岩瀬浜に着いてから北前船で栄えた場所を散歩してみました
直ぐ傍にはノーベル街道と言う標識が有りました
ノーベル賞 受賞者を点で結ぶと街道に成るのだそうです
北前船のレプリカが 置いてありました
格子戸の佇まいが 歴史を感じさせてとても落ち着いた町に成って居ます
北前船に関して 私の記憶と違うのが沢山有りまして 調べれば調べるほどに何方かと言うと公的機関に近い所のホームページが 余りにも酷くて嘘とは 申しませんが何かの丸写しの様に書かれて居ます
良く・北前船で各地で話題に成るのが 蝦夷地の日本海側から港をめぐり下関から瀬戸内海に入り大坂『大阪』に至るルートと東北の太平洋側を通り奥筋廻船は江戸へと通るルートが有った様です
此の 太平洋ルートの東の始まりが 択捉・国後を起点としている様で 我が故郷にも寄港地に成って居る様ですが・・・・現在の町の資料には残って居ないと思われます。
江戸と大坂とを結ぶ尾州廻船も有った様ですので 紀伊国屋文左衛門のミカン船がこれでしょうか(・・?
富山の私が歩いた岩瀬地区には 財をなした地元では有名な 森家が有りますが 今回は立ち寄らずに帰りました
以前・金子みすゞさんで有名に成った 長門市仙崎に伺いましたら 此方も北前船が寄港されたと伺いましたので 記憶を合わせる様に 調べましたが何方にも出ておらず3時間かけて漸く痕跡を見つけました
長門市のホームページでさえ 載って居るのは 誇らしげに地元の代議士がプーチンを呼んで首脳会議を我が街でとの事だけ・・・・・
私が 以前に伺った時には 金子みすゞさんの建物と北前船の建物が有った気がするのですが・・・
この仙崎と言う場所は 今では・田舎の小さな佇まいなのですが金子みすゞさんが育ったその昔は 小学校が何校も有り映画館が何軒も有り 寂しい町で無くてとても賑やかな街だったとか・・・・
偶々・立ち寄った干物やサンで 彼女の詩の見方が変わるお話を伺いました。
私の父は 小樽で明治時代に生まれ 父方の祖父母は 越中・富山の出身で 母方の祖父の生家は加賀の金沢と聞いて居ります
八尾のおわらの祭りの中に居て 何故か懐かしささえ覚えるのは DNAが有るのかも知れません