東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

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河内の民話「砂かけクスの木」

2019-03-10 23:41:53 | 河内國の昔話
こんばんは。
すっかり2月に逃げられてしまいました。
しかも3月も中旬に差し掛かってまいりました。
あと1週間もするとお彼岸です。

さて、久しぶりにの投稿ですが、河内國の昔話のコーナーです。



「砂かけくすのき」
温和な気候に恵まれ、豊かな農産物を背景とし、大坂という経済都市に接している河内地方は、江戸幕府にとって重要な地域でした。そこで大藩を置かず、天領として直接支配する村を多くして旗本領、藩領なども交え、複雑な入組(いりくみ)支配の下に領主の変遷を繰り返してきたのです。
幕府は領主が固まることによって生ずる農民たちの団結を弱め、それを防ぐ政策をとったのです。岩田村を支配していたのは旗本の永井佐渡守で、毎年年貢米をはじめ租税や助郷(すけごう)の負担などが多く、村人を困らせていました。
今日も今日とて、旗本の御母堂様の法要のための上納金を、とのお触れをもって、役人が庄屋の中園さん宅へやって来たのです。
今年の夏はひどい日照りで、水争いまでして給水したかいもなく、稲も棉の収穫もさんざんでした。年貢米は、借金までしてやっと納めた家もあったというのに、どうして、そんなお金を納められるでしょうか。
 庄屋さんをはじめ年寄衆は涙をながさんばかりにして、その件を、ごようしゃくださるよう何度も何度もお願いしたのですが、役人は情けようしゃもなく、
「今月の末までに、必ず用意しておくように………しかと申しつけたぞ」
きついお達しを突きつけて帰っていきました。
 その役人と従者が、前の庄屋、小枝家の塀に沿って歩いて来た時でした。急に風もないのに、小枝家のクスの木の枝がザワザワとざわめき出したかと思うと、大粒の砂が役人たちの頭上に降りかかりました。それも少しではありません。役人たちの目や背中までも入る程でした。
「ふらちな村人めー」
村人の仕業に違いないと、、かんかんに怒った役人は、従者に命じてクスの木の上に登らせたり、あたりをくまなく調べさせましたが、村人の姿などどこにも見えないのです。
 役人たちは、腹立ちをぶっつける所もないので、足音も荒く帰っていきました。
 このクスの木には、昔から「砂かけばば」が住んでいて、夜遊びしてきた道楽者が通ると砂をかけるんやー、といういい伝えがありました。が、その正体を見たものはいません。
 それはきっと「砂かけばあさん」の、無情な役人に対するささやかな抵抗だったのだろうと、村人たちは話し合っていました。




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