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Salem 3年日記

マサチューセッツ州セーラムに住み3年以上。

PEM (3) 美しすぎるアーティスト、リー・ミラー

2011年08月17日 | 美術館, Art, Design

 

リー・ミラーはニューヨークで美術学校に通っていたが、スカウトされ20才からモデルとしてVOGUE の表紙を飾るなどその美貌が注目されていた。

そして彼女が22才のときパリへ旅行し、そこでシュールレアリストであり写真家でもあるマン・レイと出会う。マン・レイは、自分は弟子は取らないと言っていたもののすぐに彼女はマン・レイの写真のアシスタントとなる。この期間にマン・レイは多くの後世に残る有名な写真を撮るが(ピカソやポール・エリュアールなど)その幾つかはリー・ミラーが写したものだと言われている。

最初はアシスタントとして、次は写真のモデルとして、アート制作の協力者として、そして恋人同士として一緒に住むようになった。

3年間の間に多くの写真と作品を残す活動を行ったものの(これが今回の展覧会の中心)、リー・ミラーはマン・レイと別れニューヨークへ戻る。

写真スタジオで働いたり、エジプト旅行をして写真を残したりながら、一方 Vogue のモデルも続けるなどの活動を行っていた。そして第二次世界大戦がヨーロッパで勃発したとき彼女はロンドンにいた。

そして、なんと驚くことにリー・ミラーはアメリカ軍の最初の5人の女性従軍カメラマン(ライフ誌やヴォーグ誌の特派員)としてヨーロッパ戦線の最前線の写真を撮り次々と雑誌に発表して行った。

その写真はここには掲載しないが、塹壕で、砲撃の風景、ドイツ軍撤退後の残骸、川の水の中の兵士の死体、逃げ遅れた女性兵士(看護婦?)が服毒自殺した直後の姿、など悲惨な光景だが静かに写真に切り取っていて、普通の報道カメラマンとは違うと言えるものを残している。

パリ解放の直後にパリに入り、そこで旧友であるピカソと再会した写真。ピカソとリーが親しい間柄だったことがよく判る。ピカソの絵の中で、彼女をモデルにして描いたと言われている作品もある。

その後のリーは、ある時期から写真やアートの活動をやめ、2度結婚し子供をもうけたもの、長い間 Depresshion(うつ病)に悩まされ時には深酒に溺れた時期も有ったとのこと。

マン・レイは別れた後も、長いあいだ友人として彼女をサーポートした。彼の後年の手紙が公開されているがそれは優しく励ましているようであった。

晩年に二人が再会した時の写真、この後数年で二人は相次いで亡くなった。

リー・ミラーの作品は、彼女が後半生に作品の保存に興味を示さずアートの活動から離れていたこともありあまり評価されず、作品は散逸していたそうである。彼の息子達がその散逸した作品を再度集めLee Miller Archive を作っていて、ここから彼女の大判に焼いた作品が購入出来るようになっている。

http://www.leemiller.co.uk/index.aspx

彼女の人生をうんぬん言うのが目的ではないが、その時代ごとに生きてゆき時代を切り取り足跡を残したリー・ミラーはもっと知られ評価されるべきと思う。

次回は、いよいよマン・レイとリー・ミラーがパリで過ごした3年間に焦点をあてて。(いつまで続くのやら、、)

 


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