このような事態にあって、イエスはユダに対してこう告げます。「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」(ルカ22:48)と。マルコは、ユダに対してイエスは無言です。マタイのイエスは、すべきことをせよ、と泰然としています。ルカではユダに問いかけています。接吻は、これがイエスであるという合図でした。当初は暗がりです。今の世の中とは違います。下手人を明らかにするためには、何らかの合図が必要でした。この裏切るという語は、もちろんあの重要な「引き渡す」です。たんに心で裏切るようなものとは違い、現実の行動に移した上で、イエスを渡してしまうのです。ついに今ここにそれが起こります。ユダはまさに自分の手でそれをなす時を迎えました。そのことへの問いかけなのです。「イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った」(ルカ22:49)と、これから起こることを察知した者が、抵抗の上ではあるにせよ、暴力的手段を提案します。そして「そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした」(ルカ22:50)とします。ヨハネはこれをシモン・ペトロであるとはっきり書いています。共観福音書においてはそれは定かでないとしています。しかも、それが弟子であるとは書いていません。先にイエスが、弟子たちに向けて、剣を持てと命じ、二振りありますと示されたことを受けているとするならば、ここはやはり使徒のうちの一人がやったということになるでしょう。しかし、傷害罪の容疑を避けたのか、ルカはそれを、周りにいた人であり誰かある者だというふうに描いています。しかもそれは「右」の耳であるとしているのもルカの特徴です。
先のゲッセマネにおいては、マルコなどでは、三度目にもなお眠りこけていた弟子たちに対して、イエスが、自分を裏切る者が来た、と告げる場面を伴っています。大がかりな逮捕劇が始まるのですが、そのただならぬ雰囲気を、わざわざイエスが指摘しなければ弟子たちは気づかなかったのか、というツッコミかなされる可能性を考えてか、ルカはそのような演出を好みませんでした。イエスが予言して、今から来る、とでも言うのならばよかったのでしょうか。「イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた」(ルカ22:47)と、場面の変遷で説明を施すことになります。ここにいるのもやはり群衆です。イエスの周りで蠢く、理解もなく右へでも左へでも動く多数の集団です。意地悪な見方をすれば、民主主義の汚点を見るような気もします。プラトンが懸念した愚衆政治という次元での話です。ここでは、ユダに導かれ、権力者の意のままに流れる勢力です。自分がその一員であるという責任感などなく、身を安全なところに常に置くことだけを考えてふくれあがるような精神の塊です。ルカはそこへの憎しみのようなものをこめているのかもしれません。そして使徒たる存在の一人であるユダの様子を描きます。ユダは、ルカ伝においては「群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた」(ルカ22:6)のでした。その群衆がいまやユダと共についているのですから、群衆たるもののぶざまさを十分描ききっていると言えます。そのユダがどのような過程で今イエスに近づくようになったのか、それをルカは語りません。ユダの内実を描こうとはしません。マタイがユダという人物を詳しく描こうとしているのとは対照的です。
実のところ「そしてイエスは彼らに言われた」と原文ではもったいぶった言い方がされているのですが、「イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」」(ルカ22:46)と訳されています。そしてこのゲッセマネの祈りは終わります。マルコもマタイも、イエスはもう一度祈るために戻っています。それどころか、三度までも同じように眠りこけている弟子たちを描き、徹底的に弟子たちのふがいなさを強調しています。弟子たちは「ひどく眠かった」(マルコ14:40,マタイ26:43)のでした。また、そこでは決して「祈っていなさい」などとは命じられていません。ただ目を覚ましていよ、というだけです。しかしルカの弟子たちは、祈ることを命じられていました。しばしば祈りが強調されるルカの福音書ですが、ここでも弟子たちは、祈る者として位置づけられていることになります。また、しきりに誘惑が言われていますから、当時の教会において、誘惑となるものから心を遠ざけて、祈りに専念すべきだというメッセージが聞こえてくるような気もします。そのような要請もここに影響を与えている可能性があります。いずれにしても、マルコやマタイとは、ずいぶん方向性の違うゲッセマネの祈りの場面がここにできることになりました。その背景には、やはりこの福音書が一定の公の目に晒されるという事情と、組織だってきた教会における役割という様子が影響しているのではないかと思われます。
続く二つの節には曰があります。新共同訳では〔 〕が付せられています。これには原文として問題があるということです。その内容は「すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(ルカ22:43-44)というものです。古い写本には存在しないと分かった個所です。中世の後半から標準とされたテキストに入っていたものでこれが訳出されていたのですが、その後の研究で、原典的な信頼がないことが分かりました。いっそのこと本文に組み入れなくても構わない部分であると考えられます。ルカでもここまでは入れまいと思われるような脚色になっています。誰がこれを目撃したか、というような問題以前のことのようでした。後の教会の信徒が、こうした表現を好んだということはよく分かります。もちろん、他の福音書にもここまでは描かれていません。しかし次の「イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた」(ルカ22:45)はルカに間違いないと思われます。そしてここにまさにルカだという言葉があります。悲嘆や苦痛、残念な思いなどを含む語で表された感情の故に、弟子たちは眠ってしまっていたのだ、と記されています。先の後世の挿入も、これに刺激されてのことであった可能性が高いのですが、イエスの苦しみを弟子たちが共に味わっていたことになり、話がスムーズに繋がるわけです。弟子たちが眠っていたという事実をねじ曲げることはさすがにできなかったものの、それはイエスの苦しみをどこか響かせながらのものであったという、弟子たちの弁護となっています。その弟子たち、使徒たちがつくった教会に従っていくことはすばらしいことなのだ、と提示したいがためのようです。異邦人に対してこれは魅力となるものであったのでしょう。あるいはまた、この福音書が冒頭でテオフィロに捧げられたことを考慮すると、ローマ帝国の何かしらの権威ある人に対して、教会の正当性を示す必要があった、とも考えられます。つまり、マルコのように、ふがいない弟子たちのイメージが残るような書き方であると、そのような者が形成する教会とやらに信頼がおけない、と普通ならば見なされることでしょう。深い信仰をもつ信徒ならばともかく、一般人にこのようなありさまを見せると、特にこの宗教をどうするかその気持ち次第となりかねないような存在に見せるとなると、邪教扱いされかねない事態です。ルカは、少しでも、そのような部分を削り取り、改変する必要に迫られていたのではないでしょうか。
さらに「そして」で続きます。「そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた」(ルカ22:41)と書かれています。具体的な距離の記述があります。しかしルカは、目を覚ましていよ、というマルコとマタイにあるイエスの命令を省きました。どうしてでしょう。それは、命令をしておけば、それを守れなかったという違反を弟子たちに負わせてしまうからです。ルカにしてみれば、弟子たちは、確かに眠ってしまったけれども、そしてその事実は消えないけれども、イエスの命令を破ったわけではなかったのです。しかも、この後にルカは、この路線で暴走します。その時にまた触れましょう。また、同時に、イエスが死ぬばかりに悲しいと言うフレーズも消してしまいました。ルカにとりイエスは、必然的にこの十字架に至ったのです。異邦人も救われるために、この十字架はいわば経過点なのです。意地悪な言い方をすれば、ルカの視点はすでに復活に、そしてその後の弟子たちの働きに向かっています。ここを極端に悲しんでいる様子を描くことについては、筆が進まないのです。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42)とのイエスの祈りです。祈りの言葉はそう変更はありません。イエスのこの祈りを誰が聞いていたのか、などと古来囁かれますが、誰かがどのようにか聞いていたことがありえない状態ではありません。マルコがこっそり後を追って来ていた、という想像をする人もいますが、そこまで凝らなくてもいいと思います。眠りこけた弟子たちも、この祈りについては確かに聞いていた、としたって何の問題もないのですから。それよりも、イエスのこの神に委ねた祈りを、私たちがどう聞くか、そこにもっと焦点を当てましょう。私たち自身の体験の中でも、取り除けてほしいと願うものがありますが、すべては神のみこころのままに、という祈りです。そしてまた、それほどまでに私たちのために命を委ねたこのイエスの姿こそ、私たちが最もここから学ばなければならないところでありましょう。
ここは「そして」でつながれます。こうした意味深長なやりとりの後も、自然な流れで事は進みます。「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った」(ルカ22:39)のでした。マルコやマタイにもこの記事はあります。福音書と名のるからにはもはや重要で、これなくしては十字架への道は描けなかったものなのでしょう。オリーブ山に向かったのは、習慣に従ってのことであった、と書かれています。ヨハネも、弟子たちが度々ここに集まっていたことを記しています。しかしもちろん、ルカがヨハネ伝を読んでいた、などという証拠にはなりません。弟子たちもイエスに従います。読者、あるいはすべてのキリスト者もまた、主に伴ってオリーブ山に向かうように促されます。「いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた」(ルカ22:40)というのは、前節とは対照的に、というニュアンスが漂う接続小辞に続いている句です。いつものようにオリーブ山に行ったのですが、このときだけはいつもと違うことを語った、ということです。当然ここは最後のシーンですから、特別なことを言うことになるでしょう。その最後の警告とは、祈れということでした。しかも、誘惑に陥らないように、という条件のためでした。ギリシア語には「その場所にくると」というふうで、「いつもの場所」とは特に書いていないのですが、不思議です。ギリシア語原典の校訂が変わったのでしょうか。
これに対して、という形でつながっているので、「そこで」は誤解を招きかねないのですが、「そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた」(ルカ22:38)ということにより、この場面が終わります。弟子たちは、剣ならここにある旨、言葉を返します。ずいぶんと間の抜けたような返事に聞こえます。それで「十分だ」という意味の言葉をイエスは返しますのも、いろいろな物語を脚色することができます。なんともがっかりした返事であることか、というのが代表的な理解です。もちろん、そうでない読み方も可能です。あなたの覚悟を了解した、などと受け止める人もいるでしょう。そしてあるローマ教皇は、この二つの剣が、霊界と地上世界とを支配する剣なのだ、などと考案したともいいます。これが英語ならば、この「十分だ」は、「とんでもないことだ、いらない」というふうな意味になることがあります。この後すぐにオリーブ山に出向きますから、このやりとりはイエスのこの返事で簡潔していることになります。まさに、イエスに関することは終わるという事態に即しているかのようでもあります。深く読もうとすればするほど、理解が難しくなります。ルカはどうして描いたのでしょう。やはり前後の中でどこか伏線として置く意図もあったでしょう。また、どこからこのやりとりの資料を得たか、ということも解釈には含んでおきたいものです。つまり、ルカが個人で考案したというようなあり方では、こうした福音書は描かれることはなかったと思われますから、教会で、あるいは弟子たちの残した言葉や説教などの中から、あるいはまたそれを証言と呼んでもよいのですが、そこにあった一つのやりとりや場面であったということになるでしょう。しかし現代の私たちとしては、これをひとりひとりの置かれた状況に応じて読み解くことの許されたものとして受け止めておくことにしましょうか。
なぜならあなたがたにこのように言うからだ、という点はあっさりと訳されてしまっていますが、「言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである」(ルカ22:37)とあります。イザヤ53章からの有名な個所の引用です。七十人訳とひとつ違う点がありますが、ヘブライ語聖書からの訳だとの認定も難しく、やや曖昧な印象が残ります。七十人訳の引用ミスなのか、あるいは深読みすると、微妙に意図的に変えているのか、そのあたりもはっきりしません。犯罪人たちと共に数えられた、となっていますので、ルカの描くあの三本の十字架をイメージさせる表現になっており、また、犯罪人たちの中に、という七十人訳をやめているのは、イエス自身は犯罪人ではないのだから、というこだわりが隠れているのかもしれません。とにかくイザヤの書はイエスの姿を現しているといいます。「実現する」が二度現れていますが、ギリシア語は別語です。まずイエスの身において完全なものになること、そしてイエスに関わることは終わりに至るということを表しています。こうしてイエスの役割は終わるのであり、この後第2部が使徒言行録において始まるというルカの作品構成を暗示しています。
これに続いて「それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか」」(ルカ22:35)と展開します。一般的な注意に戻るような言い方です。ルカ特有の記事です。なんのためであるか判然としませんが、後で防衛のために刃物を振るうものがいましたので、その伏線として置いたのかもしれません。そのための前振りとして、まず持ち物もなく弟子たちは歩むものであり、またそこに不足するものがないことを自覚させるのでした。「彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、イエスは言われた」(ルカ22:35-36)のでした。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」(ルカ22:36)と、イエス自ら、剣さえ買えと言います。弟子は、イエス逮捕にあって、敵と闘うことをしたと言いたいのです。主をたんに裏切ったのではない、ベストは尽くしたのだ、ということを示したいため、ここに剣を手にしておくことになりました。しかもそれはイエスの側から提案され、命令されたことでした。服よりもむしろ剣を持て、とまで言うのです。これは尋常ならぬ事態です。そこで古来、このことについては盛んに深読みがなされました。象徴的にこれは御言葉を剣に見立てたのだ、とか、この世界を支配する権威を表しているのだ、とか言われたのです。しかしどうにも不自然な理解です。たいへん直接的にイエスは言っているように見えるのですが、どうでしょうか。しかもそこに象徴を読み込むとするならば、服を売るということの意味はどうなるのでしょうか。ここにはこれからの事態への覚悟が表されており、また現実にその剣を使う羽目になることへのひとつの弁護のように置かれていると見てはいけないのでしょうか。
新共同訳は「すると」ですが、実のところこれに対して、という形でペトロが答えます。「するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った」(ルカ22:33)のでした。牢獄はルカも確実に知っている情報でした。使徒言行録でそのようなシーンをルカは描いています。では死ぬというのはどうかというと、これは伝説上やはりそのように考えられていました。しかもそう遠い昔のことでもありませんから、教会の者ならば誰しも聞いて知っていたことではないかと思われます。そういう心の準備ができているのだ、とペトロは口にします。事実そのようになったということを踏まえている、とも理解することができます。三世紀の教父オリゲネスが今のところ最も古い証言をしているといいますが、逆さ十字につけられたペトロの殉教については、小説にもなり、よく知られるようになりました。これに対して、イエスはこのように答えます。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」(ルカ22:34)と。これはすでによく知られた、福音書における証言に基づいています。マルコよりちょっと分かりやすいギリシア語のようです。ペトロはいわば偽証することになります。それは重罪です。それでも、そこまでしなければペトロは生き残れないのでした。クリスチャン共同体は築けないのでした。それもまた、摂理です。しかしなお、弟子たちすべてが実のところイエスを離れていったわけでしたが、ルカはそうした内容にわざわざ踏み込むことはしませんでした。
ここで突然、ペトロへの言及があります。いえ、突然ではありません。弟子たちへの権利譲渡があったからこそ、ペトロの名が出されたのです。しかし、このペトロがイエスを裏切ったという話は、すでにマルコにより流布されていて、もはや否定したり隠したりすることはできない性質のものでした。ルカもこれはとりいれる必要がありました。ただ、この重大な場面に続かせることで、弱いペトロを弁護する下地も作っていたということになるかと思います。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」(ルカ22:31)とイエスは呼びかけたのでした。ペトロの名前を呼んで、読者に印象づけます。他の福音書にはありません。マルコがペトロをよくは書かないため、ルカ個人というよりもおそらく教会単位で、ペトロの復権が図られた可能性があります。マルコ伝を抹消することはもはや不可能になっていたのでしょうが、少なくともそこにある弟子像を修正することならば可能だと考えたグループの立場でした。穀物は篩にかけて、実と殻とを区別します。ふるいにかけるという語は珍しく、新約聖書にはほかにありません。ほかにもめったになく、意味は確定しないようですが、この意味にしか考えられないということです。詩篇では、悪者がその籾殻のように風に飛ばされ消えていくという表現をしていました。サタンもまた、ちょっとした誘惑で軽く飛んでいくような者を狙っています。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)とイエスは優しく支えます。ここで「わたしは」と強調した主語が書かれていますから、イエス自身が直に、という強い意志が感じられます。この指導者のためにはイエスが直々に祈っているのだという、いわばお墨付きのひとこまです。向きを変えて戻ってくることを示す様子をこの訳では「立ち直ったら」と言いますが、そのことから、当然次の失敗に関係づけられてくることになります。ここにも、「あなたは」と強調されています。我と汝の関係が強く示されているところがポイントです。
なお、29節の「ゆだねる」は訳として間違っているとは言えないが、より深い理解をする必要があることを、田川建三は詳細に述べています。これは「契約」のことである、と。神の国の権威をきちんと与える契約を施されたという立場の使徒ならびに使徒の築く教会がここに停止されます。いまキリストは、弟子たちにその権威を与えます。弟子たちは今、その権威を以て福音宣教をしています。そしてその一端がこのルカの福音書です。ルカは福音書を、そのような権威ある書物として出したということにもなります。このどこか自画自賛的な振る舞いはなかなかの迫力です。それからことさらに接続の語を交えることなく続きます。「あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる」(ルカ22:30)というように、使徒の権威は絶大なものとなって輝きます。神の国での食事は、しきりにすばらしいと持ち上げられてきました。それを今や弟子たちは正当に受け継ぐことになりました。それも、指導者は未熟者のように仕えるようにせよ、というキリストの謙遜を重ね合わせる命令によって、ある意味でちゃっかりと、権威をしっかり弟子たちに与えてしまったことになります。これはイスラエルの全部族のリーダーとなるほどに巨大なものでした。神に選ばれた民をすべて支配するというのですから。この考えを膨張させることによる、後の世代でのユダヤ人迫害につながるものがあったとしたら、人間の自己中心性の罪なることはまたたいへんなものです。「治める」は原語で「裁く」意味ですが、さばきつかさこそ士師であり、イスラエルにおいてこの裁く担当が実のところリーダーの別名であったことを思えば、意味合いからして「治める」は悪い言葉ではないと理解できます。
なぜかというと、「食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である」(ルカ22:27)という事情があります。より大なるはどちらか、と問います。着席者か、給仕者か、と。イエスは自らその答えを、前者ではないのか、と問うようにして告げます。これが使徒たちの間での話であることを押さえておく必要があります。使徒たちは、食事を受ける側、つまり大なる存在だ、というのです。その使徒の後を継ぐルカの教会の指導者もまた同じです。にも拘わらず、イエスは自分のことを、給仕の側であると宣言しています。イエスはこの世で仕えたのです。だからこそ、大なる者こそ、仕える者でなければならないと言うのです。現代の牧師にもこのことは痛切に響いています。たんにイエスの言ったことではありません。イエスに従う者が皆、このことを弁えていなければならないのです。そしてルカはこの使徒たちに非常なる権威を与えにかかります。「あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる」(ルカ22:28-29)というのです。マルコだったら決してこのようには言いません。マルコのイエスは、いわば孤独です。弟子たちにも理解されません。弟子たちはしくじることばかりです。でもそれこそが、現実の人間を描いています。イエスに死ぬまで従いますと叫んだその舌の根の乾かぬうちに、嘘をついてイエスを捨てて逃げるのです。しかしルカは違います。教会組織は、この使徒ならびに使徒の影響の下に築かれています。あるいは築かれようとしています。使徒たちはイエスの権威を正当に継承するものでなければなりません。彼らは、イエスとともに試練に踏みとどまっていた者たちであるのです。だから、父なる神からイエスに与えられた支配権を、今度はイエスが使徒たちに授けるというのです。これにより、教会はユダヤの神、天地万物を創造した絶対的な神からの権威を与るものとされたのです。ルカはマルコの福音書だけが出まわっているのではまずいと思ったはずです。これでは教会の権威がなくなる、と。新たな権威ある福音書が必要になると思ったはずです。新たなテキストが必要だ、と。
これに対して、イエスが発言します。「そこで」の原語のニュアンスは、対照です。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている」(ルカ22:25)と切り出します。マルコと内容は重なっていますが、同じとは言い難く、もしかすると教会の中での教えを反映している可能性もあります。雰囲気からすると、異邦人の国では、王が人民の主となり、人民を奴隷扱いしており、また人民の主人として支配をする者は、「守護者」と呼ばれている現状があるといいます。この守護者は、功労ある者であり、「恩人」という訳もあります。「閣下」といった称号の扱いのこともありますから、独裁政治において君臨者が自分のことを人民にどのように呼ばせているかということを考えてみるとだいたい当たる内容だと言えるでしょう。称号そのものは国や時代により様々ですが、今でも近隣の独裁立国において、一人の指導者を神のように崇めさせ呼ばせている事実を見ると、古代国家においてもそれは当然よくあることであったであろうことが想像されます。ところが対照的に「しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」(ルカ22:26)というのがイエスの論理です。偉いというのは、大きいという語。日本語の「偉い」は時に否定的なニュアンスを含みます。ここでは純粋に最大ということです。そうした者はいちばん下っ端のようになれ、と言っています。「若い」では対照になっていないかのようにも見えますが、長老に対する若者という意味で、教会では下位の立場の人々を指す場合があります。未熟な者ということです。するとここは、教会の指導者へ向けてのメッセージだと理解することも可能です。上に立つ者と仕える者という対比も同様です。
それからまた、こういうことが起こった、というルカの筆の勢いが見られてから、「また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった」(ルカ22:24)と記されています。今、裏切り者のことで弟子たちの間に議論が起こったので、そのついでに関連して、別の議論があったことを伝えるというものでしょう。関連のできごとはマルコやマタイにも触れられていますが、ルカはマルコの10章という、別の場所にあった内容をここにはさみこんだようにして編集しています。これは仕えるという話にそぐうのではないかと考えたのかもしれません。もちろん、他の資料の存在なども否定できないのですが、それははっきりしないのが通例なので、さしあたり福音書の間での参照を基本において見ていくことにします。誰が偉いのか。マルコの中で弟子たちが一番偉い者について話を持ち出したことを、マタイが、その母が持ち出したことにしているのが目立ちます。弟子たちを悪く言いたくないマタイでした。ルカはそこまで脚色はしません。というより、できません。ここには母はいないのですから。弟子たちが発案したことはごまかせませんが、ここでイエスはその弟子たちを特に叱責する様子はありません。ただ教えを垂れるばかりです。それがルカによる、弟子たちをあるいは使徒たちを威厳あるものとして保つための手法でした。なお、偉いというのは、「より大なり」という言葉で表現されています。ビッグになるのは誰か、ということです。