フィンランド建築・デザイン雑記帳

ヘルシンキ中央駅にそっくり、ヴィープリの旧駅舎


在りし日のヴィープリ駅
写真:フィンランド国立博物館 (photo: quoted from Museovirasto)

1930年代に出版された、古いフィンランドの本に、ヴィープリの旧駅舎の写真が載っていた。
ヴィープリは、アルヴァ・アールトが設計した「ヴィープリの図書館 (1927年 建築コンペティション、1935年 完成)」がある町。

ヴィープリ駅は「ヘルシンキ中央駅」の設計者、エリエル・サーリネン(Eliel Saarinen 1873-1950)とヴィトレスク (Hvitträsk) での設計仲間 ヘルマン・ゲセリウス(Herman Gesellius 1874-1916)の設計で、1913年7月1日に完成した。 
その姿は、僕たちお馴染みの「ヘルシンキ中央駅」にそっくりである。


写真で見る駅舎は、なんともエレガントな姿、雰囲気を漂わせているが、ソ連(Soviet Union, フィンランド語では Neuvostoliito)との戦争で1941年8月に完全に爆破されてしまった。 
残念ながら、この駅舎は今は無い。 
ヴィープリの町自体も、1944年にソ連に割譲され、名前をヴィボルグ(Vyborg)と変え、ロシアの一都市になってしまった。




エリエル・サーリネン設計の「ヘルシンキ中央駅」
(1904年 建築コンペティション、1919年 完成)」
写真・撮影: 平山 達氏 (photo: Susumu Hirayama)


フィンランド鉄道博物館 (Suomen Rautatiemuseo)の論文集でローサ・ルオツァライネン氏 (Roosa Ruotsalainen)が、「ヴィープリ駅」について書いている。 
それを参考にして、今は無いエリエル・サーリネンの「ヴィープリ駅」をしのんでみたい。

旧フィンランド領(現ロシア領)の都市「ヴィープリ(Viipuri)」は、20世紀初頭、フィンランドの4大都市のひとつで、ヘルシンキ、トゥルク、タンペレと共に重要な都市であった。
当時、「ヴィープリ駅」では乗客と貨物の量の増加は著しく、古い駅舎や貨物ヤードでは、対応が出来なくなり、1904年に、フィンランド最大の駅である「ヘルシンキ駅」と共に「ヴィープリ駅」の建築設計競技が行われた。

「ヘルシンキ駅」、「ヴィープリ駅」両方のコンペで一等を獲得したのが、建築家のエリエル・サーリネンで、ヴィープリでは一等と二等を受賞した。
サーリネンは、ヴィトレスク (Hvitträsk) での設計仲間 建築家のヘルマン・ゲゼリウス (Herman Gesellius 1874-1916) と共にコンペに参加した。
ゲゼリウスは、駅の最終図面の作成において主要な役割を果たしたと言われている。

「ヘルシンキ駅」、「ヴィープリ駅」では、共に当時の最新技術の鉄筋コンクリート架構をフィンランドで初めて用いた建築としても特記されるものである。



「ヘルシンキ駅」に於ける鉄筋コンクリート架構
(photo: quoted from Tehdään Betonista, Näyttely Suomen rakennustaiteen museossa, 1989)


「ヴィープリ駅」に於ける鉄筋コンクリート架構
(photo: quoted from Tehdään Betonista, Näyttely Suomen rakennustaiteen museossa, 1989)



駅の平面計画は、コンペ開催以前に既に決められていて、コンペでは主に、ファサードのデザインに主眼が置かれた。
1904年の夏、サーリネンはコンペのインスピレーションを求めてヨーロッパを旅した。
「ヴィープリ駅」の計画は、ドイツの駅舎建築の影響を受けていると言われていて、駅正面にある半円形のガラス窓は、ヨーロッパの駅舎では一般的な手法である。 
サーリネン建築の特徴は「塔」だが当初、計画されていた塔は、不要なものとして削除されてしまった。

駅舎は、線路を挟むように計画されたので、サーリネンの計画は、建物間の線路上にガラス屋根をのせる予定だったとの事。 しかし、この計画は建設費が膨大になるとの理由で実現しなかった。
駅舎中央に大きなホールがあり、両側に切符売り場があった。
当時の新聞は、駅舎内での民主的な様子を次のように紹介している。
「1等、2等、3等の快適さの違いは明らかだが、この駅では、待合室、レストランなどでの階級での区別は全くない。 これは嬉しい驚きだ」と。

「ヴィープリ駅」と「ヘルシンキ駅」は、とても良く似ている。
サーリネンは、「ヴィープリ駅」ではヘルシンキ駅計画を発展させた形で実現させたと述べている。 
玄関入り口上に時計が付いた大きな半円形のガラス窓、屋内の巨大なドーム型のホールなどなど・・・。
どちらの駅にも正面玄関の両脇に彫像がある。 
ヴィープリ生まれの彫刻家、エバ・ギルデン(Eva Gyldén)作の「熊と女性の彫像」が「ヴィープリ駅」を飾り、彫刻家、エミール・ヴィークストローム (Emil Wikströmin)作の「ランプを掲げる石像」が「ヘルシンキ駅」を飾っている。

「ヘルシンキ駅」の石像について少し付け加えると、エミール・ヴィークストロームの当初の計画では、駅の近くにある国立博物館の「熊の彫像」に似たものを作ることだった。
その後、ヴィークストロームはヨーロッパを旅行し、アール・デコ様式の影響を受け、「熊の彫像」を「男性の石像」に変えることとした。
「熊の彫像」は、あまりにも民族主義的で情緒的であると人々から反対されたことも、変更の一因であった。  

両駅は、色々な点で似ているが、設計における決定的な違いは、「ヘルシンキ駅」が終着駅(ターミナル型駅)であったが、「ヴィープリ駅」は通過型(トランジット型駅)であったという点である。




ヴィープリ駅と駅前広場。
写真:フィンランド鉄道博物館 (photo: quoted from Suomen Rautatiemuseo)




ヴィープリ駅、中央ホールの様子。
写真:フィンランド鉄道博物館 (photo: quoted from Suomen Rautatiemuseo) 



ヴィープリ駅、レストランの様子。
写真:フィンランド鉄道博物館 (photo: quoted from Suomen Rautatiemuseo) 



戦争で完全に破壊されてしまったヴィープリ駅。
写真:フィンランド国立博物館 (photo: quoted from Museovirasto)
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