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ひとりごと~ファザコンのお話~

2008-09-23 23:28:18 | 日記・エッセイ・コラム

父はとっくに亡くなっていますが、最近、男女共同参画社会の言葉を聞きながら、学習会等でも感じてよく思い出すことが多いのは、私が年を取ったことなのかも  ね

私がまだ、小さい頃、父は汽車で岡山まで通勤していた 煙の出ている汽車・・・

朝早く、確か5時何分かの汽車で・・・そして帰って来るとその足で竹ほうきを持って庭を掃いていた姿が強烈に残っている

物のない時代だったけど、毎日、お土産があった 袋に入った甘納豆とか、ボールとか、絵本とか、毎日必ず合ったので、弟の分と二つ、ボールの時は白と赤の・・・

帰って来るのが、とても楽しみだった 時々は近所の友人の分まで買って来てくれていた 楽しみだったから「ただ今」の声が聞こえると飛んで出ていた

母は完全な主婦で、いつも家の中はピカピカだった

昔は台所も土間だったのだけど、どこも本当にきれいに掃除が行き届いていた

分業の時代だったけど、主婦もいつも忙しく、何かしていたような母だった

掃除や洗濯も大変だし、縫い物、編み物、漬物等も色々な種類があった

他の事は、余りなかったけど、毎日父が帰って来ると、庭をはいていた事が強烈にのこっていて、そして時々デパートの屋上にあった乗り物に乗せてくれていた 

それと動物園にも連れて行ってくれていた その頃はとか、象さん、キリンさん、ライオンさんくらいだったかなぁ~

そして、結婚して間がない頃、婚家先に泊りに行った時、古い母に育てられていたので、緊張して朝早く起きて、何かお手伝いしょうとキッチンに行って、ビックリしたのは、お父様がせっせと、コーヒーの用意やセッティングの用意をされていて、「順子さん!まだゆっくり寝ていなさい」と言われてとてもビックリしたのだけど、最近男女共同参画社会の事がよく言われていて、ちょっと違うけど、母もあちらのお母様も別に外での仕事をしている訳ではなかったけど、昔の主婦は、結構する事も多かったので(その頃はそれが当たり前)、できることで手伝っていたのかなぁ~と最近良く思い出して、どちらもいい環境の家だったとつくづく思う

そして、大きな声とか、夫婦喧嘩とか全然無かったのか?と不思議な位穏やかな家だった

父は、今生きていたら110歳位でお父様は90歳代だと思うけど、その年代ですごいでしょ

父は、早稲田の理工科卒、お父様は幼稚舎から慶応卒、昔の学校に行ってた人は、」それなりに人間教育が出来ていたのでは、ないかと感じる事が多くある

家庭もそれなりに、出来ていたし、学校そのものも、今よりずっと威厳があったように感じる

善悪ではないけど、毎日の生活、暮らしがきちんとしていたように感じる。

子どもの躾も、していいこと、いけないことはきちんとしていたと思う  

最近は、親もおかしいし、先生も?人間がおかしい?人が増えたよね

どうすればいいのだろう~日本もおかしいけど、世界がおかしい~

とりあえず、日本はどこに行こうとしているのだろうか

そんな事考えても、大きな事は出来ないから、今いるところで、毎日の生活、暮らしの中で自分の出来る小さなことをやり続ける事しかないね

能力のある人は、男でも女でも合ったことをすればいいと思うけど、どちらかが、家庭の事もしなければいけないと思うけど?

それは、どちらであっても二人で家庭で決めたらいいと思うけど、家庭の事、子どもの事を放ったままでは、どうかなっと私は思うけど・・・・

家庭の事ってとても大事だと思うのは、おかしいのかなぁ~

愛情のある食事、躾って何より人間教育で大事だと思うけどなぁ~ 変な愛情でなく、本物の子どもに取って自立でき、お役に立てることを知る事が、最優先では?