石田地震科学研究所サロン

地震爆発説に関連する話題以外にも自由に語るサロンです

カントとスウェーデンボルグの関係

2003年10月25日 | Weblog
カントとスウェーデンボルグの関係 2003/10/25(Sat)
セミナー[647]に書いたカントとスェーデンボルグの話の続きです。
ギリシャでソクラテスやプラトンが活躍していた時代には、哲学者の扱う関心事の中で、霊的事象(ワイドショーで取り上げるようなものは対象外ですが・・)と地上的事象とは分離されていませんでした。
プラトンの本には、ソクラテスの口を借りていますが霊的世界の事柄がいっぱい出てきます。パイドンにある「真の地球は色とりどりの皮で作られた鞠のように見える」という記事(セミナー[608] に紹介)もそうですし、生まれ変わりの仕組みを見てきた話もそうです。また臨死体験したエルの物語もそうです。
ソクラテスもプラトンも霊的世界を探訪し検証する能力があったのです。勿論当時でもその能力を持たないで活躍した人もあったでしょう。
しかし、カントの時代まで下ると、霊的能力を持った哲学者はほとんど存在せず、一人スエーデンボルグがその能力を発揮するくらいでした。そこでカントはセミナー[647]に紹介したように、仏教・キリスト教というような狭い定義の宗教ではない広義のレリジョンとも呼ぶべき分野の事象をスウェーデンボルグに任せたのです。そして自分は地上の事象だけを扱うことにして、いわばソクラテス時代の仕事を分業体制にしたわけです。
ところが不幸なことに広義のレリジョンを扱える学者が圧倒的に少なくなり、事実上分業体制は終焉して地上的事象以外は存在しないという学者つまり唯物論者ばかりになってしまいました。そしてついには、ソクラテスやプラトンの仕事にも唯物論的解釈を下すようになったのです。
いまでは唯物論者花盛りで、レリジョンを扱える人が出てきているのに、そうした人を見下し、蔑視する風潮が生まれてしまっています。
これを見ても人類はけっしてギリシャ時代から進歩しているとは言えないのです。分業制をとった片方の分野つまり地上的事象を扱う科学はPCの誕生などなど素晴らしい発展をしてきていますが、レリジョンの分野は廃業に近い姿を示しているのです。その小さな規模のサンプルを地震論の世界でみせてくれているのが、各サイトに見られる「科学的でない!」という非難の声であるわけです。