しかし文句なく、「人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った」(ルカ23:34)の言葉は受け容れられています。詩篇22篇の言葉の実現と言えるでしょう。「人々は」と訳していますが、主語は明記されていません。すなわちこれは他の福音書にあるように、兵士たちなのでしょうが、ルカは兵士の愚弄はずっと早くにちらりと述べただけです。十字架に釘付けにしたのもローマ兵士に違いないのですが、言葉の上で全くそれが現れてきません。つまり日本語で自然な訳としては、これを受身として、「イエスは十字架につけられた」とするのがよいはずですが、ギリシア語でも、そういう効果をもたせていることは確かです。となると、これもまた、ローマ当局の目に触れる故に、兵士たちがした、という主体を明確にするようなやり方を避けて、主体を明確にしない受動態で流していく方法をルカはとったということになります。従ってこの近辺は、「人々は」とむやみに出さないほうがよいのです。まさか、ユダヤ人たちがイエスを引いていくわけでもないし、ユダヤ人がイエスを十字架に直接つけたわけでもないでしょう。すべてはローマ人がやっているのですが、ルカはそこに責任を見いださないように考えています。従って、明らかに出されていない主語を「人々は」とはすべきでないと私は考えます。
ところでここに、有名な句が入ります。「〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」〕」(ルカ23:34)というものです。これは写本の数からすれば多くのものに掲載されているのですが、重要性、つまり原本に近いであろうと思われる方面の写本には、載っていないと言われています。かなりの研究が加えられた結果、原文にはなかっただろうと確実に思われるというふうに認められています。美しい言葉が残念なことですが、ルカ自身はたとえそうでなくても、ルカの属した教会もまた、このような響きでイエスの口からこの言葉が漏れたことを信仰していたのではないでしょぅか。使徒言行録におけるステファノの殉教の言葉がここにももたらされたというように受け止める人もいます。著者は同じルカですから、ルカの精神としても不自然であるとは思えません。果たして「彼ら」とは誰でしょうか。状況から見れば、それはローマ兵でしょう。しかし、それだけに限定されるものでは到底ありません。すべての人です。読者もです。私もです。人間たるもの、そのような存在でしかないのです。自分が何をしているか分からないというような、思い上がった、自己遊離的な者なのです。この言葉は、真珠湾攻撃の総隊長であった淵田美津雄氏が、戦後キリスト教信仰をもち伝道者となってアメリカに渡ったとき、繰り返し語られたものです。彼が信仰をもち、保ったのは、つねにこの言葉があったからです。聖書の原典というものも推定に過ぎません。人を活かし、信仰を受け、あるいは守った言葉そのものに対して無用な揶揄をすべきではありません。神の言葉は、人を活かすのです。そしてまさに、この言葉は、人を殺すものでもあります。肉の人を殺し、新しい霊の命に生かすための言葉です。聖書から削ることに対しては、私は賛同しかねます。
そして「「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた」(ルカ23:33)という事態に陥りました。ヘブライ語で「ゴルゴタ」なる、骸骨を意味する場所。それはどこだか今では定かではありませんが、すべての福音書が記録しています。ルカだけが、ヘブライの原語を示していません。もはや異邦人には不要だからでしょうか。ローマの役人に対しても不要ということでしょうか。イエスを中央に、両側には他の犯罪人が架けられたことも、すべての福音書が記録しています。このあたりはもはや解釈の余地のない事実であったことが分かります。彼らはマルコやマタイが、強盗であったと記しています。推測ではありますが、たんなる物盗りではないだろうと思われます。つまり、ローマ側にこれほどの残虐な刑を執行されることになったということは、反逆罪ではなかろうか、と。思想犯程度ではないかもしれませんが、政治犯の一種でしょう。実際に蜂起したのか、反乱を計画したのか、その辺りまでは踏み込みすぎになるでしょうが、殺人でもないのにこれだけ惨い刑に処せられるというのは、そうした背景を想定されます。恐らくこれを読むことになっているテオフィロには一目瞭然の事情でしょう。そのような者と、このキリストとが一緒にされたのです。「十字架につけた」という、ギリシア語ではただの一語でしかない言葉が、どれほど重く、痛みを通り超えた事柄を含んでいるか、私たちにとってもそれはもはや言葉になりません。
このとき、三人の刑が執行されたことに触れられます。マルコにもマタイにも当然十字架の情景があります。そしてどちらも、またヨハネさえも、十字架が三本立っていたことを描写します。この点、変更する必要もなかったほどに明らかな事実だったのでしょう。ただ、ルカはこの他の死刑囚にも光を当てます。「ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った」(ルカ23:32)は、これまでの流れを一度変えるような動きの中で述べられています。犯罪者と共に数えられるというメシアのあり方がここで実現されます。イザヤ53章からの引用として、ルカ22:37ですでにこのことが述べられていました。イエスはただ引かれて行きます。「死刑にされる」のは、処刑されること、取り去られることを意味する言葉です。もっとはっきり言うと、「殺される」ということでしょうか。日本語で「死ぬ」というのは、まるで自分で死ぬかのような印象を与える言葉にも受け取られかねないのですが、実のところ自発的に死ぬのでなく、殺されるというのが実情でしょう。小さな言葉のようですが、受け止め方や思想が大きく変わってきます。
続く「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか」(ルカ23:31)が神秘的です。どういう意図でどこからきたのか難しいものですが、ユダヤの文化の中に根付いた考え方を示していると言えるでしょう。エゼキエル書21:3に、ネゲブの森の生木も枯れ木も主の火が焼き尽くすという表現があります。これを踏まえているのではないかと思われます。この預言の生の木にイエスをあてはめていると思われます。イエスをさえこのような十字架というひどい目に遭わせるというのであれば、枯れた木であるイスラエルがもっとひどい燃え方をすることになるだろう、というような主旨です。イエスに対するユダヤ人の仕打ちの報いをきちんと受けることになるだろう、という、どこか呪いにも似た表現にも受け取れます。これは異邦人に受け容れられる素地にもなりえたでしょうが、やはりローマ帝国の地位ある者の目に触れることを前提とした体裁にも関係があるはずです。実際本当に役人に捧げられたのかどうかも不明です。たとえば、もし目に触れたとしても弁明ができるように体裁を調えたという考え方も可能です。あるいはそういう形にして、ローマ市民の中からも福音を信じる者を獲得しようという思いが関係しているとも言えるかもしれません。そうなると、悪いのはユダヤ人だという前提が底流にあることが重要になります。ローマではない、ユダヤ人はキリストを殺し、その救いから見放されたのだという空気を強く作る必要があったでしょう。それは枯れた木にほかならないのです。
続いて明らかにホセア書からの引用として「そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める」(ルカ23:30)に触れます。七十人訳とほぼ一致しています。エルサレム神殿の崩壊をルカは知っているはずです。ローマ軍により壊滅しました。しかしホセアにおいては、バビロニア帝国による捕囚の際の崩壊です。これらがユダヤの歴史の中で重なってきます。イエスは、四十年ほど先のこの神殿崩壊をここで予言していることになります。が、単にそのことで終わりにするつもりはルカはありません。これは審きの終末において、もう一度起こるのです。さしあたり実際に起こった事態を説明しているようですが、さらに読者にとっての未来においてもまた起こることが告げられていることになります。細かな味わいについては難しいところがありますが、エルサレムの崩壊が実に悲惨であり激しいことを表現しているものと受け止めておくとよいかと思います。
エルサレムの娘たち、と呼びかけます。元来その人々、ユダヤ人を指す言葉であったでしょうこの言葉を、ルカはエルサレムの街そのものだとして理解しているように見えます。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」(ルカ23:28)といいます。ユダヤ人そのものについては良く思わないルカですが、エルサレムそのものについては、キリストの故に好感を持ちます。ただし、このキリストの十字架において、そのエルサレムは役割を終えると考えています。エルサレムの歴史はこれで終わり、後は異邦人の世界へ福音が拡がっていくことになるとしています。もはやキリストのための涙など必要はない、それよりやがて自分の身の上に下る運命を悲しめ、という言葉です。自らもう滅びるしかないのですし、滅びることはルカにははっきり分かっているのですから、このことを堂々と記すことができます。もはやこの街に未来はないのです。その理由は、「人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る」(ルカ23:29)からです。趣旨は違うのですが、イザヤ書に類似表現がありますから、ユダヤ文化の背景を踏まえた言明であったと思われます。妊婦や乳飲み子を抱えた母親は逃げおおせないため不幸だ、という黙示的表現の裏を言葉にしてみたものでしょうか。あるいは、我が子の死を見届けるようなこともなかろうからその点ましである、というような意味で、どちらにしても悲惨な状態になるということの徹底であるのかもしれません。
こうして事は進みます。「そして」の方向性から、「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」(ルカ23:26)と描かれています。兵士たちによる侮辱については、ルカは先にやってしまっていたので、ここでは触れません。ピラトが、ユダヤ人たちに引き渡した後に、ローマの兵隊が侮辱したのでは、ルカの意図にそぐわないからです。それではローマ兵の悪事が際立つことになりかねませんから。そうではなく、ここはもうユダヤ人たちの思うままになっていく過程だけがあればよいのです。ルカはおそらくこの点の編集意図の故に順序を替え、そのために時間計算に無理が働いたと思われます。伝説では、疲労困憊のイエスはもはや自分の背負う杭の重さに耐えられず、幾度も膝を突き、倒れかけたために、通りがかりの強そうな男に手伝わせたということになっています。その様子がこのように簡潔に述べられているのですが、ルカは通りがかりという事情すら、捕まえたという程度の言葉で終わらせることにしています。けれども、一部の人々がイエスに従っていたのだ、とルカは記します。「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った」(ルカ23:27)というのです。これはルカの脚色です。イエスに次のせりふを語らせるためだったのかもしれません。「イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた」(ルカ23:28)というのです。エルサレムはしばしば女性に譬えられます。シオンの娘という呼び方で、このイスラエル民族にとり神聖でありまた母なる丘が親しまれたのです。その女性をイメージさせるエルサレムに対して、イエスはまるで挽歌のような別れの言葉が、また聞きようによっては呪いともとれるような言葉を投げかけます。すでにルカは、荒廃したエルサレムを知っています。もはや復興はありえないと思われるほど破壊されたエルサレムが現にありますから、この数十年前のイエスの出来事の描写は、その様子を予言したものにもなっているわけです。もうイエスがそのことについて語るチャンスは、ここしかなかったのです。だからまた、それを聞く役割の女性たちも、この場に必要でした。
これまでのピラトの態度とは違うことをした、という意味でしょうか。対比の姿勢を示しつつ、「そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた」(ルカ23:25)という事情を描きます。ピラトもまた、イエスを引き渡してしまいました。原語には、「彼らの思いのままに引き渡した」というふうな書き方が見られます。たんに彼らに渡したというよりも、彼らの要求の通りにしたのだ、というふうな書きぶりです。邦訳は、英語の訳に引きずられて、新共同訳のような向きで訳していますが、ルカの強調点は、この引き渡した事態は、ユダヤ人たちの意志なのだ、ということを言う部分にあります。これはピラトのせいにしているわけではない、十字架という惨い刑にまで至ったのは、結局はただユダヤ人たちの思う壺であったのだ、という点をはっきりさせようとしているのです。これが当時の教会の見解だったのでしょうか。こうでもしないと、ローマ帝国内で福音を語ることもできなかったのでしょうか。ユダヤ人かたちからの追い払いも始まっている頃です。ローマ当局にかくまってもらいたい意図があったかのかもしれません。それは推測に過ぎることでしょうが、何かしら置かれた立場というものも、福音書のなにげない編集に関係していることは大いにありうるものだと思います。
三度目というのには意味があるのかもしれません。「ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」」(ルカ23:22)とあります。騒ぎもピラトにとり迷惑ですが、バラバが持ち出されたとあっては、ただならぬことになってしまいました。ピラトはなんとかこのイエスとバラバとの交換という事態は避けたいと思っているのでしょう。まるでイエスを弁護するかのようです。ヨハネが記しているように、ピラトはイエスの中に罪状の確かさを見ることができなかったのです。そんなに罰を受けさせたいのならば、懲らしめはしてやろう。教育しようではないか。だから……とピラトは繰り返します。「ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった」(ルカ23:23)と、とことんピラトと群衆とは考えが合いません。群衆はヒートアップしています。たんに強くなったばかりではありません。明らかにそれは、ピラトの説得に勝ったのです。ここでようやく「そして」の流れが現れます。ピラトが屈しました。「そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した」(ルカ23:24)と、やむを得ないような書き方がしてあります。ルカはローマ側に同情的な態度を示します。当然です。これはローマの一定の権力者に捧げられた福音書なのですから。これを以てローマ当局のにらみをかわそうという意図もあったことでしょう。悪いのはユダヤ人であり、ローマではない、という姿勢を示す必要がありました。パウロもまた、ローマに入っていく上で、ローマに刃向かう態度で挑んだわけではなかったことでしょう。妨害するのは常にユダヤ人たちでした。パウロに同行しながら、ルカも学んだことだろうと思います。パウロは上に立てられた権力をまずは肯定するのです。
当然このバラバの罪状は、ローマへの反逆だったことでしょう。ピラトにとり、このバラバとイエスとを比べた場合、釈放すべきは一目瞭然です。ローマへの抵抗分子のほうが重罪に決まっています。それに対してこのみすぼらしく弱々しい男は、取り立てて何もしているわけではなく、ただユダヤのよく分からない宗教的な知恵者である程度にしか見えません。「ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた」(ルカ23:20)と、いたってイエスに対して同情的な態度を示します。バラバを解放するなど、もってのほか、という前提によったのかもしれません。政治は、しばしば比較により相対的な結果を重視するものです。この前後も一文ごとに対比的な語が添えられています。ピラトと群衆の意見の相違が際立ちます。「しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた」(ルカ23:21)のでした。磔の木の登場です。当然のことのように、これは十字架として訳しますが、ここにエホバの証人が非常にむきになって食い下がっていることは有名です。どうしても、それは一本の「杭」でなければならない、と彼らは主張します。従来のキリスト教会が間違っているが故に自分たちは正しい、ということを主張したいという思いが背景にあると思われますが、確かにギリシア語としてはそうです。しかし、キリストは十字架の横棒を担わされ、それを、すでに準備されている縦の杭に付ける、という構造が研究されているなどの事情もありますし、何よりも、その形によって救いがもたらされるのでない限り、この点の疑問よりも、エホバの証人が、キリストでは救われないという方向性をもっている点こそが、検討されなければならないのではないでしょうか。しかし私はここでそうした批判をするつもりはありません。杭につけよ、でも構いません。その杭は結局十字になるであろうが故に、十字架につけよ、という訳でも何も問題はない、としておきたいと思います。
ここに17節がありません。マタイ27章の一文を、ルカに誰かが補ったと推測されています。それは、祭のたびに囚人を一人許すというしきたりについての註釈でした。かつてはそれが入った状態で章と節が入れられましたので、後の研究で節が外されたときにも、混乱を避けるために数字ごと抜け落ちるようにして、いわば欠番のようにされました。確かにそれがないと、次の事情が唐突ではあります。「しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ」(ルカ23:18)というのですから。ギリシア語としては、「殺せ」という語だというよりは、「除け」「連れて行け」といったところでしょうか。意味は「殺せ」ですが、言葉としてはそうは言っていません。代わりに、そうではなくて私たちのためにバラバを解放しろ、と群衆は叫びます。「このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである」(ルカ23:19)との説明が続いています。民衆が突然バラバの釈放を願い出たという事情のために、祭のしきたりを加えたという写本家の気持ちは確かに分かります。他の福音書は、ヨハネでさえもこの事情をきちんと説明しているのですから。ルカがわざわざ落としたとは考えにくかったのかもしれません。しかし何らかの事情でそれはかなり初期において抜けていたのも本当でしょう。ルカにはその事情が理解できなかったというわけでしょうか。それとも、そのようなしきたりなしに、イエスを十字架に追いやるほどにユダヤ人たちは無茶な要求をしたとルカは印象づけたかったのでしょうか。
まだ続いて対照扱いをして、「ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った」(ルカ23:13-14)のでした。この議員は実質長老という立場を意味しているそうです。サンヘドリンの最高のエリートたちが、こぞってイエスを死の淵に追いやります。そのためには、民衆の力が必要です。多数であれば正義になります。多数にするためには、その多数を抹殺してなくすか、またはその多数を洗脳あるいは煽動するかして自分の背景勢力にするか、のどちらかが有効です。しかし前者は、国が滅びます。生産者が必要だからです。そこでうまく多数をまるめこむならば、すべてはうまくいくでしょう。現代の為政者、とくに独裁者と言われる人々はたいていそのようにしています。カンボジアの歴史の中には、例外があるように見えますが。ところでピラトは、このユダヤ支配層の思惑に簡単には賛同しませんでした。事を起こせばピラト自信の責任になり、自分の立場を危うくします。彼らに対して、事をまるく治めないかと提案するのです。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」(ルカ23:14-16)と言うのですが、これはこれで尤もな提案です。適切な喩えかどうか分かりませんが、生徒会役員に対して教師が諭しているような趣があります。いや、学生運動に近いでしょうか。ピラトはイエスの中に、ローマ法における犯罪性を見いだすことができませんでした。宗教的に躍起になっているユダヤ人とは違うところです。最後には、言い回しとして「教育しよう」と言っています。罰であるという発想でなく、教育的措置のような形です。語として「鞭」はありません。文語訳が適切に処理しています。
対比のサインはこの最後まで続きます。「この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである」(ルカ23:12)と、思わぬ展開であることが示されます。ヘロデはローマの傀儡ではあるにせよ、そしてまたユダヤの血筋からいっても中心から外れているにせよ、ユダヤ人の顔としてユダヤの王に立てられています。他方ピラトは、ローマから辺境のユダヤに派遣された役人です。ローマ帝国は、地域を帝国に属するものとして安定させる必要がありましたので、力の及びにくい辺境に至ってはなおさら、住民感情を逆撫でしないように配慮していたと思われます。それは法体系を重んじるローマだからこそなすべきことであったかもしれません。つまりユダヤ人たちには、その宗教を弾圧しなかったのです。宗教はその民族や人民の精神を支えます。これを塗り替える政策ももちろんあり得ますが、ローマはそうはしませんでした。しかし、それが面白くない役人もまたあり得ます。ピラトがそうでした。ルカはこの点を追及するかのごとく、すでに13章で、ピラトがガリラヤ人の血をいけにえに加えたことが書かれていました。つまり宗教の故にか、または宗教への挑発として、その神聖な神殿においてユダヤ人を処刑したのでしょう。聖書の他の文献においても、何かとユダヤ人に憎まれることを計画したことなどが明らかにされています。ヘロデはローマと組んではいても、あるいは組んでいたからこそ、ピラトの姿勢は本来と違うと考えていたことでしょう。そりが合わなかったことが知られていたものと思われます。ルカがこのように書いているのですから。しかし、このイエスの出来事を通して、ヘロデとピラトは親しく近づいたということをルカは記録しています。敵の敵は味方、という論理でしょうか。より弱い者を犠牲にして迫害の対象とすることで、強いライバルたちは共通の感情により意見の一致を見ることがあるわけです。
展開は対比を続けています。ですからこういうところは、「だが」というよりも、「他方」という感じに近いでしょう。「祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた」(ルカ23:10)という新共同訳がどこからきているのか、よく分かりません。というのは、「そこにいて」というのが他の訳にはなかなか見られない言葉だからです。すべての訳は、ここで「立って」としています。「そこにいて」だと状況がまるで分かりません。ヘロデが尋問をしている間も、連れてきた祭司長や律法学者たちは、イエスがどうぼろを出すか見守っていたはずです。それが、イエスが無言で、自ら尻尾を出すことをしないものですから、ついに叫び始めた、というのです。こういうとき、当然、立ち上がって叫ぶものでしょう。その様子を描いています。ルカはとりつかれたように対比をもちかけて、「ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した」(ルカ23:11)と記します。日本語の問題なのでしょうが、「ヘロデは」で十分だと思います。祭司長や律法学者たちがあざけっていたのならば「も」でよいのでしょうが、不自然な流れを作ってしまいます。もちろん原語においてそうしなければならない理由はありません。まさにこのヘロデがそのようなことをしたのです。イエスを嘲ります。侮辱もします。そして何か輝くような服を着せます。そのこと自体が非常に皮肉めいてばかにした行為です。