自燈明・法燈明の考察

日蓮を切っ掛けとして、仏教やこの世界に対する思索を始めました。

日米印豪の海上演習について

2020年11月01日 21時49分39秒 | 思う事
 今日は天気の良い一日でした。
 ツイッターにも書きましたが、久しぶりに散歩をして調子に乗って10キロほど歩きましたが、正直疲れています。だから今日はゆっくり寝れると思いますが、寝る前に一つだけ記事を書いておきたいと思います。

 日本国内では「大阪都構想」の事でテンヤワンヤしていましたが、私が個人的に気になっているのは以下の記事です。


 これは記事を読んでもらえば解りますが、11月に行われるインド・アメリカ・日本の合同軍事演習「マラバール」にオーストラリアが参加するという記事です。いま南シナ海では中国が南沙諸島を実行支配している中で、アメリカと中国の緊張感が高まっています。日本周辺でも尖閣諸島に中国公船が当たり前の様に連日に渡り、接続海域にも来ている中、この様な合同訓練が行われているという事を、日本人でどれだけの人が認識しているでしょうか。

 日本の海上自衛隊は正規の軍隊ではありませんが、この様に他国の軍隊と既成事実の様に行動を共にしている事に、私は危機感を感じているのです。

 だからと言って、自衛隊は違憲だからけしからんとか、日本はこういった事から手を引くべきだなんて事を私は主張するつもりはありませんが、ここに潜む危険性について、私なりに感じている事を書いてみます。

 自衛隊は専守防衛の組織である。
 国の自衛権は、全ての国に認められている権利だ。

 こういった事を良く耳にします。特に今から二十年以上前に、自衛隊は違憲だと言っていた創価学会の活動家などは、安保法制にまつわる事を指摘する度、この様な詭弁を弄しています。

 違うのです。

 自衛隊を他国の軍隊と協調行動を取らせるのであれば、自衛隊を「軍」として正式に規定し、その為の憲法改正を行い、しっかりと国際法上で動ける軍事組織にする必要があり、それを飛ばして既成事実化して法律整備を蔑ろにして進める事の危険性を、しっかりと認識してほしいのです。

 もし先の「専守防衛」にしても「自衛権」にしても、そこに求めているのは、自衛官に対して単なる行政官としての立場ではないでしょう。それは明確に「軍事組織」として立場ではありませんか?

 法律というのは明文化する事が大事であり、明文化されていない事を、まるで賢樹院日寛師の「文底読み」の様に解釈するというのは、大変危険な事なのです。

 憲法九条には明確に書かれていますよね。

「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 自衛のための戦闘行為であっても、武力の行使は、国際紛争を解決する手段として日本は戦後に放棄する事を明文化しているのです。

 このまま、もし有事に日本の自衛隊が巻き込まれる事になったとしたら、どうするのでしょうか?

 自衛官が同盟軍の兵士を守るため、また味方の自衛官を守るために敵兵を殺害してしまったら、日本としてその自衛官をどの様にさばくのか。今のままでは「殺人罪」となってしまう可能性が大でしょう。何故なら、自衛隊は正式に国際法上で動く規定をしていません。軍事組織を裁くには、国内法ではなく「軍法」の整備が必要であり、「軍法会議」の様な軍事法廷が必要ですが、現行の憲法ではそれすら認めていません。

 でもその場合、国内の議論ではその自衛官を刑法で裁く事への反発も出てくるでしょうし、何かしらの法解釈によって、日本政府はその議論を抑えると思われます。

 でもそれは「法治国家の原理」として正しい事なのか。そこが問題になると思います。

 法治国家とは法律によって統治される国ですが、その法律が「前例」によって空文化してしまった場合、もう法律で規定される事を無視しても良いという前例を作ってしまう事になり、ひいてはそれが様々な法律の拡大解釈へとつながる危険性もあるのです。

 これはまずい事でしょう。

 今朝のある報道番組で、アメリカの大統領選挙を取り上げていて、そこに出演していたコメンテーターは言いました。

「アメリカが混乱していては、この中国との緊張が高まる中で、有事の際に日本を守ってらえるのか、とても不安になります」

 これを聞いた時、本来、自国を守るのは自国の軍事組織であるはずが、今の日本人の中では、アメリカ軍に守ってもらう事が、当たり前の様になっています。

 日本人は、こういった自国の安全保障の事は、しっかりと本来は正面から考えるべきなのです。でもその大事な事を、実は何も考えていないし、考える事すらタブーと化しています。それが引いては「法律の拡大解釈(明文化されていない事を拡大解釈でカバーする事)」を招きますが、果たしてそれで良いのでしょうか?

 日本国内のマスコミは、こういった事をあまり国内向けに報道しません。テレビを付ければ芸人たちの、相変わらず「空騒ぎ」の番組ばかりが目に付きます。

 果たしてこれで良いのでしょうか。
 そんな事を考えたりしているのです。

 果たしてこんな事ばかりしていて、本当に時代は良くなるんですかね・・・

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