石田地震科学研究所サロン

地震爆発説に関連する話題以外にも自由に語るサロンです

鈴木正三の諌め

2003年11月04日 | Weblog
鈴木正三の諌め 2003/11/04(Tue)

さて、正三は、関が原の合戦にも参加しましたが、大したお咎めもなく出家することができました。キリシタン化した天草の地を再び仏教化する仕事などをするのですが、期待感を持って入った仏教界の現実を見て鋭い批判を浴びせています。それが次に示す餓鬼道の話です。
「今時の出家は、餓鬼心深きなり。まず小僧より智者の名を貧り、人に勝らんことを思う智欲餓鬼あり。その後、江湖頭(ごうこかしら)餓鬼(江湖会の頭になりたい)、転(てん)衣(ね)餓鬼(出世したい)、寺餓鬼、法(ほう)瞳(どう)餓鬼(盛大にやりたい)、隠居餓鬼、この念を本としてあらゆる餓鬼心を造り出し、片時も安きことなく、一生空しく餓鬼の苦に責められ、未未永劫この念に引かれて、三悪道(地獄・餓鬼・畜生の世界)に堕すべき類いばかりなり。必ず用心して、餓鬼道を免れめされよ。」
出家するときの心境を(現代語に訳すと)「自分も四十歳を越した頃、しきりに世間がいやになったので、お上のほうからどういうわけ(で辞めるの)かとお取調べがあったら、こうという理由もなく世間がいやになったので、このように頭を剃りました、もしも怪しからんことだとお思いになるようでしたら、どうぞ御処分ください、と出頭して切腹するまで、と腹をくくって、ふっと頭を剃った」語っています。この正三を山本七平氏は「日本人離れした日本人、自己の自由意志に基づく行動として行ったことが、まことに近代的である。」と評しています。人生を達観し、切腹覚悟で出家した正三の修行は厳しいもので、理論よりも実践を大切にしたのでした。その正三の目から見た僧侶の姿は小僧から僧正まで皆何らかの欲心にまみれていると写ったようです。

荒れる地震関係サイトの発言を見ていたら、知者と見られたいという智欲餓鬼という言葉が浮かんだのです。名声を得たい欲心、どうだ俺はこんなによく知ってるんだぞ、という人がいることは今も昔も同じなんだなと思います。かくいう私も、隠居餓鬼という言葉がありますので、それがどういうものか判然としませんが自省していかなければいけないと思っています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。