自分が今まで楽しんでいたことや、愉快な考えなどは、たとえそれが敬虔なものであろうと、
それに執着するならばついには心が疲労してしまい、一つの喜びは長く続くうちに悲しみとなるということに
私は気がついた。すると彼女はこう答えた。
「神様においてだけ憩いがあります。そして決して疲らせない真の喜びは、
自己軽べつの中から汲みとる喜びです。それで昨晩のあなたの弱さに関してですが。
(私はちょっと涙を流した。たいへん疲れていたので、朝課がすんでから病人を見舞いに行くことが
辛かったからである。そしてひとりの姉妹がそれを見たのである)
もしその現場を見た姉妹があなたに徳がないと思うなら、
そしてあなた自身も心の底からそれに同意するなら、それこそ真の喜びです。
― ああ、ごもっともです。私にはなすべきことがよくわかります。それがはっきりわかるのですが、
私にはそれが行ないに出せないのです。いいえ、決して私は善くなれません!
― そんなことはありません。そこまで行かれます。神様が行かせてくださいます。
― そうです。けれどもそれは決して他人の目につかないでしょうし、
私がいつでも転んでばかりいるのを見れば、いつも私が不完全だと思うでしょう。
でもあなたは徳のある人だと皆が認めています。
― それは正に、私がそう思われることを決して望まないからです。
あなたはいつも不完全だと思われていらっしゃる、それでよいのです。そこにあなたの利益があるのです。
自分は不完全であると信じ、他の人々が完全であると思う。そこに幸福があるのです。
人があなたに徳がないと認めても、それはあなたから何も取り去りはしませんし、
あなたをもっと貧しくもしません。かえって他の人々は内心の喜びという点で損をしています。
なぜなら、隣人の善について考えるほど甘美なものはありませんから。
あなたを悪く判断するのはお気の毒ですが、
あなたが神様の愛のためそれによってへりくだるなら結構なことです。
私は彼女に、「私は何だか、ぼんやりしてわけがわからないような気持ちになりました。」と白状した。
― それでもかまいません。神様はあなたの意向をごぞんじですから、
そして私をほほえませるために、わざと私どもふたりがよく知っている隠語で、
「あなたが謙そんであればあるほど幸福になるでしょう。」とつけ加えた。
― ああ、私がこれからかち得なければならない、いろいろのことを思いますと・・・・・・
― むしろ失わなければならない、とおっしゃい・・・・あなたが欠点を取り除くにしたがって、
光輝をもってあなたの霊魂を満たしてくださるのはイエズス様です・・・・・
彼女はしばしば私にこう言った。「あなたは徳を実行するようにはなれないでしょう・・・・・
あなたは山に登ろうとしますが、神様はあなたが自己軽べつを学ぶことのできる豊沃な谷底に
あなたを降りさせようとしていらっしゃいます。」と。
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聖テレーズがセリーヌに言った言葉
あなたは徳を実行するようにはなれないでしょう・・・・・
あなたは山に登ろうとしますが、神様はあなたが自己軽べつを学ぶことのできる豊沃な谷底に
あなたを降りさせようとしていらっしゃいます。」と。
私の今の状態を表しているかのよう。
自分を捨てるとはいかに普通の人間にとって難しい。
地上にいたイエズス様の謙遜とはどれ程のものだったのか。
神様ですらこれほど身を低くされたと思えば、どのようなことであれ、尊いものになる。
何であれ・・・だ。
イエズス様の謙遜
マリア様の謙遜
謙遜の覚え方は、流した涙の回数と忍耐なのかもしれない。
追記・・・
あとから気づいた
あなたは徳を実行するようにはなれないでしょう・・・・・
あなたは山に登ろうとしますが、神様はあなたが自己軽べつを学ぶことのできる豊沃な谷底に
あなたを降りさせようとしていらっしゃいます。」と。
聖テレーズはセリーヌに上から目線で言ったかのような言葉だが・・・
しかし、もうテレーズはすでに谷底に降りていたのだ。
こんなことは、もう、経験済だったのだと思う。
テレーズなら谷底に降りているどころか、谷底に降りて谷底を掘っているまで自己軽蔑をしていたかもしれない。
恐るべし・・・聖テレーズ