猫・桜・自然・発煙筒・祭り・時々御酒と独り言

お立ち寄り有難うございます。

家猫6人庭猫2人と桜に囲まれ 忙しない毎日を生きております。

私も抱っこ・・

2016-09-09 12:54:42 | 猫・(=^・^=)・ネコ
我が家の出来事です

昨日のママchakoが私に甘えていた行動を見ていたのでしょうネ

先程から三女shiroが トコトコやってきて私の膝にのってスリスリと甘え始めました



今日の温度は未だ28.6℃です 湿度こそ昨日程では有りませんので 少ない分チョッピリ蒸し暑さが無くて助かります。

Shiroは 子供の時からベタベタとまとわりつくのですが 何故かトテもサッパリした女の子で 20分も抱っこされてブウブウと鼻を鳴らしてチョッピリ満足したらサッサと安心しますので もう少しだけの辛抱です

道東には 台風崩れの低気圧と小さな低気圧に囲まれて居る様です

十分な注意が必要です
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ハマナスの実

2016-09-09 04:46:51 | 木と野と花


富山にて久々に ハマナスの花と少し熟れる前の色付いた実を見つけました

実が なって居る傍で鳥さんにでも食べられかけたのか? 一粒・実が下に落ちて居りましたので実を少し剥いて一口頂いて写真を撮り 元の位置の土の上に戻して上げました

皆さんは このハマナスの実を食べた事は ありますか?

私が 中・高校生の一番・食欲旺盛で食べる物が少なかった頃に おやつ代わりに時には昼食代わりに 晩秋に成ると線路脇の浜辺で熟したハマナスを食べました。

熟したハマナスは 大きくても牛乳瓶の蓋程くらいで 実の中身は 種だらけで食べられる部分は少なくて外側部分だけなのですが たいして御腹が膨れるほどには成りませんでした

少し硬めの未だ熟す前のハマナスの実は 直ぐに御腹が痛くなり体調を壊しますが 他には山に植えて有る大根位でしょうか(・・?

今更ながらですが 子供の頃の貧乏自慢の思い出話しです

石川啄木が 最果ての驛に降り立った頃の我が街は 江戸時代から続く函館と同じ様に外国船『ロシヤ』との交易場所で 鰊・鯖・鰯漁の漁業のトテモ盛んな町でした

アイヌ民族の方々も代々住んで居られて アイヌの悲しい物語も有りますが 生活をする事に適した 平坦な部分土地も有り 水産物には 鮭が遡上する汽水湖から外洋にむけて湾を形成していて 真水と海水が

混じり合う場所は 自然の養殖場と成り 現在でも牡蠣『岩ガキ』や昆布漁もトテモ盛んな土地柄でした。

我が街は 根釧原野の湿地帯も無い訳では有りませんが 比較的少なくて漁業の町ですが 狩猟をしている叔父・親族が居たり 林業や炭・養蚕も母方の祖父母は 手広く仕事をしていました

その我が故郷の厚岸は 道東の中で大きな湾を抱えて居ましたのと 国泰寺と言う江戸幕府から拝領した寺が有り 釧路よりも栄えて居たのですが 残念ながら当時の知識人や古老・有力者達は 今まで道りの海運

運搬で漁業の運搬や林業の運搬には 海路で十分と辞退して黒い煙が立つ鉄道建設にに興味を示さなかったばかりか 異様な化け物に思えた様で 町が黒い物で覆わられて漁業や林業に影響が出るとか疫病が流行るとの

難癖をつけて北海道官設鉄道会社の北海道鉄道部が白糠~厚岸まで鉄路を敷設してくれると言う申し出を断り 釧路駅までと成って16年の立ち遅れの嘆きを 母方の祖父母から何回も何回も小さい頃に 聞かされました



釧路駅は 1901年『明治34年』7月20日に白糠~釧路まで開通して東の要として港湾も整備されて その後・繁栄をして居ることを目の当たりにして慌てて鉄道の延長・請願をしたのですが・・・・

釧路駅開通から遅れる事 16年後 1917年『対象6年12月01日 厚岸まで延長と成りましたが 時すでに遅し 全ての役所も企業も人の流れも変わってしまいました

でも我が町が 反映して居た証に 我が街には地裁や役所の出張所が 私が上京するまでは 有りました

最初の 北海道官設鉄道会社『後の日本国有鉄道』の線路敷設・驛設置を断らなければ 石川啄木さんの最果てに足を踏み入れた地は 釧路では無くて厚岸だったと思われます

タラればを言うときりが有りませんが こんな昔の話を 覚えている(笑)・知っている(笑)人も少なくなりましたし伝える人も少なくなりました



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ハマナスの花

2016-09-09 03:05:55 | 木と野と花


先日の事 富山の海岸にて浜茄子の花と実を見つけました

バラ科バラ族の砂浜に良く咲いて居て枝は痛い刺が有る あの花です

我が故郷の北海道では 砂浜や海岸線・最近は 山に近い処『公園等にも有りますので移植したかもしれません』にも咲いて居ます

私は 見かけた事は有りませんが ハマナスで調べてみると白い花も有るとの事ですが 実も白いのでしょうか?



石川啄木さんの唄に 潮かおる 北の浜辺の砂山の かのハマナスよ 今年も咲けるや と有ります

たくさんの唄を函館・釧路・札幌・東京で残されて居ますので 御存じの方も多いと思います

石川啄木さんは 函館にも居られましたので 現在・この唄ハマナスを唄った碑は 函館に建てられております




石川啄木は 新聞社に勤められたりして居て沢山の唄を残して 若くして亡くなったのですが・・・

函館・札幌と仕事場が変わり釧路へ当時・蒸気機関車に乗って 1908年『明治41年』1月21日の夜に 一番の東の果ての釧路驛に着いた時に作られた唄は

さいはての驛におりたち ゆきあかり さびしき町に あゆみいりにき

鉄道が 釧路まで開通したのが 1901年『明治34年』7月20日の事で 釧路駅は現在の地よりも離れた場所に有りました

サゾカシ夜に降り立った釧路の町は シバレテ『凍って』いて 雪明りと言う事ですので 雪景色『雪が降って居る時は未だ暖かく』は トテモ寒かった事と思います

石川啄木さんは 何年も釧路の町にいらっしゃったと思われる方も多いのでしょうが 実は 1月に来釧して3月には 釧路を離れて居た様です


ハマナスの実へ続く








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