<スマトラ沖大地震・インド洋大津波>タイ;津波被災者支援のための署名活動

被災コミュニティーの土地を奪い、リゾート開発を目論む投資家、地方行政の動きに対して、「NO!」と言いましょう!

「ナイライ村、土地の権利に関する公正さを要求」2.25

2005年02月25日 18時57分49秒 | コミュニティー開発機構の資料
「ナイライ村、土地の権利に関する公正さを要求」
CODI. HP. 2005/2/25
http://www.codi.or.th/index.php?option=news&task=viewarticle&sid=500

「私はここにもう30年以上住んでいるけど、誰かが土地の権利について訪ねに来たこ
となんて一度もなかった。津波が起きると、私の家も波に呑み込まれて、何も残らな
かったよ。家を建ててくれる人が来たと思ったら、土地の支配人がこの土地に家を建
ててはいけないと言ったの。私はもう年だし、どこにも行けないわよ。それに他の土
地だってないし、村人みんなとっても困っているわ。政府には、この土地について調
査をしてもらって、一体土地の支配者とやらが、いつ、どのように土地の権利を取得
し、誰がそれを発行したのかを知りたいわ。タクシン首相に助けを求めているけど、
一体誰を頼りにしたらいいのかしら。」ナンライ村のCesong Yomnaaおばさんは涙を
浮かべながら話した。
パンガー県ターイムアング郡、ナートゥー行政区ムー7に属するナイライ村
(บ้านในไร่)は、ムス
リム(イスラム教徒)の村で、第2次世界大戦以前からあった村である。村人の多く
が漁業に携わり、漁や養殖、その他にゴムの木の種子栽培などを行っていた。この土
地は、プーケット資本のOrphaan会社が土地を購入の後、鉱山開発権を政府に請願
し、村人達は、鉱山労働者として雇用されている。鉱山開発権の期限が切れると、会
社はその土地を政府に返還せず、1998年までの期限付きで石鹸会社である
Thonnaayong会社に土地を売却した。しかし、石鹸業界の全国規模での衰退によっ
て、当会社は営業を停止し、不良債権処置のため、合計750ライの土地を市場に放出
した。そして、プラチュワックキリカーン県からのパイナップル工場を持つ富豪
Somkriat Liitiira氏が落札し、その土地の一部に住民が住んでいることを知らず
に、土地全体の管理権を購入した。彼の落札した土地には、合計1685人、331家族が
暮らしており、3つのコミュニティーに分かれている。つまり、バーダーン村コミュ
ニティー、東ナイライ村コミュニティー、西ナイライ村コミュニティーで、このうち
西ナイライ村コミュニティーが一番津波の被害を受けた。土地の権利を持っている村
人もいるが、その数は非常に少ない。津波の被害は、死亡者1名、負傷者11名、家屋
全壊72軒、半壊38軒、船舶の損失84隻、養殖場を損失した人が76名であった。コミュ
ニティー委員会メンバーのWanthnaa Pungsongwonさんは、「現在西ナイライ村コミュ
ニティーの住民は、52のテントに暮らしており、村落委員会選出の合計10人が、様々
なことに責任を持って取り組んでいる。例えば、滞在場所の建設チーム、寄付金の管
理チーム、料理チームなどで、各チーム5世帯(10チーム)で設立されている。行政
機関などが一時的な仮設住宅などを建設してくれているが、元の場所での恒久的住居
の建設に関しては、土地の支配者が村人達を追い払うことのではないかと恐れて、今
だ避難キャンプで過ごしている。土地の支配者は現在、村人に対して、今まで暮らし
ていた土地と、鉱山近くの土地のどちらかを選ぶように提案している。村人は、鉱山
近くの土地で養殖場を営んでいるものを多いことから、もしここで何らかの譲渡をし
てしまえば、更に自分達の生活ができない状況に追いやられるという思いから、提案
されている2つの土地両方を今まで通り利用できるように誓願することで一致団結し
ている。
 去年の12月26日の津波発生後、Somkriat Liitiira氏が村人の前に現れ、この土地
が村人のものではなく、彼が権利を持っていることを説明しにきた。この村は、百年
前からあり、今現存しているおばあちゃんおじいちゃんは第2次世界大戦からここで
暮らしている。
村人達は土地の真実の所有者、所有権を知りたいと行政区に申請書を提出したが、一
年余り何も解答が得られなかった。そこでターイムアング郡に再度申請書を提出する
と、いずれ解答をすると返事があったが、やはりその後に進展は何もなかった。最後
にパンガー県に三度申請書を提出したが同様に何も解答は得られなかった。初めに行
政区に提出してから、既に4年以上が経過していた。津波後に資本家が彼らの前に現
れ、土地の権利が彼のものであると言うまで、何の前進もなかったのである。津波発
生以前には、誰一人土地の権利に関して言及しに来る人はいなかったのに。多くの機
関が住居の再建などの支援に来てくれていたが、土地の権利を持たないということ
で、撤収せざるを得なくなった。別に村人は新しい土地を欲しいなんて思っているわ
けではない。ただもとの場所に戻りたいだけだ。もし本当に我々住民が土地に侵入
し、資本家が土地を取得した後にこの土地に住んだというのであれば、村人全員がど
こか別の土地に移転して、この土地を譲り渡してやるよ」と村人の1人Thaotaahia
Yomnaaさんは涙を浮かべながら述べた。
 Wanthanaa氏は、「話し合いの場を設けることができなったので、我々はもとの土
地を占拠し、2月3日から住居建設作業を始めている。他の地域からの村人も手伝って
くれて、現在までに恒久的住居29軒(鉱山近くに21軒、海岸近くに8軒)を建設し
た。1軒あたりの限度額を100,000bahtまでとし、もし移住しろといわれても、今現
在建設中の住居が完成した後に、その住居と共に移転するよ。」と語った。
 恒久的住居の再建費用に関しては、タイ系企業などからの支援がきており、船舶に
関しては、アラブ系航空会社から資金提供があり、既に10隻の修理が完了し、その他
に村人自身で半壊した船舶を修理したものが20隻ある。
 このコミュニティーの一例は、土地の権利に関して問題に関して、住民と資本家の
間で軋轢が生じているコミュニティーの一例である。政府はこれらの問題解決のため
に、解決策を考案するべきである。この点に関しては、全ての関係者が問題解決のた
めにお互いに話し合うことが重要である。

最新の画像もっと見る