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播州・赤穂城(2)

2015年12月28日 | 旅行
ーー 播州・赤穂城(1)の続きです。

映画やドラマなどで、忠臣蔵は広く知られていますが史実はかなり違うもののようです。

赤穂市の市内は、赤穂義士一色に染められた感じがしました。


赤穂城の天守台の石垣


赤穂城本丸跡


本丸庭園






二の丸外堀


武家屋敷


お城通りの街並み






赤穂市のマンホール

主君の仇討ち、身命を落としてまで何故、大石内蔵助を始めとした藩士たちは仇討ちを

したのだろう。


理由は幾つかあったと考えられます。

最大の理由は、喧嘩両成敗については将軍の片手落ちの裁断にあったようです。

大石内蔵助の辞世の句「あら楽おおもひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」や

「極楽の道はひとすぢ君ともに阿弥陀をそへて四十八ひと」などがあります。


内蔵助は切腹にあたり、何も思い残す事は本当になかったのだろうか疑問に思います。

さて、討ち入り後から時を経て吉良家は断絶、内蔵助の三男・大三郎は正徳三年(1713年)

九月二十六日、芸州浅野家の招きで千五百石の知行で召し抱えられています。



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