<スマトラ沖大地震・インド洋大津波>タイ;津波被災者支援のための署名活動

被災コミュニティーの土地を奪い、リゾート開発を目論む投資家、地方行政の動きに対して、「NO!」と言いましょう!

「パークトリアムの新しい家・生活」5.6

2005年05月06日 14時48分37秒 | コミュニティー開発機構の資料
「パークトリアムの新しい家・生活」
CODI 2005/5/6

パンガー県クラブリー郡クラ行政区ムー5に位置するパークトリアム村は、およそ10ライの土地の漁民の村である。アンダマン海と沿岸林の間を繋げるような水路沿いに位置していることから「準備口」と名付けられ、28家族101人が暮らし、そのほとんどがムスリムである。およそ50-60年前、カムプワン行政区から漁業を営むためにこの地にタイ人が移り住んできた。4,5人は、当初入り江近くに居住していたが、干潮時に漁船が出せなくことから、1キロほど離れた現在の場所に移住した。電気や水道が行き届いていない土地で、病気など非常時にも船で搬送していた。漁民である村人の一月の稼ぎはだいたい1人6000-8000Baht。
 津波によって被害をうけた家屋は27軒、死亡者一名、行方不明者一名、いずれも子供であった。負傷者多数、漁船については全壊5隻、半壊9隻、他にも漁具への被害がでた。住民達は6キロ離れたモスク?(มัสยิดซอฮาฮุดดีล)へ避難し、11日間滞在した。その期間に住民同士で今後の新居住地について協議を重ね、子供達の学校の都合なども考慮して、ムー9の住民達が既に避難していた場所近くに一時的に居住することにした。行政側がテントを支給してくれていたので、モスクに継続的に居住することも可能ではあった。その後、CODI,タイコミュニティー基金が合計3ライの土地をその土地の所有者から、1ライあたり7万Baht、合計21万Bahtで購入し、被災民に譲与。被災民達は住民同士での協議の結果、合計23世帯が、各世帯27平方メートルの家屋を設定し、その他に児童館と宗教儀礼場を作ることになった。新しいコミュニティーと住居の建設に関しては、それぞれ役割を担った5グループが組織され、各グループ5~6人で、建設班、食事班、義捐金受け取り班、情報収集班、保健衛生班などに分かれ、班ごと、そして全体での話し合いの場を設け、環境に配慮し清潔でより良いコミュニティー建設に向けて協働。今後の生活に関しては、各世帯が一月に50Baht貯蓄することで、米基金、油基金、漁具基金などを開始し、その他にもホームステイ型の観光業への取り組みやガイドの育成など行う。また女性達は織物グループを組織し漁業以外の副業への取り組みを行う。
 以上のようにパークトリアム・コミュニティーは、自分達自身による協力、そして政府、地方政府、各行政機関・基金団体などからの支援を受け着実に復興に向かっている。パークトリアムでの復興への歩みは非常に進んでおり、恒久的住居建設ももうすぐ完成する。確かに津波によって多くの島、村落、住民の命が破壊されてしまったが、しかしパークトリアムの住民達は、この津波を契機とし、コミュニティーのつながりが強靭となり、お互いによく理解するようになれたケースだといえる。


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