フィンランド建築・デザイン雑記帳

カタカナ表記について、アルヴァ・アールト、アルヴァー・アアルト、それとも アルヴァル・アールト ?





「ギョエテとは、俺のことかとゲーテいい」という川柳は、明治初期の小説家、斉藤緑雨の作といわれている。
この川柳は、外国人の名前や地名などカタカナ表記の難しさをユーモラスに伝えている。
ドイツの文豪GOETHEを英語風に発音すれば「ギョエテ」となり、ドイツ語風に発音すれば「ゲーテ」になる。
僕たちにとって馴染み深いのは 「ゲーテ」だが、言語が違えば20以上の異なったGOETHEが存在するという。


人名表記と言えば、前から気になっていた建築家「アルヴァ・アールト」のカタカナ表記についてチョット考えてみた。
今でこそ「Alvar Aalto」の表記は2-3に固まりつつあるが、昔は、いろいろな「 Alvar Aalto 」が居たのだろうなと、神保町の古本屋で入手した1940年(昭和15年7月)発行の古い建築雑誌「国際建築」を眺めてみた。

この号の特集は「現代芬蘭建築」で、アールトの作品を中心に、当時のフィンランド建築が紹介されている。
嬉しいことに、市河彦太郎夫妻の「フィンランド雑記」の抄録も掲載されている。 市河彦太郎は1930年代、駐フィンランド代理公使としてヘルシンキに滞在し、アールト夫妻とも親交のあった人で、アールトに日本の文化や建築を紹介したりと、影響を与えた。

果たして、この号には何人の「Alvar Aalto」が登場するか?

1940年「国際建築、特集・現代芬蘭建築」
小池新二 「フィンランドの建築」では、殆どがAlvar Aaltoとアルファベットで表記
蔵田周忠 「現代フィンランド建築」では「アアルト―」の表記
市河彦太郎、かよ子 「フィンランド雑記」では、「アールト」の表記
編集部による略歴紹介では「アルヴァル・アールトオ」の表記
作品解説、写真キャプションでは「アルヴァ・アアルト」の表記
巻末の国際情報欄では「アルヴァル・アールト」の表記

この時代、雑誌の編集部では外国人の名前や地名は統一することなく、カタカナ表記は筆者の選択に任せられていたようだ。
1冊の雑誌の中で、同人物でも筆者により表記はバラバラで,この人は同じ人? ということが度々起こる。
1930年代、外交官として長くフィンランドに滞在した市河彦太郎夫妻の原音からの表記が「アールト」であるのは興味深い。







我が国は、外国の人名、地名のカタカナ表記への問題意識は低く、寛容である。
原音に近づける表記にするのが原則であるが,原音と異なる慣用が熟しているものは、慣用の形を尊重する。
以前読んだ論文に「カタカナ表記は、どれが正解であるかは規定できない。 許容できるカタカナ表記は複数考えられ、どの表記を用いるかは自由である」と書いてあった。
このあたり、実におおらか。
そもそも,日本は自国をどう呼ぶか,ニホンかニッポンか? 明治からの議論は、今だに決着なく、どちらでもいいことになっているという。

外国の地名や人名を多く取り上げる地理や社会・歴史の分野での「カタカナ表記」は、さぞご苦労が多いのではと想像する。
北海道文教大学の岡本佐智子氏の論文 「外国の地名表記の現状と課題 ー教科書および副教材における表記の「ゆれ」からー を興味深く読んだ。 分かりやすい解説はとても面白く、関心のある方々には、ご一読をお勧めしたい。
(論文pdfは、インターネットで検索すると、読むことができます。)


フィンランドを扱った文章を読んでいて、時々アレ? と思うことがある。
フィンランド・ファンからすると、人名や地名でフィンランドでの原音から極端に違ったカタカナ表記を見ると居心地が悪いし、内容への信頼度がガタ落ちとなる。




情報が少なかった時代、地名や名前のカタカナ表記には、苦労しただろうことが察せられる。
1953年 (昭和28年)に発行された「世界の現代建築、スウェーデン・フィンランド篇」
彰国社 猪野雄一・小池新二編では、
エリック・ブリッグマン(Eric Bryggman 1891-1955)のトゥルク(Turku)のチャペル(トゥルクの墓地の復活教会)が紹介されている。
その表記は、トゥルクがトルク、
エリック・ブリッグマンがエーリッキ・バリマンとなっている。
また、
「デンマーク・ノルウェー篇」では、アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen) の表記は、アーヌ・ジャッカブセンとなっている。
どちらも、英語読みで表記したのだろうが、「バリマン」や「ジャッカブセン」では誰のことやら??


アールトに話を戻すと、僕は、長い間 「アルヴァ・アアルト」と表記していた。
これは多分に慣用からくるもので、僕たちの世代は武藤章氏の多くの著作で「アルヴァ・アアルト」を知り、アアルトの建築に親しんできたからだろう。


この何年間は、後述する伊藤大介さんの指摘から「アルヴァ・アールト」の表記が気に入った事や、フィンランド人たちの発する原音は「アルヴァ・アールト」に近いことなどから、こちらを用いている。








2年前に急逝された西洋建築史の伊藤大介んさんは、彼が学生の時からの友人。
北欧に関心を寄せる人が少なかった時代、伊藤さんは、フィンランドの建築や文化などを語りあえる数少ない仲間の一人だった。
仕事の拠点を北海道に移されてから、交流は少なくなってしまったが、東京に来られた時など、彼の宿泊するホテル近くのファミリーレストランで夜が明けるまで話したのは懐かしい思い出である。

いつだったか、彼が語っていたのが 「アールト」 のカタカナ表記の事。
伊藤さんがフィンランド留学から帰国した頃だと思うが、 「アアルト」の表記は不自然で、原音を尊重するなら 「アールト」だよ、と熱心に語っていた。
きっと 「アールト」という表記は、伊藤さんが留学中に得た確信だったのだろう。





その後、伊藤大介さんは著書「建築巡礼18 アールトとフィンランド、1990年 丸善」の「あとがき」で

『なお、「アールト」という表記についても触れておくべきであろう。 日本では 「アアルト」 なる書き方が慣例化しているようであるが、これにはフィンランド語としての必然性はない。
あきらかに 「アールト」 の方が自然であり、こう改めてゆくべきだと判断したため、あえてこの表記を採用したことを最後にお断りしておく。』 と書いている。

今まで、人名の表記など、あまり真剣に考えたことが無かった僕にとって、彼の指摘は新鮮で衝撃的だった。
「Alvar Aalto」のカタカナ表記は、どうあるべきかについて書いたり語ったりしたのは、僕の知る限り伊藤大介さんが最初の人だと思う。


フィンランド在住40年の日本人建築家 Kさんにも「Alvar Aalto」のカタカナ表記について聞いてみた。
彼の意見は 『もし原音に近づける表記にするならば、「アルヴァル・アールト」が、いいと思う』 との事だった。

アールトの建築で有名な「サユナツサロ ?」「セイナツァロ ?」など、いつも話題になるフィンランドの地名の難しいカタカナ表記などについても、少し考えてみたいと思う。
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