JMのバレーボール観戦記

テレビのバレーボール解説では触れられない戦術面や選手個人の特徴について、「全員応援」の立場から語ります。

メディア注目の「マイコ」こと狩野舞子選手

2012-10-07 22:41:31 | メディア注目選手のその後
狩野舞子選手は、中学生時代に全日本にメンバー入りしましたが、本格的に試合に出場するようになったのは2009年からです。怪我さえなければ北京出場もあり得た選手で、メディアは非常に注目していました。確かに2009年はWGPのロシア戦などでは、ライトで出場し、守備に攻撃に大活躍でした。

しかし、2009年のグラチャン直前に怪我で離脱し、その後は主要大会での出場機会に恵まれません。2011年秋、大友愛選手が怪我で離脱、そのポジションにライトの山口舞選手が入り、抜けたライトポジションで狩野舞子選手が全日本復帰を果たします。

そのまま、WC2012の初戦は、山口舞選手がセンター、狩野舞子選手がライトの布陣で臨みました。メディアは水を得た魚のように狩野舞子選手賛美を開始しました。しかし、狩野舞子選手はスパイクが全く通用せず、ぼろ負けに終わりました。その後、山口舞選手をライトに戻し、新鍋理沙選手もライトでデビューし、レフトへのトスの高さを調整し、また岩坂名奈選手のサーブとブロックが大当たりし、狩野舞子選手を含まない全日本女子はWC2012後半戦でブラジルとアメリカをストレートで下す快進撃を見せました。

この時点で、狩野舞子選手を含まない全日本女子の形が定まり、また狩野舞子選手自体が腰痛でプレーできないということで、狩野舞子選手はロンドンは絶望的となったはずです。

しかし、なぜか狩野舞子選手は2012年もメンバー入りし、OQTやロンドンに主に2枚替え専用ライトとして出場しました。この采配は、結果論ですが大失敗でした。狩野舞子選手がこの形で活躍したのは、OQTタイ戦のみです。どうして毎試合失敗すると分かっていて狩野舞子選手の2枚替えを使ったのか、非常に疑問です。木村沙織選手に体重を乗せたスパイクを覚えさせ、江畑幸子選手を発掘し、竹下佳江選手の長年の弱点を修正し、ライトに山口舞選手を起用するような名将眞鍋監督が、どうして狩野舞子選手の2枚替えにこだわったのでしょう。

次回記事からは、狩野舞子選手の2枚替えについて、各試合を追って分析していきます。その中で、狩野舞子選手は2枚替え専用ライトではなくワンポイントブロッカーかピンチサーバーとして起用すべきだった、という主張を展開しようと思います。