富山にて久々に ハマナスの花と少し熟れる前の色付いた実を見つけました
実が なって居る傍で鳥さんにでも食べられかけたのか? 一粒・実が下に落ちて居りましたので実を少し剥いて一口頂いて写真を撮り 元の位置の土の上に戻して上げました
皆さんは このハマナスの実を食べた事は ありますか?
私が 中・高校生の一番・食欲旺盛で食べる物が少なかった頃に おやつ代わりに時には昼食代わりに 晩秋に成ると線路脇の浜辺で熟したハマナスを食べました。
熟したハマナスは 大きくても牛乳瓶の蓋程くらいで 実の中身は 種だらけで食べられる部分は少なくて外側部分だけなのですが たいして御腹が膨れるほどには成りませんでした
少し硬めの未だ熟す前のハマナスの実は 直ぐに御腹が痛くなり体調を壊しますが 他には山に植えて有る大根位でしょうか(・・?
今更ながらですが 子供の頃の貧乏自慢の思い出話しです
石川啄木が 最果ての驛に降り立った頃の我が街は 江戸時代から続く函館と同じ様に外国船『ロシヤ』との交易場所で 鰊・鯖・鰯漁の漁業のトテモ盛んな町でした
アイヌ民族の方々も代々住んで居られて アイヌの悲しい物語も有りますが 生活をする事に適した 平坦な部分土地も有り 水産物には 鮭が遡上する汽水湖から外洋にむけて湾を形成していて 真水と海水が
混じり合う場所は 自然の養殖場と成り 現在でも牡蠣『岩ガキ』や昆布漁もトテモ盛んな土地柄でした。
我が街は 根釧原野の湿地帯も無い訳では有りませんが 比較的少なくて漁業の町ですが 狩猟をしている叔父・親族が居たり 林業や炭・養蚕も母方の祖父母は 手広く仕事をしていました
その我が故郷の厚岸は 道東の中で大きな湾を抱えて居ましたのと 国泰寺と言う江戸幕府から拝領した寺が有り 釧路よりも栄えて居たのですが 残念ながら当時の知識人や古老・有力者達は 今まで道りの海運
運搬で漁業の運搬や林業の運搬には 海路で十分と辞退して黒い煙が立つ鉄道建設にに興味を示さなかったばかりか 異様な化け物に思えた様で 町が黒い物で覆わられて漁業や林業に影響が出るとか疫病が流行るとの
難癖をつけて北海道官設鉄道会社の北海道鉄道部が白糠~厚岸まで鉄路を敷設してくれると言う申し出を断り 釧路駅までと成って16年の立ち遅れの嘆きを 母方の祖父母から何回も何回も小さい頃に 聞かされました
釧路駅は 1901年『明治34年』7月20日に白糠~釧路まで開通して東の要として港湾も整備されて その後・繁栄をして居ることを目の当たりにして慌てて鉄道の延長・請願をしたのですが・・・・
釧路駅開通から遅れる事 16年後 1917年『対象6年12月01日 厚岸まで延長と成りましたが 時すでに遅し 全ての役所も企業も人の流れも変わってしまいました
でも我が町が 反映して居た証に 我が街には地裁や役所の出張所が 私が上京するまでは 有りました
最初の 北海道官設鉄道会社『後の日本国有鉄道』の線路敷設・驛設置を断らなければ 石川啄木さんの最果てに足を踏み入れた地は 釧路では無くて厚岸だったと思われます
タラればを言うときりが有りませんが こんな昔の話を 覚えている(笑)・知っている(笑)人も少なくなりましたし伝える人も少なくなりました