フィンランド建築・デザイン雑記帳

小さな真珠 アルヴァ・アールトの「エロッタヤ・パヴィリオン」


写真: 平山 達氏 (photo: Susumu Hirayama)

建築の仲間たちとアールト建築の話をすると、何人かは「エロッタヤ・パヴィリオン (Erottajan paviljonki)」がとてもいいという。
何人かは「???」だという。
評価は二つに割れ、友人の多くには、それほどの印象は残っていないようだ。

だいぶ前に、この建築をテーマにしたフィンランドの放送局、YLE(Yleisradio))のテレビ番組を見た。

番組の内容は、建物の簡単な説明と、道行く人々へのインタビューであった。
ひっきりなしに通る車と、入り口の前を通過する人々で、かなりの喧騒の中だが、パビリオンに注意を払う人はほとんどいない。
人々へのインタビューでは、この建物が、アルヴァ・アールトの作品だと知る人は少なかった。
通行人の一人は「エロッタヤ・パヴィリオン」は、アールトの作品の中でも最も知られていない作品のひとつだ」と話していた。

日本のアールトファンの間でも「エロッタヤ・パヴィリオン」は、あまり評価されていないようだ。 
存在さえ知らない人もいる。
この建物は、アールトが設計したヘルシンキで最初の公共建築である。
今でこそ、多くの日本の都市で地下入り口に、ガラスの箱のような美しい建造物がみられるが、半世紀以上も前アールトの、この作品は、とてもモダンな箱であっただろう。
そして、昔読んだ本の中で、フィンランドの建築家が「エロッタヤ・パヴィリオン」はヘルシンキの「小さな真珠(pieni helmi)」だと言っていたのを思い出した。

この建物は、地下駐車場の入り口だが、初期の段階では地下に売店とトイレがあった。
そして、歴史は1941年の戦時中(ソ連との継続戦争)までさかのぼる。
ヘルシンキ市は防空壕シェルターへの入り口の計画とエロッタヤ地域の交通の組織化のための地域計画案を求めた建築設計競技を開催した。
(Erottaja-aukion liikennesuunnitelma ja suunnittelu)
設計競技は、指名コンペで9名の設計者から16の提案が提出された。
アルヴァ・アールト案が1等を獲得した。
当時は戦時中で、資金難のため計画は実施されず、階段付きの仮設構造物のみが建設された。

そして、ようやく1951年に完成。
1951年といえば、ヘルシンキでオリンピックが開催された1952年の前年である。
オリンピック開催を控え、都市インフラが整備され、道路が整備され・・・、そんななかで、この「エロッタヤ・パヴィリオン」も急ピッチに完成されたのであろう。

その後、建物は何年にもわたって小さな変更が繰り返された。
1969年の工事では、ガラス製の換気ダクトは銅製のものに置き換えられてしまった。
地下の売店やトイレは取り壊され、地下駐車場への入り口となった。

2012年、アルヴァ・アールトの作品の中でも最も知られていない、この作品が一躍、フィンランドの人々の注目をあびる事件があった。
何者かによって基礎と柵の一部が切り取られたのだ。
アルヴァ・アールトの「美術作品」としてオークションに出品された。
ロンドンのクリスティーズオークションに出された、その「芸術作品」は 6000ユーロ(日本円で80万円位)以上の開始価格で「彫刻」として取引されたという。
その後、フィンランド側に無事返還されたとの事。


地下に売店やトイレがあった時代の建物は、とても美しい。
プロポーション、様々な部分のディテール・・・。 
「アルヴァ・アールト・ファンデーション」には、この建物の図面や資料がたくさん保存されているという。
「小さな真珠」を元のような、輝いた真珠にしてほしいものだ。 今後の動きに期待しよう。





写真: 平山 達氏 (photo: Susumu Hirayama)
よく練られたディテールに、これぞアールト建築という細部の特色が出ている。




入り口内部、オリジナル時の様子。
地下駐車場になる前、地下には売店と公衆トイレがあった。
地下施設への入り口には、ガラス製の換気ダクトとフラワーネット付きの天窓があった。 スカイライトとフラワーネットの組み合わせなど、アールトの他の建築を彷彿とさせる。
ガラス製の換気ダクトは1969年の工事で銅製のものに置き換えられてしまった。
Photo : Quoted from 「Alvar Aalto Foundation」




入り口内部、現在の様子。
現在は地下駐車場への入り口として使われている。 何度となく細かな変更が行われ、オリジナルとはだいぶ違った姿になってしまった。
Photo : Quoted from 「Alvar Aalto Foundation」




何者かによって切り取られ、ロンドンのオークションでアルヴァ・アールトの「美術作品」として販売された。
他より白く見える部分は補修され、元通りになった。
Photo : Quoted from 「Helsingin Sanomat」




美しいプロポーション。
基礎は花崗岩で、屋根と樋は銅、建物を囲む柵や手すりはブロンズ。
最も印象的なのは、ガラスのファサードで、おそらく、アールトは、交差点の真ん中にある建物では、透明な建物が安全で適していると考えたのでしょう。




ヘルシンキの主要道路、マンネルヘイミンティエ(Mannerheimintie)の起点、東にはエテラエスプラナーディ(Eteläesplanadi)、西にはブレヴァルディ(Bulevardi)といったヘルシンキの主要道路が交わる交差点にポツンと位置するのが「エロッタヤ・パヴィリオン」。
交通の要所にある。
建物は、1941年に行われたコンペでヘルシンキ市の課題が防空壕シェルターへの入り口の計画と共にエロッタヤ地域の交通の起点となる施設を求めたことによる。





東京・西新宿、地下通路への入り口
近年、日本の多くの都市の地下入り口にみられる、ガラスの箱のような建造物。
半世紀以上も前の作品、アールトの「エロッタヤ・パヴィリオン」にアールトの先進性を見ることができる。
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