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東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

HPからブログに移行し、ちょっと明るい雰囲気です。仏事、納骨、永代供養のご相談、どうぞお申し出ください。

にりんの木

2016-11-25 09:01:42 | 河内國の昔話
お早うございます。

今日は河内の昔話です。


《にりんの木》


加納村の北にある沼のほとりに、天にも届くほどの大きな「にりんの木」がありました。

 むかしから「この木から龍が空に昇るんや。そうすると、村に幸せがやってくるんやー」と言い伝えられていて、それを信じているおばあさんが、注連縄を張ってにりんの木を大切にしていました。

 ある年のことです。
 梅雨の時には、天の底が抜けたように何日も大雨が降り続き、恩智川の堤が切れて村人を困らせました。
 その反対に七月には一滴の雨も降りません。川は日に日に細い流れとなり、用水路へ引き入れる水もなくなってしまいました。
 村人は、氏神様に雨乞いをしました。でも灼(や)けるようなお日様は、生駒の山から顔を出し、無情にも田畑を焦がして、お城のむこうへ沈んでいきます。

 そんな時
「雨を降らすと言われている龍に頼んではー」
「にりんの木に頼んだら、龍を昇らせ雨を降らしてくれはるんやろー」
との声があがりました。
「そんなあほなことー」
と、てんで相手にしなかった人たちも、日照りのひどさにたまりかね、にりんの木にむかって雨乞いを始めました。でも少しも雨は降りません。田畑は亀の甲のようにひびが入り、稲の苗は黄色くなりはじめました。このままだと村に大きな飢饉がおしよせてきます。

 日ましに、にりんの木に祈る人が多くなってきました。全身全霊をかたむけて祈る村人の精も根も尽き果てたかと思われた日の夕方のことです。もくもくとにりんの木から黒い雲が湧き出し、ゆっくりと東の方へと広がっていきました。その雲が、みるみる厚い層となって、にりんのこずえをおおいます。とー
「ごぉーっ」
響きとも、雷の音ともつかない大きな音がしたかと思うと、“ピカッ”するどい稲光が四方の空をひき裂きました。
「あっ」
息を呑む村人の頭の上を、黒々とした雲のかたまりが、にりんの木をよじ登るように大空めがけて昇っていくではありませんか。
 その中に、龍のらんらんとした眼(まなこ)を、青光りするうろこを村人たちは確かに見たのです。

 呆然と見上げる人たちの顔や背にポツポツと水の滴が落ちてきました。命をかけて願った雨だったのです。

 やがてごうごうと音を立てて降ってくる雨に、人々は小躍りをして喜び合いました。

がたろうのこと

2016-11-18 23:23:12 | 河内國の昔話
こんばんは。

昨日のお話しの続きというか説明ですね。
昔話は時代の道徳観や倫理感を反映させている物が多いのです。また教訓であったりもします。

昨日の創作民話にもそうした内容を織り交ぜてみました。


《がたろうのこと》




河内では河童を「がたろ」と呼んだそうです。
つまり河内にも河童がいたわけです。
もちろん河童は想像上の生き物で、実在するわけではありません。
しかし岩手県遠野市の河童淵に立てば、なるほどそんな生き物がいるかも知れないと思えてきます。

環境ホルモンが騒がれて久しくなります。地球温暖化は様々な形で私たちの生活を脅かし始めました。

人間の行為によって、過去にない自然破壊が行われた結果、多くの生き物が住む場所を失い、絶滅していきました。日本の民話に語り継がれてきた様々な妖怪たち。彼ら想像上の生き物が、想像の世界の中でさえも棲む場所を失われてしまいました。彼らの悲しみや恨みを考えたとき、本当に祟りを為すのは、決して長いひげを生やし、白い服を着、杖をついた老人ではなく、こうした環境ホルモンや温暖化現象に伴う人災での事象、地震などの天災などに姿を変えて現れてくるのではないでしょうか。

環境はこころの鏡です。環境を見れば、そこに住む人の姿や心が見えてくる。そういうものです。





がたろうの涙

2016-11-17 22:28:51 | 河内國の昔話
こんばんは。

今回は河内の昔話ではなく、河内の土壌を踏まえての私の創作です。

 河内平野を南から北に流れ、大東市で西に向きを変える恩智川は、大東市住道で寝屋川と合流する。昔から暴れ川で、たびたび氾濫を起こしては周辺住民を悩まし続けた。しかし普段は優しく緩やかな流れで流域の水田を豊かに潤していた。

 かつて中河内は水郷地帯だった。今も水路の跡があちこちに残されている。高度経済成長の波が、この農村地域にも押し寄せてきたのは昭和30年代の後半である。農地は埋められ工場誘致の土地に利用され、水路は道路に様変わりした。のどかな農村風景は一変した。流域周辺の田畑を潤してきた美しい恩智川に工場からの廃液が大量に流れ込むようになった。豊かな生命の源でもあった恩智川は、またたく間に白い泡を浮かべ、異臭を放つ「死の川」となった―




 わたしは河内の民話を収集している。今日は呼吸器科の病院に行くついでに、瓢箪山あたりの旧い道標を見て回っていた。  

 正午も少し過ぎた頃、わたしはグランドマジェスティー(グランマ)に乗って恩智川の土手を走っていた。風は爽やかで眩しい。あまりの心地よさに、わたしはグランマを停めて、土手に設置されたベンチに腰掛けて、やがてうとうとし始めていた。

 どのくらい経ったろうか、ふと気づくと私の隣に小柄な男が座っていた。いやそれは男に見えた、と言ったほうが正しい。人ではない・・・間違いなく。
「彼」はわたしの動揺を見透かしたかのように、ゆっくりとこちらに顔を向けた。「彼」の正体は河童だった。
「われ、この辺の民話を探し集めてるらしいのぉ」
目をむき出し、大きな口を開く姿に恐怖を感じながらも、わたしは目をそらさずに黙って頷いた。
「ほぉ・・・そんならおれの名前ぐらい知ってるやろ。言うてみぃ」
「が、がたろ」
がたろの目が妖しく光ったように見えた瞬間、意識がふっと遠のくような感じがして、わたしは慌ててベンチに手を置いて身体を支えようとした。
(!)
自分は確かにベンチに腰掛けていたはずだった。しかし、身体を支えようと手をついたのは、土手に生えた草の上だった。
目の前の光景が変わっていた。コンクリートの固められた恩智川の土手ではなく、草や木の生い茂った岸辺の風景は、それこそ空知川の岸辺にでもいるような光景だった。

「がたろ!これは」
がたろはわたしに一瞥をくれただけで、じっと恩智川の流れをみつめていた。
子供の声が聞こえる。声のほうを振り返ってみたわたしは、頭がおかしくなりそうだった。土手の後ろにあったはずの大型スーパーも、住宅街や工場街も何もない。一面に真っ青な水田が広がっている。田のあぜ道を子供たちがこちらに向かって走ってくるのが見える。どの子も袖と裾の短い木綿の着物を着ている。

 いつの間にかがたろは姿を消していた。子供たちは恩智川の土手を越え、川べりで水遊びを始めた。誰も私の存在には気づかないようだ。声をかけても誰もこちらを振り向きもしない。しかし子供たちの表情は底抜けに明るい。わたしは心がだんだん軽くなっていくのを感じていた。時を忘れ、わたしはいつまでも子供たちの姿を見つめていた。
 陽が西に傾き始めた。野良仕事をしている親が子供を呼ぶ声がする。やがて子供たちの姿が川べりから消えていった。隣には再びがたろが座っている。今度は驚かなかった。
 キュウリが川面を流れてきた。がたろはクェクェと奇妙な声をあげて川に飛び込むと、キュウリを咥えて土手に戻ってきた。
「恩智川に棲む河童のためにキュウリを流しよんねん」
「子供たちの安全のために?」
「ああ、そうや。でも俺、べつに子供の生ギモ喰うわけやないねんぞ。そんなんするっけぇ」
「でもこのキュウリは有り難い…」
「くぇくぇくぇ」
がたろは嬉しそうにキュウリをかじりながら、恩智川にかかる橋を指差した。昼前にグランマで渡ってきた立派な橋は、小さな石橋に姿を変えていた。農婦が油揚げや米を橋のたもとに置いて行った。
「キツネ?」
「そうや。ああしてな、橋の下に棲んでるキツネに供養しとんのんや」
「民話の収集をしていると色々な話を聞くけど、ほんまにキツネに供養してたんや」
不思議な気分だった。もう子供たちが家路に向かって随分時間が経つのに、陽は未だに暮れないでいる。がたろは昔からの知り合いの村の古老や語り部のようにも思えてきた。
「われ、たかたかぼうずは知ってるけ」
「ああ、加納村ではおかげ灯篭の近くによく出たってきくけど」
「正体、知ってんねんや」
「うん、タヌキやろ」
「まぁな。でもムジナやなぁ、あいつは。すっ呆けたムジナや」

空襲警報が鳴った。そんなバカな話はない。自分の頭の中が整理できなくなってきた。いったい自分はどこにいるんだ!
(B-29・・・・・・・・・大阪大空襲・・・!!)

クワァ、クワァ。
がたろが悲鳴のような叫び声を上げている。
クワァ、クワァ・・・クワァ、クワァ・・・

「がたろ!がたろ!」
わたしはがたろの体を抱きしめた。間違いなくがたろは存在している。わたしはしっかりと「彼」を抱きしめた・・・・・・

 次の瞬間恐ろしい雨風が襲ってきた。立ち上がることも出来ない。必死になって土手にしがみついていた。嵐がやんで辺りの風景を見て愕然とした。加納村の大半が水に浸かっている。
(これは第2室戸台風と違うのか・・・・・・)
わたしはがたろを見た。がたろが泣いている。
恩智川の岸辺はコンクリートに塗り固められ、工場から出る廃液で凄まじい異臭を放っている。
「がたろ・・・」
がたろの姿が朧になってきた。わたしにはその理由が分かる。痛いほどに。がたろはそれでもはっきりとこちらを見て、ゆっくりと顔を南に向けた。そこには阪神高速道路の高架が見える。西に向けると高層住宅の立ち並ぶ大阪の街並みである。
「われ、いま、ほんまに満足してるけ?これがお前らが求めた幸せな世界か?」
わたしは何も言えなかった。
「俺ら河童はな、たしかにお前等人間の想像で生まれた妖怪や。見てみぃ、この川!誰が俺らを想像する、ええ!俺らは想像の世界からも住む場所を奪われたんや。分かるか、この悲しみ、この恨みを。俺は絶対にお前等人間をゆるさへん」
そう言うとがたろは姿を消した。

 気がつくとわたしは恩智川のベンチに腰掛けている。グランマはすぐ横にある。時計を見た。数分も経っていない。けたたましいクラクションを鳴り響かせてトラックが橋を渡っていった。




河内國の昔話 「たかたかぼうず」

2016-11-05 22:32:45 | 河内國の昔話
はい、こんばんは。

今朝は冷えました。
朝の6時頃、外の温度計は7℃でしたよ。寒いはずです。

さて、妙政寺のお檀家さんに民話の語り部がいらっしゃいます。その方が纂集されたお話も紹介していこうと思います。


「たかたかぼうず」

 加納村の宇波神社の参道を100メートルほど南へ行くと道の東側におかげ灯ろうが建てられています。おかげ参りと言って、60年を周期とするお陰年に、伊勢神宮に参拝すると特別なご利益が与えられると信じられ、文政13(1830)年に、村人が集団でお参りした記念と、村をお守りしてくださる伊勢神宮の御神霊に、灯明をお供えする意味で建造されたのです。この灯ろうの東には深い井戸があって、わきに太い松の木が、灯ろうを覆うように枝を伸ばしていました。




 ある冬の夜のことです。神社と灯ろうとの間を東に入った小さな家の、おもよさんという娘のおかあさんが、高い熱を出して苦しみだしました。踏み車を毎日踏み続けて川に水を入れなければならなかった日照りの夏も過ぎ、稲のとり入れも終わりほっとしたのが原因のようです。
 昼過ぎから苦しみだしたおかあさんの頭を冷やしたり、身体をなぜさすったりと、おもよさんは一心に看病しました。でも、夜になっても少しも熱がひかず、苦しむおかあさんの姿に「嫁入り用やから、これだけは使ってはいかんと言われてたけど、森先生の所で薬を買って飲まそう」とお金の入った巾着を握って飛び出しました。冬の夜風は冷たくほおをさします。どの家も雨戸を閉ざして寝しずまっています。

 おかげ灯ろうの西には枯れたススキが、かさこそと何かがひそんでいるような気配を感じさせますが、熱で苦しむおかあさんのことを思うとどんな怖いことでも耐えようと急ぎました。
 森先生の門をたたき、薬をわけてもらったおもよさんは、ほっと息をつぎました。ていねいに礼をのべ薬袋を左手で押さえつつ家に向かって駆けだしました。ちょうちんの火が揺れるたびに消えそうになります。「火が消えたらあかん」と、ふっと立ちどまりました。そこがちょうどおかげ灯ろうの前だったのです。ちょうちんの火は静かに明るさをとりもどしました。
「よかったなー」
ぼそっとつぶやいたおもよさんは、あたりにただよう異様な気配に頭を上げました。するとどうでしょう。大きな灯ろうのかさのところに、白い着物のそでをたらしたたかたかぼうずが大きな口を開き、舌を出して笑っていたではありませんか。
「ギャッ」
奇妙な声を発しておもよさんは横っ飛びにとびました。藁草履をぬぎ捨てたのも意識にありませんでした。どんなに恐ろしかったことでしょう。でも、だいじなだいじな薬の袋だけは、しっかり胸に入れていました。それから、おもよさんは昼でもおかげ灯ろうの前は通らなかったということです。

河内國の昔話 「ひとだま」

2016-11-04 21:48:30 | 河内國の昔話
こんばんは。

わたし、大学時代の専攻が日本史学科の日本近世史なんです。
民俗学も少しかじりましたんで、こうした河内の昔話にも興味があります。

妙政寺のお檀家さんに民話の語り部がいらっしゃいます。その方が纂集されたお話も紹介していこうと思います。


「ひとだま」


 加納村の東に、村人が「妙見さん」と呼んで親しんでいた小さなお堂がありました。そこの仏様は、大変霊験あらたかだとの評判で、、朝夕参詣の人が絶えませんでした。男の子を授けて欲しいと願をかけた、お貞さんのねがいもかなえてくださったし、天然痘にかかった人を助けてくださったことも村人は知っていたのです。
そんな時、日本中が大きく変わり、明治維新をむかえました。長い間の封建時代からやっと解放され、ほっとした村人は将来の生き方に希望を持ちはじめました。

けれども、村人の生活は少しも良くならず、かえって今まで以上に苦しくなったのです。それは税が高くなったうえ貿易により、安いエジプト綿が輸入されたので、農家にとって大切な収入源であった綿作りや、河内木綿作りができなくなってしまったからです。

朝星、夜星をいただいて長時間働いても、お堂に寄進する余裕などあるはずもない村人の生活でした。

そんなころ、お堂を守る老僧が病にふせるようになったのです。

ある夏の夕暮れ、男の子三人がトンボを追ってこのお堂へ来ました。

「あっ、あんなとこに赤いもんあるぞ、なんやろ」

年かさの子がさけびました。お堂のツツジの木の所に、赤い丸いものがふわふわゆれていたのです。

三人は、おそるおそる近づいてみました。丸いものには縄のようなしっぽがついているのです。更に近づいた三人は「あっ」といっせいに奇声を発して、棒立ちになってしまいました。それもそのはずです。その赤い丸いものに、人間の顔が浮かんで見えたのですから;。ふしぎに、目鼻口がはっきりと見えるのです。しかも、その顔は見覚えのあるお堂を守る老僧の顔だったのです。

あ然とつっ立ている三人の頭の上を、その赤い玉がすうっと夕空に舞い上がり、加納の墓をさして飛んで行きました。その時、頭から水を浴びたような寒気が三人の体を走りました。

三人は、恐ろしさに言葉もなく一目散に家に帰り、両親に今のことを話しました。親たちが、不吉なことを感じてお堂に駆けつけた時には、幸薄いお坊さんは、荒れた庫裏で冷たくなっておられました。

三人の見たものは、何だったのでしょう。それは、きっとその坊さんの肉体から抜け出したひとだま;だったに違いないと、村人たちは、囁き合いました。