に刷り込まれているし。


DVDビデオ Comming soon

2009年07月09日 | 米国生活、ここが違うよ
Hula同好会の皆様、お待たせいたしました
5月のHula party; Our 1st. Ho'ike 記録のDVDビデオがほぼ完成いたしました。皆さんにも画像をアップしてもらったりと協力いただき、特にTomoさんには動画読み込みがうまくいかなかったため何度も形式を変えて送っていただき、ありがとうございました。
苦労はしましたが、自分の趣味の領域ですので楽しみながら作りました(なんせ高校時代は放送部)。間もなくDVDを焼いて会員の皆さんに配布出来ると思いますのでお楽しみに。

DVDビデオ概要
・全時間;30分
・動画約10本、画像百数十枚を4つのパートに分けて収録
・BGMは私の好きなハワイ出身の歌手IZ(イズ)ことイズラエル・カマカヴィヴォオレ(Israel Kamakawiwo'ole)の曲を使用。曲目は、
- Somewhere Over The Rainbow
- Kamarani
- Hawaii Aloha
彼は1997年に38歳の若さで亡くなっているが、あの巨体から発せられる美しい歌声に安らぎを覚える。



卒業式 Commencement

2009年05月24日 | 米国生活、ここが違うよ


Namijiは既に昨年12月末に必要単位を取得し大学卒業し4月から就職したが、Salem State Collge 卒業式は5月16日。まだ入社したての新入社員なので何日も休みを取りにくいが、さすが良品◯◯は良い会社、金曜日夜Boston着・月曜日早朝Boston発という短い日程ながら休みをもらい無事に卒業式に出席することが出来た。

大学の卒業式に初めて出席したが、約千人強の卒業生よりも両親・親戚の方の数が多く賑やかな式だった。Namijiは日本の女子大生定番の袴姿で、その上に黒のガウンと帽子という衣装で式に臨む。その他のアメリカ人は黒のドレスにハイヒール姿あり、はたまたTシャツ・ジーンズ・ビーサンの上にガウンという人も居て、ほんと様々。





有名大学ならゲスト・スピーカーに超有名人(ハーバード大学ならビル・ゲイツとか)を招くが今回の式はSSC出身のJohn F. Tierneyがスピーチ、私は彼の名前を知らなかったが、政治家で連邦政府の要職を務めているらしい。
皆から最も拍手や歓声を得たのは名誉博士号を授与された元Red Sox伝説のプレイヤー、ミスターRed Sox とも呼ばれている(らしい)Johnny Peskyおじいちゃん。彼の背番号「6」は永久欠番になっており、フェンウエイ球場の右側ポールは"Pesky's Pole."と呼ばれている。89歳になった今も元気で、セーラムの近くに住んでいるため近くのコーヒーショップで時々見かけるというウワサがある。
皆さんのスピーチは「これから地域・社会に出て自分の力を試せ、アメリカは君たちの若い力を必要としている」という前向きの明るいメッセージであった。

卒業生全員の名前が一人づつ呼ばれ、観客は自分の子供が呼ばれた時は、拍手や大声で答えてあげるのがアメリカでのお約束。声は出したつもりだが、写真を撮るのに気を取られてあまり出ていなかったよう。

祝 卒業


Mother's Day

2009年05月10日 | 米国生活、ここが違うよ


Thank you, Wataru and Yumiko san!




棚は貝殻の象眼がアクセントになっているアンティークの棚。1920年代または1930年代の香港製、Toshikoさんがセーラムのアンティークショップで見つけさんざん悩んだ末に20%ちょっと割引に成功し先週購入したもの。

Not "out of the woods" yet

2009年05月03日 | 米国生活、ここが違うよ
新型インフルエンザ患者が発生しているアメリカだが日本とはちょっと対応が異なる、まずマスクをしている一般人は皆無。
そして5月3日現在、患者は226名・30州で発生しているが、それでも当局は楽観的な見解を示している。
"The good news is when we look at this virus right now, we're not seeing some of the things in the virus that have been associated in the past with more severe flu. That's encouraging, but it doesn't mean we're out of the woods yet,"
「けれども、まだ森を抜けたわけではない」ーーーーなるほど、まだ危機を脱したわけではないということの英語的表現か、と妙なところに感心。

もうひとつ、当局の3日前の発表、「パニックになる必要はありません、アメリカでは毎年3万人がインフルエンザで死んでいて、この冬も毎週約600名の人が死んでいます。このような普通のインフルエンザと異なるという証拠は今のところありません」ーーーーーそれはそうなんでしょうが.....

私の住んでいるマサチューセッツ州でも患者が発生し、次第にテレビやニュースのトップに取り上げられるようになってきた。
・メキシコより帰ってきた少年2名が新型インフルエンザ発症!
・5月3日、マサチューセッツ州の患者は7名になる!
・ローガン空港に発熱した患者を降ろすため旅客機が緊急着陸!MGHへ運び込まれる
・ハーバード大学歯科学生が新型インフルエンザの疑い、診療所とクラスは閉鎖!
・ノースイースタン大学の卒業式では、握手禁止の通達!卒業式会場には殺菌ハンドジェルPurellを大量に準備
・BU(Boston University) 歯科学生も発熱で新型インフルエンザの疑い、患者など接触した人を調査中!

自分で出来る対策は手洗い励行ぐらいかと思っている。
私はこの季節はアメリカの花粉症にやられており、鼻をたらしたりくしゃみをしてインフルエンザに疑われないようしっかり薬を飲みます。Claritin-D, よく効くし眠くならないので助かってます。


日本では海外出張禁止の会社も多いとのこと、けどアメリカ帰りの人たちを疑いの目では見ないで下さい、いずれ日本にも伝播するはずですから。

追っかけも、終了のときがきた

2009年01月28日 | 米国生活、ここが違うよ


Namijiが本日の飛行機で帰国

これでNamijiの追っかけも、終わりのときを迎えた。

7月の涼しい夏に米国へ来て、July 4thの花火を初めて見て、

1月の雪の中を米国を離れた。



高校を卒業して家を離れた時に、もう一緒に住むことは無いかと思っていたが、
思いがけないチャンスが訪れて、追っかけを堪能することが出来た。


「ではごきげんよう」

「達者でナァ」

(つげ義春作品の台詞より)

Have a Happy Holiday!

2008年12月27日 | 米国生活、ここが違うよ
アメリカでは公式にはメリークリスマスと言わずに Happy Holiday という。なぜならキリスト誕生を祝うキリスト教徒だけがアメリカ国民ではないため、例えばユダヤ教ならハヌカの祭りと言うらしい。
けど我が家ではクリスマスのときはキリスト教で、この飾り付け。


そして今年のクリスマスツリーはこれ、液をお皿に入れると約10時間で、あら不思議、クリマスツリーの結晶の出来上がり。もう一つのお楽しみは子供向けにカレンダーの日付の場所をめくるとチョコレートが毎日食べられるというもの。





さて、このクリスマス・バケーションには我々はどこへも行かないものの、何人かのお客様が来てくれる。一人目のお客はNamijiの友達のあーちゃん、彼女はカナダ留学の経験があり我が家にも来たことがあるのだが、彼女はすごい雨女、今日もジンクス通り雨が降る中を空港までお出迎え。ノーマンロックウエル美術館まで行こうと思うのだが、雨だと大変と思案中...。

着物 de Party

2008年12月23日 | 米国生活、ここが違うよ
Namijiの卒業と日本帰国が迫って来て、着物着付け教室グループによる「着物でさよならパーティー」をやっていただいた。私は運転手兼写真係で参加、講師役のNamijiは振り袖姿。
途中参加のY先生も普段と違う女性達の姿にビックリ。ポットラックと言いながら、豪華なテーブルセッティングと準備をAさんと旦那様にしていただきありがとうございました。








会社のクリスマス・パーティー

2008年12月21日 | 米国生活、ここが違うよ
日本だと忘年会や新年会ですけど、こちらではクリスマス・パーティーです。パーティーにはパートナーと同伴が原則で、日頃は作業服の皆さんもこの日はネクタイを締めて見違える姿で奥様と出席。今年は会場が私のアパートのすぐそば、Salemの歴史あるホーソンホテル Hawthorne Hotel の一番大きなボールルームにて開かれた。
抽選会 raffle で盛り上がった後はダンスパーティーに、年配の方々も60年代の踊りでさらに盛り上がり楽しいパーティーでした。







ただし、アメリカは100年に一度の経済恐慌に突入中のためパーティーの中でも厳しい話しがチラホラと出てくる。
ー◯◯社は今年のクリスマス・パーティーは中止だそうだ
ー私の知り合いはケータリングをやっているが、今年は注文が大幅ダウンと言っていたよ
ーガソリンは安くなったが、みんな車は買い替えなくなり、お金を使わなくなってきている。これでGMが破産したら何が起こるか判らない
ー日本も円高もあり大変なようだから、今はむしろ日本へ帰らない方がいいかもね

だからと言って深刻にならないところがアメリカ人の特徴のようです、よく言えばボジティブ。私もそれに習って前向きに行きましょう。

ホーソンホテルのレストランは宿泊客でなくても食事出来ます、ホテルについてはこちらを、

http://www.hawthornehotel.com/



ブラック・フライデー Black Friday Sale

2008年11月28日 | 米国生活、ここが違うよ
今年は11月27日(木)が Thanksgiving Day で会社は土日も含め4連休、アメリカ人は家族が集いターキーを食べるというのが一般的で、日本で言えばお盆の里帰りのようなもの。
そして、これからクリスマスまでがお買い物シーズンとなる。Thanksgiving Day 翌日には深夜零時または早朝から店がオープンし大幅割引セールを行い、どのお店もセールにより人が集まり黒字になることから Black Friday と近年は呼ばれているよう。




わが家は今年はこの午前零時セールに挑戦、
・午後9時10分;いざアパートを出発
・約1時間半で渋滞も無くレンサム・アウトレットモールへ到着
・午後11時すぎ;お店を実況見分結果、COACH には異常に長い行列を発見したため行列に加わる。
・11月28日午前零時にモールのほとんどのお店がオープン、みんな歓声をあげて店内へ。ところがCOACH は余りにも多いため入場規制。
・そこから辛抱強く待つこと約1時間、外気温3度の中で合計2時間の行列をガマンしてようやく店内へ入れる。
・待った甲斐があり、20%から50%オフ、プラス今朝10時まで限定で10%でCOACH お買い物が出来る。
・その後、持ってきたお水とおにぎりだけで午前5時まで買物に走り回る。(女性達が)(私は車の中で休憩)
・午前5時にアウトレットモールからの帰途へ、そして6時半に今度は North Shore Shopping Mall の午前5時開始のセールへ。
・結局、この日のお買い物ツアーから帰って来たのは朝の8時半....。
皆様、お疲れさまでした。

写真は、深夜に辛抱強くCOACH開店を待つ長い行列をiphoneカメラで写したもの。



歴史的瞬間に

2008年11月18日 | 米国生活、ここが違うよ
アメリカに住んでいるお陰で歴史的な(?)出来事が身近に起こり、感じられる。
2004年と2007年のBOSTON REDSOX優勝!
100年に一度と言われる経済恐慌のまっただ中!
ハリケーン、戦争、そしてこのオバマ氏の歴史的な勝利!
世論調査では優勢でも、「なにが起こるか判らない」「投票箱の前では黒人候補に投票することをためらうのでは」などと言われていたものの、世論はCHANGE!を選んだということになる。投票日のテレビ中継を見ていてJFK博物館で展示していたケネディー対ニクソンの緊迫した接戦を予想していたが、意外と早く大勢が決まったという感想だが、これが歴史的な結果だということは変わらないと思われる。




日本の政治家と違うところは、判りやすい言葉で語りかけること。
This is our chance to answer that call. This is our moment. This is our time – to put our people back to work and open doors of opportunity for our kids; to restore prosperity and promote the cause of peace; to reclaim the American Dream and reaffirm that fundamental truth....

勝利演説全文はこちら、
Barack Obama’s Victory Speech