オカルト伝説は事実である

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「ユダヤ人=悲劇の民族」というフェイクヒストリー

2024-07-08 19:23:17 | 陰謀論
 
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✳️【ユダヤの高利貸しイメージ】
 世間の非難を浴びるような高利貸しかどうかはともなく、金融の世界で能力を発揮したユダヤ人が少なからずいた/いることは紛れもない歴史的事実です。ただし、その背景には、近代以前のキリスト教世界では、金融はユダヤ人に許された数少ない職業の1つだったという事情があったことも忘れてはなりません。「ユダヤ人=悲劇の民族というフェイクヒストリー」
 
 中世のキリスト教は農奴制の社会構造と結びついていたため、商業・金融業を敵視する傾向がありました。現在でも、熱心なクリスチャンの中には、商売はすべて多かれ少なかれ“いかさま”を含んでいると考えている人も決して少なくありません。(中略)
 
 しかし、人間の社会が機能していくためには、商業や金融は不可欠です。そこで、“汚れ仕事”としての商業や金融は、異教徒であるユダヤ人にやらせてしまえばいいという発想が出てきます。
 
 1179年に開催された第3回ラテラノ公会議では、ユダヤ人はキリスト教徒の召使を雇ってはならない、キリスト教徒はユダヤ人の移住地の近くに住んではならないなどとする、ユダヤ人の隔離政策とともに、キリスト教徒間での金銭貸借では金利を取ってはならないとの決定がなされます。これにより、金融という“汚れ仕事”は、ユダヤ人に押し付けられることになりました。(中略)
 
 1199年に教皇として即位したインノケンティウス3世はさらに露骨で、各地で発生した反ユダヤ暴動に対して、ユダヤ人の生命・財産は保証するが、ユダヤ人がキリスト教徒に貸し付けた金銭は、そのキリスト教徒が十字軍に参加した場合は返済を免除されるとの裁定を下しています。足元を見て、殺されるよりはいいだろうと、ユダヤ人の不満を抑え込みます。
 
 それでも、ユダヤ系の金融業者が必死の営業努力で利益を積み重ねていくと、1215年の第4回ラテラノ公会議で、またしてもユダヤ人条項が定められます。それによると、ユダヤ系金融業者の金利は制限され、その上、借金の形としてキリスト教徒から財産を没収した場合、ユダヤ人債権者が代わりに10分の1税を協会に納めることとしています。
 
 さらに、英国では、1275年、国王エドワード1世がユダヤ人の債権を対象として徳政令を発令。ユダヤ人の指導者を投獄して法外な身代金を要求し、1290年に身代金が完納されると、そのままユダヤ人を国外追放してしまうということさえやっています。
 
 こうした理不尽な境遇に置かれ続けたのが、西欧における「ユダヤの高利貸し」の実態でした。
 
 
【東欧諸国の反ユダヤ主義】
 ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)をおこなったナチス・ドイツは、現代世界の標準的な歴史認識では絶対悪として語られています。(中略)
 
 ソ連とその影響下にあった東欧地域では、第2次大戦をはさんで戦前戦後、ナチス・ドイツに勝るとも劣らない、凄まじいユダヤ人迫害がおこなわれていました。その一端を、いくつかご紹介しましょう。
 
 
【①ウクライナ】
 1941年9月29日から30日にかけて、ナチスの親衛隊に地元ウクライナ人住民とウクライナ警察が加わり、3万3771人のユダヤ人が首都キエフ近郊のバビ・ヤール峡谷に連行され、殺害された“バビ・ヤール大虐殺”を皮切りに、ウクライナの地では1943年までに10万人のユダヤ人が殺害されたと推定されてます。
 
 
【②リトアニア】
 ソリー・ガノール(杉原千畝と個人的な親交のあったユダヤ人。ダッハウに収容され、米日系人部隊によって救出)は、以下のように証言しています。(以下、証言は『日本人に救われたユダヤ人の手記』講談社より)
 
 ユダヤ人にとってスラボトケ(リトアニアの一地区)は、殺戮の地とされていた。ナチス・ドイツの対ソ不意打ち攻撃が始まってわずか3日後の6月25日、リトアニア人によってユダヤ人虐殺の最初の惨劇が、ここで繰り広げられたのである。夜更け、斧や銃、ナイフで武装したリトアニア人の大きな集団が、ユダヤ人の集中的移住地区に三々五々集まってきた。(中略)この夜、700人を超える人々が生命を落とした。
 
 スラボトケの惨劇は、その後第7要塞でおこなわれた数千人の虐殺への序曲にほかならない。
 
 
【③ハンガリー】
 当時のハンガリーでのユダヤ人迫害については、1944年10月19日付で、アメリカの戦略情報局(OSS)が以下のような報告書をまとめています。
 
 ハンガリー一般民衆のユダヤ人輸送に対する反応は、尋常一様のものではない、という以外に言いようがない。ハンガリーのインテリや中産階級はナチスの反ユダヤ宣伝に完全に染まってしまっているようだ。この国のジャーナリズムの伝えるところでは、大多数の住民がユダヤ追跡、検挙に進んで協力を申し出、その熱意には政府も顔負けしたほどだという。
 
 また、たしかな筋からの報告によれば、ハンガリーの憲兵たちのユダヤ摘発と迫害のやり方は、ナチスのゲシュタポの比ではないという。さらにナジヴァラドにおいては、2000人のキリスト教徒がユダヤ人たちの残していった財産を横領し、そのかどでいま尋問を受けているという。……ユダヤ人迫害政策に対する抗議といったものは、どこにも見当たらない。(後略) 内藤陽介〈みんな大好き陰謀論〉より
 
 
✔️【真相〈ほかの文献には違うことが書かれている〉】
 これだけを読めば……
 
 「ユダヤ人ってなにも悪いことをしてないのに、ただユダヤ人というだけで迫害されたり、虐殺されたり、追放されたりした、かわいそうな民族なんだなぁ」
 
 ……と、誰もが思うことでしょう。
 
 ところが……
 
 ●〈ユダヤ百科事典〉
 
 ●〈ブリタニカ国際大百科事典〉
 
 ●エドワード・ギボン〈ローマ帝国衰亡史〉
 
 ●ウィリアム・カー〈ポーンズ・イン・ザ・ゲーム〉
 
 ……といった本には、まったくちがうことが書かれているのです。
 
 
【1000年前、ユダヤ人商人たちは違法の限りを尽くしていた】
 ……今から1000年以上前のこと。当時、ユダヤ人商人たちは奴隷貿易、麻薬貿易、酒・香水・宝石の密輸といった違法な通商行為で莫大な財を成しており、非ユダヤ人の同業者たちの事業を妨害していました。
 
 それに見かねたときのローマ皇帝ユスティニアヌス1世はユスティニアヌス法典を作り、ユダヤ人商人たちの違法行為を廃止しようとしました。
 
 が、ユダヤ人商人たちの違法行為が止むことはなく、麻薬・酒・女を使ってローマの役人を堕落させ、自分たちの支配権を守り続けました。
 
 つまり、ヨーロッパ経済を裏から支配するユダヤ人商人たちは、ローマ皇帝以上の権力を持っていたということなのです。
 
 
【ローマ・カトリックの反撃】
 1215年、ローマ・カトリックの支配層は第4回ラテラノ公会議を開き、ユダヤ人商人たちの魔手から民衆を守るべく、ユダヤ人の移住地区を限定することにします。
 
 また、ユダヤ人がキリスト教徒の召使いを雇ってはならないとしたのは、ユダヤ人商人がキリスト教徒を表看板にして事業を営み、なにか問題が起きたときはキリスト教徒に責任を押し付けることができたからです。
 
 また、法令ではキリスト教徒の女性を家庭に入れることも禁じられました。なぜなら、ユダヤ人商人によって売春をさせられるからです。
 
 しかし、それでもユダヤ人商人たちによる違法はなくならず、1290年、ついにイギリスのエドワード1世は、すべてのユダヤ人をイギリスから追放する法令を発布しました。
 
 そしてイギリスに倣い、イタリア、ポルトガル、ハンガリー、ベルギー、オランダ、スペインなど、ヨーロッパ中の国々もユダヤ人を国外に追放します。
 
 が、それでも、別格の財力と影響力を持った一部のユダヤ人商人たちは、ヨーロッパ各地に避難の場所を確保できたそうです。
 
 
【ヨーロッパ各国の指導者たちはユダヤ人商人と戦っていた】
 このように、ただユダヤ人だからという理由で差別・迫害・追放をしていたわけではなく、各国の指導者たちは違法と悪徳の限りを尽くすユダヤ人商人たちから国を守るためにユダヤ人を追放していた、というのが歴史の真相なのです。
 
 
【悪いユダヤ人はごく一部にすぎない】
 無論、違法通商などでヨーロッパ中を地獄に突き落としていたユダヤ人商人は、ユダヤ人全体のごく一部に過ぎません。
 
 そのごく一部のユダヤ人のイメージがユダヤ人全体のイメージとして定着し、各国はすべてのユダヤ人を国外に追放したり、むごい虐殺事件が起きたりしてしまったのです。
 
 が、大多数の善良なユダヤ人まで迫害した人々を責めることは誰にもできないと思います。
 
 例えば、あなたの住む町に、オウム真理教の元信者1万人の団体が引っ越してきたらどういう感情に襲われると思いますか?
 
 いかに教祖の麻原彰晃が処刑されたとはいえ、いかに“元信者”とはいえ、「ちょ、ちょっと待ってくれ……」という感情に襲われるはずです。それと同じことです。
 
 
【まとめ】
 ●ヨーロッパ諸国の指導者たちは、悪徳ユダヤ人と戦っていた。
 


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