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深山大翔の伏目

2016-06-23 19:53:45 | 99.9
第一回の放送の時から、引っかかっていたのが、深山大翔の目。

斑目さんや、佐田先生達とは目を合わせてはぐらかすような笑いをするのに、

依頼人が無罪になっても、目を合わせない。
いや、
依頼人が何かを隠したりして、それを追求する時はすごく強い目をして相手を見つめるのに、
無実が証明されたあと、皆がやった〜と歓喜する時、深山大翔は喜ばず、むしろ伏目がちに目を反らす。

喜んでしかるべきなのに、少しも喜びやねぎらい言葉をかけず、背を向けて行ってしまう。
この意味がわかったのは、最終回。
わかったように思う、のだけど。


正義だとか、真実だとか、そんなあやふやななものは信じない。
起こった事はたった一つの事実だけ。それを追求する事、あからさまにする事で
冤罪で囚われた人を救う事ができる。

彼が弁護士として存在する理由はそこにあった。

深山大翔がずっと胸に秘めていた想いを吐き出したのは、父を起訴した大友検事を前にしたほんの一瞬だ。
父を奪われ、全てが変わった、自分も、おそらく逃げた母も。
そして父は亡くなり、冤罪を晴らしても帰っては来ない。

ならば、今生きている人を救おうとしてこれからも闘うという事か。

ここで。
私の疑問が解けたように思う。

深山大翔は、一度、罪を問われた人間と家族には、問われるの前の普通の生活は出来ない事を知っている。
無実を証明されたとしても、弁護をした人達に喜んでもらえても、
それからの生活で何が待っているか、重い荷物を背負う事も知っている。
だから、その場で簡単に笑顔など見せられない。
『君たちもまた、犯罪を犯したのかも?というレッテルを貼られて生きていくのだ。』
全力を尽くして無実を証明するのが彼の仕事、それが達成されたと同時に
依頼人は自らの人生を歩むのがそれからの仕事となる。冤罪をかけられた本人だけでなく、
子供、奥さんにも重くのしかかる荷物なのだ。

彼らに静かにエールを送るのか、はたまた
自分には関係ない事として背を向けるのか。

笑顔の代わりに見せる沈黙と伏し目、
あるいはひっそりと帰る背中に、
共感であり慈しみがあるような気がする。