ことり
小川 洋子 著 朝日新聞出版 / 2012.11
親や他人とは会話ができないけれど、小鳥のさえずりはよく理解する兄、
そして彼の言葉をただ一人世の中でわかるのは弟だけだ。
小鳥たちは兄弟の前で、競って歌を披露し、息継ぎを惜しむくらいに、一所懸命歌った。
兄はあらゆる医療的な試みにもかかわらず、人間の言葉を話せない。
青空薬局で棒つきキャンディーを買って、その包み紙で小鳥ブローチをつくって過ごす。
やがて両親は死に、兄は幼稚園の鳥小屋を見学しながら、そのさえずりを聴く。
弟は働きながら、夜はラジオに耳を傾ける。
静かで、温かな二人の生活が続いた。
小さな、ひたむきな幸せ……。
そして時は過ぎゆき、兄は亡くなり、弟は図書館司書との淡い恋、鈴虫を小箱に入れて持ち歩く老人、
文鳥の耳飾りの少女と出会いながら、「小鳥の小父さん」になってゆく。
小川洋子さん、12年振りの書き下ろしだそうです。
私のイメージとしては、小川ワールドである不思議感は感じられませんでした。
強いて言えば、兄の発するポーポー語くらいかなと…。
それよりも、誰にも訪れるかもしれない孤独を感じるお話でした。
両親を早くに亡くし、兄の面倒を見ることを生きがい(というか日課)としていた“ことりの小父さん”でしたが、その兄も亡くなり、天涯孤独となってしまいます。
孤独ではあっただろうとは思うけれど、それが寂しいとか哀しいとか不便という気持ちになったかというと、それはそうでもないように感じました。
孤独は意識しただろうけど、その孤独に対しての免疫とか準備がなされていたようにも思うのです。
逆に、親類や知人等、人と交わることで生じる大小の煩わしさがない分、小父さんは平穏に暮らせていたと思いますし、だからこそ、孤独の道を選んだのかもしれないと思います。
最後は、小父さんは苦しみも寂しさも感じずにこの世を去りますが、これはある意味、羨ましい最期であり、多くの人が望む最期かもしれませんね。
私も、国の財政を使って生きながらえたくないので、誰にも迷惑をかけず、孤独でいいので、ヒッソリとポックリと逝きたいなと思います。
でも、その後を考えると、やはり、誰かには迷惑をかけてしまうんですね。
腐敗する前に発見してもらえればいいけれど、腐敗してしまったら、後処理をして頂く方に大変申し訳ないです。
ことりの小父さんの場合は?と余計なことを考えてみたのですが、まず、あのメジロの入った鳥籠の扉を開けるべきでした、といっても、小父さん自身、明日…と思っていたワケだから、それはどうにもならないことなのですが。
そして、予想できることとしては、鳴き合わせ会の男がやってくると思うので、腐敗は免れますが、メジロを持っていかれると思います。
それは、小父さんの本意ではないはずなので、どうしても気になってしまいました。
などと、つい余計なことを考えてしまいました。
私も鳥が好きなので、よく観察されている鳥の描写はとても楽しかったです。