自燈明・法燈明の考察

【UAP問題考察2】アイゼンハワー大統領の事

 この問題を語るととても広範囲な話題になってしまいますので、どうしても掻い摘んだ話になってしまいます。

 さて話は近年に移りますが、1990年代にMJ-12(マジェスティック・トゥエルブ)の情報が公に語られ始めた頃から、ロズウェル事件をきっかけにアメリカ政府と異星人との間では密約があり、このUAPに関する情報も国家機密のベールの中に囲われてしまい、アメリカ政府と軍で情報を全て独占しているという話が良く言われる様になりました。
 確かに一時期とても話題になったアメリカ空軍のエリア51の事とか、そこで働いていたという物理学者のロバート・ラザー博士の暴露話というのを見ても、それを裏付ける様な話でした。

 しかし最近になり出てくる話題などを見てみると、けしてこの物事とはそんな単純な事では無いように思えます。

 ここでアメリカ政府のUAPや異星人関係で注目すべきは、アイゼンハワー大統領でしょう。

 アイゼンハワー氏は第34代アメリカ合衆国大統領で2期8年(1953年~1961年)の在任期間でした。彼は軍人としては卓越した調整能力や外交能力を持っていて、中佐から元帥までアメリカ史上類を見ない速度で昇進し、第二次世界大戦では陸軍参謀総長、連合国遠征軍最高司令官、NATO軍最高司令官を歴任しました。その後にアメリカ大統領に就任したという、ある意味で傑出した人物です。

 異星人問題を語る人達の中では、異星人との契約をしたのはこのアイゼンハワーが大統領だという話になっていますが、ことの真偽は定かではありません。しかしながら在任中には、それを匂わせる逸話が残っていますのでそれを紹介します。

 異星人問題を語る人達の中では、異星人との契約をこのアイゼンハワーが大統領時代の事だという話になっていますが、ことの真偽は定かではありません。しかしながら在任中には、それを匂わせる逸話が残っていますのでそれを紹介します。

 それはアイゼンハワー氏が大統領に就任した翌年、1954年2月20日の事。この日、アイゼンハワー氏は友人とのゴルフ休暇でパームスプリングに滞在いていました。しかしこの時、彼はその夜一晩「行方不明」となっていて少し騒ぎとなっていました。同行記者がジェームス・ハガディ報道官に問い合わせると「すべて順調で心配ない」という回答。その後、大統領は戻ってきましたが、この時の行方不明の理由については以下の様に報道されたのです。
「大統領はステーキ・パーティーで、チキンの足を噛んでいるうちに、歯のキャップが一つポロリと取れてしまったので、急きょ地元の歯医者に行っ た」
 大統領が歯医者に治療に向ったのであれば、正直に回答すれば良いはずが、それを理由として述べたのは所在が明確になった後でした。一国の指導者が休暇中に、理由もわからなく一晩行方不明になれば、様々な疑念を持たれるのは当然の事です。
 ある話によれば、この時、アイゼンハワー大統領は迎えに来た軍用ヘリに乗って、ミューロック空軍基地(現、エドワーズ空軍基地)に移動し、そこでUFOを間近に見て、異星人と会談したと言われています。この時、アイゼンハワー大統領は激しく狼狽し、CIA等の当局者が止めるのも聞かず、この情報を世界に向けて公開しようとしたと言います。しかし周囲に説得されて思いとどまったと言われています。
 この件について、当時ロサンゼルス在住の作家、ジェラルド・ライトが境界科学研究所の会長であるミード・レーンに充てた書簡が後に確認されたましたが、そこには以下の記述があったと言います。
「2日間、私は5機の、それぞれ独特の形をした宇宙船が、空車の一員によって調査され、操縦されているのを見ました。しかも、それは〝 エーテル 人〟(手紙の主は、宇宙人という代わりにこのような表現を使っている)の助けと許しのもとに。このとき私が受けたショックは、どう言い表していいか、表現のしようがありません。歴史的な大問題と言えるでしょう。すでにご存じのように、アイゼンハワー大統領も、パームスプリングスでの滞在中に一晩、ミューロック基地に連れてこられたのです。私は、大統領が当局の連中によるいざこざを無視 して、ラジオとテレビを通じて、国民にこの情報を直接公開するだろうと確信しています。」
<矢追純一. 「矢追純一」に集まる未報道UFO事件の真相まとめ ~巨大隕石落下で動き出したロシア政府の新提言 >より引用。
 このジェラルド・ライト氏の書簡の真偽は判りません。ただアメリカ大統領が1954年2月20日、一晩行方不明になった事実は記録として残っているのです。

 またもう一つ、アイゼンハワー大統領の絡んだ興味深い話題がありますので、ここで紹介します。
 2013年3月3日、ワシントンDCで行われた市民公聴会で元CIA職員とされる匿名の人物のビデオ証言が公開されました。(こちらは私のホームページ(ココ)にも詳細を書いていますので参照して見て下さい)
 この元CIA職員は腎不全を患っていて、もうこの先長くは生きられない事、また自分が直面した事実を秘密にしておくのは重すぎると感じた事から、UFO作家であり、歴史家であるリチャード・ドーラン氏のインタビューを受ける事にしたそうです。

 1958年の事、この元CAI職員は上司に連れられてワシントンDCに向い、そこでアイゼンハワー大統領とニクソン福大統領と会ったと言います。そこでアイゼンハワー大統領は以前、MJ-12やエリア51の人達を読んで彼らのやっている事の報告を求めたそうですが、彼らは「それは政府の全く管轄外」と拒否された事を述べました。そこで元CIA職員とその上司にメッセージを託したというのです。それは彼らの処へ行き、再度自分達の行っている事を報告しろと。もししないのであればコロラドからアメリカ陸軍第一師団を派遣して基地を乗っ取り破壊するという内容だったそうです。
 そのメッセージを携えて上司と元CIA職員はエリア51に行き、そこで様々な事を見て来たと言います。その内容はUFO(UAP)の飛行であったり、反重力テクノロジーであったり、異星人の解剖フィルムであったと言うのです。そしてそ事をワシントンDCに戻るとアイゼンハワー大統領やニクソン副大統領、あと当時はFBI長官だったフーバーも同席の場所で報告をしたと述べています。するとアイゼンハワー大統領は完全にショックを受けていたと言います。大統領はUFOや異星人の存在は理解していましたが、ブラックプログラムの存在に大きなショックを受けていたと言うのです。

 ここまでがアイゼンハワー大統領に纏わる代表的な話題です。

 これらの事の真偽は定かではありません。確かにアメリカ政府にしてもこれら内容を当然、公式に認めて居る訳ではありません。しかし様々な情報の中で、アイゼンハワー大統領がこのUAP問題の重要な節目に存在した事は考えられると思うのです。ちなみにアイゼンハワー大統領のひ孫であるローラ・アイゼンハワー女史がネットで異星人問題について語っているのは、実に興味深い事だと思います。以下に紹介しますので、お時間あれば参照して見て下さい。

アイゼンハワー大統領のひ孫が伝えるET侵略①

アイゼンハワー大統領のひ孫が伝えるET侵略②


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