平和ボケ者の独り言

勝手な妄想と独り言

赤ちゃんポスト

2006年11月14日 | 独り言
■全国初「赤ちゃんポスト」設置へ -熊本市の慈恵病院-

先日こんなニュースを耳にしました。

「ここまで日本の社会と心は落ちぶれたのか?」と言うのが第一印象。

昔みたいに本当に貧しい時代に食べさせるものもなく「泣く泣く手放す」と言うのであれば分かりますが、現代はそうではない筈です。贅沢こそ出来ないかもしれませんが、現在は最低限の営みを保障する生活保護など福祉も用意されています。

望まれないで生まれてくる子供にはなんの責任もありません。今回の病院の行いはある意味、育児放棄する事を前提に出産する世の中を正当化するものであり、生まれてくる命にとってこれ以上の人権侵害がありましょうか?

だからこそこのニュースはショックでしたもちろん今のご時世賛否両論あるとは思います。そしてもちろんストレスだとか育児ノイローゼだとか母親の育児がどれだけ大変なのは良く解ります。しかし人は幾度と苦難を乗り越え成長していく生き物です。試練を乗り越えて年をとりそれが自分の歴史となり「あんなこともあったね、こんな事もあったね」「貴方を本気で捨てようと思ったこともあったのよ♪」なんて年を幾重にも重ねた時にに笑って言えるような日も来るのではないでしょうか?

そして、もし仮にこういう場所があったとしても「当病院は育児ポストを設置します」と発表し、おおやけにするのは如何なものかと思います。あくまでこの種の善意は人の心の中にあるもので、時と場合によるものないでしょうか?

窮地に立たされた親が決死の覚悟で泣く泣く赤ちゃんを託し去り、そして赤ちゃんを引き受ける人がいる。そう言う意味では私も決して反対ではありません。

ただ努力もしない、窮地にも立たされてない無責任な人に逃げ道への誘い道にもなりえる、そう言う感点で反対と言うことです。その努力の基準も曖昧ままに子供を手放ことが出来るなら、真面目に生きている人にとって「申し訳ない」。そう言う気持ちから反対と言う立場です。

『正直者が馬鹿を見る』そんな荒廃した世の中は希望しません。


本当の窮地とは・・中国残留孤児などが例ではないかな?ソ連軍に攻撃を受け満州国を追われ、生きて日本に帰れると保障のなかった窮地に立たされた両親が、決死の覚悟で圧しに惜しんで我が子を現地の人に託した。なんとも痛ましい話です・・

そしてそれを含む女性たちの中には、夫の前でソ連の兵士に夫の目での強姦されたり、姉妹共々同じソ連兵からの強姦などソ連軍から残虐卑劣な行為を受けた方もたくさんいました。そして、命からがらやっと祖国福岡港の土を踏んだ女性達のお腹には強姦された時に宿った命が何千とあったそうです。

この病院では、婦人科ができて約20年。今まで一度も妊娠人工中絶を行っていないと言う事を自負されていますすが、もし貴方、もしくは妻、恋人、愛娘がレイプされ子供ができた。しかし人工中絶してくれる病院からは中絶を拒否されました。もしも自分がそんな立場に自分がおかれたらどう思いますか?

少し話がずれてしまいましたが、この様な出来事に比べると今の世の中で、なぜ赤ちゃんポストがおおやけの場で必要なのかと言うことに疑問を持たざる得ないと言うのが僕の心境です。

もし、百歩譲って今の世の中だからこそ赤ちゃんポストが必要とだとするならば、まずこれが全国的広がりになって行くと同時に、やっていくことがいっぱいあると思います。


今日の親による幼児虐待や殺害、心の荒廃してしまっている日本において、幸せだとか不幸だとか可哀想だとか思う前に、まずは自分の道徳心に問いかけてみてはどうでしょう?

日本人道徳を今、改めて考え直し、回帰し、そして一回り進歩した日本人の皆々様が真心を見る目を再確認することが大事だと思います。

またいじめの問題同様、そうした徳育こそが、本来赤ちゃんポストなしでも救える命が、そして救われる親が、救われる社会を構成されて行くと思います。


私はあくまで、病院側のコメント通り『緊急的な措置』である事を願ってなりません。