そうです私がセ ッ ク ス ボ ラ ン テ ィ ア (SV) で す

セックスボランティアとは、障害者に同情して、タダでセックスしてあげる人のことではありません。

愛されるという事

2006-09-28 11:51:58 | 我思う
「愛する」ことは、こちらの気持ち次第だから、何となく頑張れば色んな人にも愛を配ることはできる気がします。
みんなに・・・というのはムリですが。

ただ、「愛される」というのは自分の力ではどうにもならないので、なかなか厄介ですよね。

自分が愛したからといって、自分と同じように同じ分量で愛してくれるとは限らないですし。


むしろ、愛すれば愛するほど、相手の気持ちが遠くなっているようなそんな気持ちもやってきて、苦しいことになったりする気がします。


世の中には、多くの人に深く深く愛される人がいれば、その対極に少数の人からの愛も受け取れない人がいます。


その愛を受け取れない原因が、「愛の元」になる「誰かを好きになった」という気持ちさえも伝えることができないまま、我慢していることだとしたら、それは、ものすごく切ないですよね。

それだけの理由ではないでしょうけどね。

かく言う私も、自分からは「好き」とは言えない人です。

まず、自分に自信がないので、いろいろ探りを入れるわけですよ。
私のことどう思うかな~って。

そういうシチュエーションに持ち込めないとしたら、ずーっと片思いのままか、自分を好きだといってくれる人に心を移していこうとするかもしれないです。


そんなことしてたら、ずっと想いは叶わないとわかってるんですけどね。


そして、気持ちが通じ合って、いざデートとかになって、自分は介助できなくて、ヘルパーさんが同行するデートってのは、どうなんでしょうね。

やっぱりイヤかな。


ずーっと付き合っていく上で、愛を深める前に、介助するだけで疲れ果ててしまうことになるよりは、助けがあってずっと愛し続けるほうがいいんじゃないかな~って思います。


どう思われますか?



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