・『ひろがるスカイ!プリキュア』
9話目。我が意を得たり。これはいい。
私は「ひろプリ」におけるヒーローの必要条件の一つを「己に使命を課す」ことと定義していた。ヒーローが必要な場面で、その使命を自分に課して困難に立ち向かうこと。ソラ・ハレワタールも虹ヶ丘ましろも、これによってヒーローの資格を獲得し、プリキュアへの覚醒を果たしている。
さて、夕凪ツバサである。彼もまた、この流れに乗っている。ただ、彼の覚醒において最も重要な点なので、上記必要条件に少しだけ追加されねばならない。当たり前すぎて省いていたのだが、「力の有無にかかわらず」という点を明かしておきたい(誤解されがちなのでこちらは強調しておくが、有無にかかわらずなので「有」と「無」に優劣は存在しない)。
ツバサにとって力の有無は重要な問題である。彼がプニバード族だからだ。飛べない鳥だからだ。しかも、これは彼に対する罰でも呪いでもなく、種族がかつて人間になれることと引き換えたものである。等価交換である。これは受け入れるしかない。そうであるがゆえに、父の姿に見た、ツバサの空を飛びたいという願いは純粋である。いつか届くかもしれない願いと信じ、空を見上げるのである。同じく純粋に夢に向かい続けるソラが認める努力なのである。
そして、8・9話において、彼の願いと物語上の目標が重なってしまった。今、飛ばなければならない。プリンセスエルを守らなければならない。できないであろうことをやらねばならない。その試みは、成功にはまだ遠く、遂には追い詰められてしまう。願う夢は正しく困難なのだ。目指した空は、敵がいる空は、守るべき人が連れ去られようとしている空は遠いのだ。しかし、自身を浮遊させ「空」を与えて共にあろうとしたエルによって、彼は自分に課せねばならない最大の使命を知るのである。あの日の父のように、自分を救おうと必死なエルに報いること。懸命な努力を信じ、それを決して笑わせないこと。たとえ今は飛べなくとも関係なく、「あなたのナイトが参ります!」を自分に課せた時、ツバサはプリキュアへと覚醒するのである。それに呼応するように、飛べなくとも協力して空に挑み続けたキュアスカイとキュアプリズムの努力は実る。そして、キュアウィングは自由に羽ばたくのである。
キュアウィングの覚醒は、とにかくこの一点である。「できないであろうことをやろうとする」これである。また、「努力を笑わない」の側面に、何事も失敗は前提であるという点がしっかり描かれているのも注目すべきであろう。ツバサは何度も打ちのめされるし、スカイとプリズムも空に届くまで苦しみぬいた。困難がしっかり困難として立ち上がっている。
いやはや、とても楽しかったよ、キュアウィング覚醒。
おもしろいのは、ここで聖あげはの覚醒トリガーもしっかり仕込んでいたように見えるあたりか。「できないであろうことをやろうとする」「努力を笑わない=何事も失敗は前提である」こととあげはの設定を考えると、今回の描写からしてもあげははどこかで自分の夢について致命的な失敗をしなければならないという伏線が仕込まれたようにも思える。大人の挫折と復活を描くか、それともまだまだ道は途上という方向から攻めるか。こちらも楽しみである。
・『王様戦隊キングオージャー』
5話目。リタの表現、お見事でした。疲れMAXという感じでぬいぐるみに話しかけたり奇声を上げてみたり、あるあるとなってしまう。
モルフォーニャがとにかく素晴らしい。この味わいが分かる子は将来有望だ。
展開が少し早い気もするが、まだまだ仕掛けがあるという余裕と受け取ってよさそうだ。楽しみ。
・『知らなすぎた男』
ビル・マーレイありきの映画だが、そういうのはそういうのでいいのである。ただ、そうであるがゆえに、マーレイに慣れてくる中盤が少し退屈に感じてしまうのよね。場面が縛られているからなおさら。とはいえ、全体的にはちゃんと楽しい仕上がりになっている。
・『電人ザボーガー』
ジャンボメカ完成を軸とした悪之宮博士との激闘のあとで、格闘アクションドラマとしての色が急に強くなって、このぐわんぐわんいきそうな感覚がまさに昭和特撮。ウルフジョー戦、素晴らしかったなぁ。
9話目。我が意を得たり。これはいい。
私は「ひろプリ」におけるヒーローの必要条件の一つを「己に使命を課す」ことと定義していた。ヒーローが必要な場面で、その使命を自分に課して困難に立ち向かうこと。ソラ・ハレワタールも虹ヶ丘ましろも、これによってヒーローの資格を獲得し、プリキュアへの覚醒を果たしている。
さて、夕凪ツバサである。彼もまた、この流れに乗っている。ただ、彼の覚醒において最も重要な点なので、上記必要条件に少しだけ追加されねばならない。当たり前すぎて省いていたのだが、「力の有無にかかわらず」という点を明かしておきたい(誤解されがちなのでこちらは強調しておくが、有無にかかわらずなので「有」と「無」に優劣は存在しない)。
ツバサにとって力の有無は重要な問題である。彼がプニバード族だからだ。飛べない鳥だからだ。しかも、これは彼に対する罰でも呪いでもなく、種族がかつて人間になれることと引き換えたものである。等価交換である。これは受け入れるしかない。そうであるがゆえに、父の姿に見た、ツバサの空を飛びたいという願いは純粋である。いつか届くかもしれない願いと信じ、空を見上げるのである。同じく純粋に夢に向かい続けるソラが認める努力なのである。
そして、8・9話において、彼の願いと物語上の目標が重なってしまった。今、飛ばなければならない。プリンセスエルを守らなければならない。できないであろうことをやらねばならない。その試みは、成功にはまだ遠く、遂には追い詰められてしまう。願う夢は正しく困難なのだ。目指した空は、敵がいる空は、守るべき人が連れ去られようとしている空は遠いのだ。しかし、自身を浮遊させ「空」を与えて共にあろうとしたエルによって、彼は自分に課せねばならない最大の使命を知るのである。あの日の父のように、自分を救おうと必死なエルに報いること。懸命な努力を信じ、それを決して笑わせないこと。たとえ今は飛べなくとも関係なく、「あなたのナイトが参ります!」を自分に課せた時、ツバサはプリキュアへと覚醒するのである。それに呼応するように、飛べなくとも協力して空に挑み続けたキュアスカイとキュアプリズムの努力は実る。そして、キュアウィングは自由に羽ばたくのである。
キュアウィングの覚醒は、とにかくこの一点である。「できないであろうことをやろうとする」これである。また、「努力を笑わない」の側面に、何事も失敗は前提であるという点がしっかり描かれているのも注目すべきであろう。ツバサは何度も打ちのめされるし、スカイとプリズムも空に届くまで苦しみぬいた。困難がしっかり困難として立ち上がっている。
いやはや、とても楽しかったよ、キュアウィング覚醒。
おもしろいのは、ここで聖あげはの覚醒トリガーもしっかり仕込んでいたように見えるあたりか。「できないであろうことをやろうとする」「努力を笑わない=何事も失敗は前提である」こととあげはの設定を考えると、今回の描写からしてもあげははどこかで自分の夢について致命的な失敗をしなければならないという伏線が仕込まれたようにも思える。大人の挫折と復活を描くか、それともまだまだ道は途上という方向から攻めるか。こちらも楽しみである。
・『王様戦隊キングオージャー』
5話目。リタの表現、お見事でした。疲れMAXという感じでぬいぐるみに話しかけたり奇声を上げてみたり、あるあるとなってしまう。
モルフォーニャがとにかく素晴らしい。この味わいが分かる子は将来有望だ。
展開が少し早い気もするが、まだまだ仕掛けがあるという余裕と受け取ってよさそうだ。楽しみ。
・『知らなすぎた男』
ビル・マーレイありきの映画だが、そういうのはそういうのでいいのである。ただ、そうであるがゆえに、マーレイに慣れてくる中盤が少し退屈に感じてしまうのよね。場面が縛られているからなおさら。とはいえ、全体的にはちゃんと楽しい仕上がりになっている。
・『電人ザボーガー』
ジャンボメカ完成を軸とした悪之宮博士との激闘のあとで、格闘アクションドラマとしての色が急に強くなって、このぐわんぐわんいきそうな感覚がまさに昭和特撮。ウルフジョー戦、素晴らしかったなぁ。