イヨンブの宝城文化遺産紀行故郷に浮かぶ月
私は大空を飛行しながら我が故郷の面々を
ちょっと違う視点から観察して見ることができた。…
一つの画面をオールカラーに染めている
空の下でわが故郷はどんな風景画よりも
美しかった。
故郷の家に立ち寄り ソウルに戻る途中に思わず車窓の外を眺めた。雪に覆われた山の下村に明かりがついていた。
子供の時の思い出がそのまま出る、街角ごとに、懐かしい顔が一つ一つかうかんだ。
その中で、多くの顔が今は他地へ住んでいるが、祝日には、必ず帰ってきて私のように都市生活で疲れた魂を放って行くのだ。
星がきらきら輝く夜空に十五夜の月が出ている。同じ月でも故郷に浮いた月は特にもっと大きくて明るく感じられるのは私だけの勘違いなのか。
遠い道行く子供を見送るお母さんのようにぽかぽか暖かい月の光を後にしたままソウルに向かう心は常に変わった感慨を引き起こす
見ていても恋しいのが愛というのか。
光州にある大学で講義を始め、1週間に少なくとも2日は泊まりに行く故郷だが、
帰りはいつも胸の片隅が熱くなったりする。
私の故郷ボソンは人間の五感を満足させてくれる最適のむらだといえる。
どこに行っても美しい山と海、湖があり民族の息づかいが込められている村 地域ごとに悠久の歴史の痕跡が生き続けている。
私は今まで宝城ほど多様な文化遺産を持っている都市を見たことがなかった。
これは決して ぼくが 宝城人なので言うのではない。2の邑と10つの面で行われた宝城は郡単位の小規模の農村である。
どころで私はソウル市議会で議員活動をしていながら数多くの世界的な文化遺跡地や有名な都市を訪問しても
これよりもっと多くの話題を持っているところを発見できなかった。
人々は、ボソンの場合 すぐ 緑茶を思い出す.
多くの 人たちはポソンは 全部茶畑だとばかり知っている場合もある。
もう少しわかるとしても伐橋貝とか小説《太白山脈》を連想するほどだ。
実はここで育った私も数年前までも我々の地元にこんなに立派な語り草がまんべんなく分布されているとは思わなかった。
ULM(軽量航空機)を好んで乗る故郷の後輩ソンサングンは干潟、写真専門家として活動している。
昨年の夏から冬まで彼は私に特別な思い出をプレゼントした。おかげで私は大空を飛行しながら我が地方の面々を少し他の視点から観察して見ることができた。
今も僕はあの時の震えを忘れられない。
空から見下ろした宝城は今まで私が知っていた故郷の姿がどんなに断片的だったのか実感させてくれた。
そして、イルリムサン、烽火山、バンジャンサン、ジュウォルサン、オボンサン、ジェソクサン、ベクイサン、ジョンジェサン、チョアムサン、チョンボンサン、ギェダンサン、デリョンサン、ビョクオクサンなど14個の山 まだくねくねと渓谷の水が流れて、インクを振りかけておいたような海と注岩湖の秘境を成している寶城江、野原の黄金色の波、赤い色チルミョンチョが風にうねる干潟が一つの画面をオールカラーに染めている空の下でわが故郷はどんな風景画よりも美しかった。
大空に滞在中は幼い時何の考えもなく遊び回った山と野原が前とは全く違う新鮮な衝撃を与えて何とも言えぬ喜びを与えた。
遠くからでもこんなに胸が急騰しているのに、実際に見ればどれほど美しいだろうか。
一方では惜しくて悲しい思いがかかるのも仕方がなかった。
昔から幾多の愛国志士や芸術家を輩出した宝城は意向、芸郷、ダヒャンのサムボヒャン(三寶鄕)と呼ばれた。
言葉そのままボソンは趣きと味が調和した農村である。ここに天恵の自然景観まで揃えているため、文化観光地ロソナ歴史遺跡地として十分な条件を具備していることにもかかわらず、多くの人が依然としてボソンは緑茶の町で知っている。
それだけの広報が足りないせいもあるが、宝城の真の価値に対する再評価がなされていないことが、さらに大きな理由がないかと思う。
この時から私はまるでだいぶ前に別れた初恋をまた会ったように手ごわいときめきを抱いて私の故郷宝城を再び見始めた。
4回の青空旅行を通じて最も胸痛かったのはこんなに美しくて素晴らしい風景を保っている私の故郷ボソンが今では、かつての筏橋の人口にも及ばない立ち遅れた都市に転落してしまったという現実だ。
何よりも現在、故郷に住んでいる人々はさることながら故郷を訪れた彼らに宝城の真骨頂を教えてくれたかった。本を書こうとしたのも そのような理由のためだった。
21世紀は文化観光の時代である。 いい山があるし、水のきれいな渓谷や海辺で寝、食べて写真も何枚撮って行くのは真の意味の旅行と言えないだろう。
この本は、私たち民族の歴史と文化、伝統が生きて呼吸する宝城を背景で構成された。
ほとんど旅行客の目で見て感じた点を整理したのだが、ボソンを惜しんで愛する故郷の人の立場から時折、残念な点や改善点を提示したりもした。
本を執筆し、改めて驚くべき事実はボソンは各地域ごとに欠かさず多様な文化と歴史的な見どころ、記憶に残るストーリーがあるという点だ。
私はボソン一帯をくまなく回るだけでも南道旅行の真価は十分に味わうことができると確信する。
何卒この本がより多くの人たちに新しい旅行の道しるべ道しるべとなってくれることを望んでやまない。
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