私は今回のパンデミックは、日本国としての安全保障の問題でもあると認識していました。よく国の安全保障というと自衛隊とか、中国の脅威論とか、国際強調という話で語られる事が多いのですが、国の安全、国民の安全を国として保障するという観点で見れば、パンデミックの対応も当然、この安全保障に関わる問題です。そして今回のパンデミックで解ったのは、日本政府の意思決定が極めて遅い事、また実際に現場で起きている事と意思決定者の見ている事の乖離など。また法整備の問題点もありますし、今まで「コストミニマム」という観点で国が動いてきた事にも問題点があった事が判りました。
ただ一番の問題は意思決定する人達、今回で言えば閣僚あたりの人間的な資質の問題も大きくありますね。危機状況に晒された時、その人の本質が顕になります、今回のパンデミックでは安倍総理の人間性や、その他の閣僚など、あまりにも情けない姿を晒してしまいました。
世界はこの日本の政府の動向を見てますが、恐らく今後もより足元を見られ続ける事でしょう。
さて今回の記事ですが、表題には多様性を受け入れられない創価学会という事で書いていますが、いまの創価学会は徹底した排除の論理が働いているように思います。この排除というのも、異端であれ、組織幹部が優位に立てる人は飼い殺しをしておき、優位に立てない人間は徹底して排除するという事だと思います。
例えば波田地氏に関する対応によく現れていますが、かの人は私が男子部時代には全国幹部で、対・顕正会や法華講の為の論理建てを構築した人です。要は当時あった創価学会の教学を軸として、歴史的な事実や過去の経緯を整理して、理論上、創価学会が勝てる状況を作り上げた人と言っても良いでしょう。
しかし創価学会や宗門の歴史を知り、ある意味で裏を知った人物である事、また当時は広宣部等の教宣活動のトップでもあり、創価学会の中でも知られた人物であったのですが、恐らくは信濃町の職員幹部のいう事を聞くような従順さが欠けていた事もあり、信濃町ではこの功績ある人物に「仏敵」のレッテルを貼って追い出したのでしょう。
また昨年ですかね、信濃町のお偉いさんから査問を徹底して受け、結果、PTSD を患い亡くなった友岡雅也氏も同じですね。私はこの人と話をする機会があり、その博識さと哲学的な造詣の深さに驚嘆しましたが、そんな人物を責め殺すのですから大した組織です。この人は、一時期、池田会長の側近としてSGI提言を代筆したり、ネルソン・マンデラ氏やゴルバチョフ氏との会談にも同行した人でしたが、やはり創価学会の裏を知りすぎたのでしょう。信濃町では先の波田地氏同様に「裏切り者」のレッテルをはって追い出しました。
こういった傾向は何も信濃町だけの話ではありません。私の周囲にも、主に元広宣部幹部ですが、組織から「信心がおかしな奴」として、役職剥奪をされた先輩もいたりしますし、組織の意向に沿わないから放置されている人も居たりします。こういう人達は得てして地元幹部に噛みつき、様々な事、特におかしいと思った事については、幹部に対して強硬な姿勢で意見を言いますが、幹部もそんな人物の教導できるだけの人間力もなく、当然、教学を含めてですが哲学性も持ち合わせていないので、大抵は副役職に棚上げし、組織で飼い殺し状態にします。
よく地元で私の後輩の幹部(区幹部や本部幹部など)は、「今の組織には人材が少ない」とボヤき、それこそ好々爺の様な壮年部幹部を複数の役につけて、こき使っていますが、要は今の幹部の力量不足にも一因があるのでしょう。
特に酷いのは職員幹部の体質ですね。彼らは論理的に叶わない人間には、だんまりする割に、自分がマウントポジション取れると見ると、強気で圧をかけますからね。お前ら畜生かよ、と思う事も度々ありました。また現場の壮年区幹部では、そんな職員幹部の人間性の前に、肩書で萎縮して従順さ示し、末端組織の会員幹部の前では尊大に振る舞う人物も多くいたりします。
以前に、これはある私の先輩で今は組織活動から身を引き、社会の中で動いている人ですが、後輩である区長に、こういった組織の醜態を指摘したことがあったそうです。すると後輩の区長は言ったそうです。
「○○さんの言う事は解るけど、私の立場では何も言えないんです」
実は私も先輩の区長に詰め寄った事がありますが、同様の事をその先輩は言ってました。
その事を支部長していた後輩に言いましたが「区長とは言っても権限ないから、勘弁してあげたらどうですか?」と言われましたね。
要は形態こそ様々ありますが、結果、今の創価学会という組織には、既に多様な人物を受け入れるだけの組織的な素養が無いという事かと思いますよ。
末端組織では、そんな信濃町〜伝達された指示のもと、従順な人達が真面目にコツコツ活動をしています。そしてそんな行動こそが正しいと思っています。彼ら末端の組織の人達は、信濃町や末端組織(大抵は区とか本部)から「○○は信心がおかしい」とか「○○は組織利用した」なんて、裏で耳にすることで、それらを鵜呑みにして、人間関係すら簡単に断ち切ってしまいます。
彼らにとっては、気持ちよく活動ができれば良いだけで、問題があったとしてもけしてその本質については目を向ける事はありません。幹部の言葉を鵜呑みにする性質が根付いてしまっています。
要は楽しく搾取されれば、良いという事なのです。信心とは「少欲知足」で、組織的な欲を抑え、考える知能が少ないことが美徳なのです。そしてそんな文化を長年に渡り作り上げたのが、歴代三代の指導者や、その直系門下という信濃町に巣食う幹部たちなのです。
私はこの組織の現状を十年ほど前に理解してから、組織活動を止めました。そもそも信仰とは「屹立した人間」が行うものであり、組織に付和雷同して行うものでは無いですからね。
昔の男子部には、様々なキャラクタがいて、それらを引き止める先輩幹部や組織的な雰囲気もあったんですが、いまの組織には、そんなものは皆無です。そんな組織が日本国内の政治的な白けに乗じて捨て票を集め、日本の政治に関与しているのですから、日本の政治もおかしくなる訳ですね。