そうです私がセ ッ ク ス ボ ラ ン テ ィ ア (SV) で す

セックスボランティアとは、障害者に同情して、タダでセックスしてあげる人のことではありません。

一番やりたいこと

2006-01-26 10:39:43 | こにぃ企画
私が一番やりたいことは、何だろう。


当たり前のことを当たり前にするってこととは、何だろう。




立ち止まって考えてみるようにと、促された。

そうだなぁ。なんか、あせってたもんなぁ・・・。



「セックスボランティア」というものを、単に「障害者とタダでセックスしてあげる存在」として捉えるのではなく、人として当然の行為をサポートする存在として、本当に安全かつ意味のあるものにしていきたい。そう願い、そのために活動してきました。

でも、どうしても打ち破れない「言葉の呪縛」・・・それらに対して、私は戦うつもりでいました。

でも、それは、時間の無駄なのかと思うようになりました。

ですから、やっぱり、別の名称を考えるべきなんでしょう。

多分、そうなんだと思う。

そして、そっちを、常識にしていけばいいんだと思う。


でも、セックスボランティアという言葉に振り回されないで欲しい、という気持ちは、どうやって伝えればいいんだろう。



傷ついて、心を病んでいく、体を病んでいく、そして、大切な何かを失っていく、やさし過ぎる人たちに。




立ち止まって考えてみた。



一番したいことは、しょうがいの有無にかかわらず、買い物をし、食事をし、友達と語り合ったり、異性の友人とじゃれあったり、そんな経験を、子供の頃から当たり前にできる世の中にしたいんです。

そんな中で、出会い、恋をして、うまくいっても行かなくても、いろんなことを考えて、次へ次へと進んでいく力をつけて欲しい。
そしていつか、パートナーと出会い、二人の幸せの実現のために、黒子となってサポートさせて欲しい。

迷惑をかけるだの、怖いだの、誰も受け入れてくれないだの、決め付けないで、線引きしないで、やってみれる人になって欲しい。




人間は、見慣れないものに対して、恐怖心を抱きます。


やったことがないことに対しては、不安を抱きます。


だから、しょうがいをもつ方と、介助者としてプロフェッショナルでありつつも、普通の友人同士として、ばんばん外を出歩いて、もう見飽きたというくらいに見せて、見てた人が、門前の小僧になっちゃうくらいに見せて、こういうときはどうすればいいのか刷り込んで、とっさにできるようになってしまえばいい。

私たちの存在こそが「当たり前」になるようにしたい。

それこそが、本当の意味での「セックスボランティア」であって欲しいのです。




社会的信用を得て、日本中で、そんな当たり前の友人たちの笑顔が見られるように、動いていくこと。

それが今、私が一番やりたいことです。