エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

イエスを「主」と呼んでいる

2009-02-12 | ヨハネによる福音書
 ヨハネは「その翌日」(ヨハネ6:22)と記します。この小舟の事件の翌日である必要がありました。まだパンの奇蹟の余韻が冷めやらぬ中、群集は、飢えの欲求を、イエスをメシアとしてリーダーに擁立したい欲望へ昇華しつつ、イエスの行方を探していました。
 ただし、このあたりのもってまわった説明は、解せない部分があります。ヨハネの視線は、26節から後、まとまりとしては35節から後の、イエスの説教にもう向かっており、この舞台設定には焦りすら覚えているような感触があるのです。
 しかも、「主が感謝の祈りを唱えられた後に」(ヨハネ6:23)とあります。うっかりかどうか、編集者ヨハネが、イエスを「主」と呼んでいるのです。もちろん、復活後のイエスを前提にすれば、それは正当な呼び名であるわけですが。
 ともかく群集とイエスが、再び出会う必要がありました。あるいは、出会ったという事実がありました。群集のすべてがここに現れた小舟に乗れたのかどうかは怪しいのですが、中にはイエスを捜し求めるグループもいたのです。おそらく少人数に過ぎなかったのでしょう。イエスを追いかけるメンバーがありました。
 そしてついに、カファルナウムに着き、舟に乗っていなかったはずのイエスが、まるで舟に乗って着いたかのようにしているのを見ました。「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」(ヨハネ6:25)と尋ねます。
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