京のにちじょうさはん ごこう

京都在住19年目の浜っ子の日記。其の弐。

石清水八幡宮へ

2007年05月03日 | 京のおさんぽ
石清水八幡宮とお茶。

実はある時まで、私の頭の中では両者が結びつくことはございませんでした。
いまのところ管見では、中世の石清水八幡宮領の膝下荘園に一箇所、茶園があったことが分かるぐらいで。

しかし去年、京都新聞で石清水八幡宮の境内茶園の記事を読みました。
石清水八幡宮にも茶園があるとは!!
ずっと気にかけたまま一年が過ぎ、
ようやくきょう、その茶園を探しに石清水八幡宮へ行ってまいりました。






本殿前では、明日の「石清水灯燎華」(いわしみずとうりょうか)を前に、灯篭に和紙を貼る若き神職さんたちの姿も。






結局、茶園の場所を神職の方に教えていただきました。
こちらが、三年前に新たに作られた「雄徳山茶園」です。
「八十八夜」にあたる昨日、茶園がつくられてから初めての茶摘が行われたそうです。
きのう摘まれた茶葉は、28日の献茶式で製茶されるそうです。

最近このように、境内茶園を作り、そこから生産されたお茶で献茶式を行う寺社が増えています。
何か「お茶づくりは寺社の境内茶園から始まる」というお茶本来のあり方に戻っているようでもあり、面白いですね。
但し、現在各地にある境内茶園や献茶式には、割合と新しい時期に開設された茶園や行事も多いので、歴史的な資料としての取り扱いには十分に気をつけたいと思います。






1983年に研修センターができるまでの30年間、ここには「鳩嶺(きゅうれい)茶園」があったそうです。
周囲の植え込みには茶の木もちらほらと。






かつて境内にはいくつかの茶屋があったそうですが、現在唯一残る「鳩茶屋」です。
残念ながら、閉まっておりました。






一の鳥居の前にある「走井餅老舗」さんの店構え。
大津の「走井餅」さんから明治43年に分家されてこの地に出店。
お土産に一箱購入させていただきました。

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6 コメント

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寺社茶園 (猫だまし)
2007-05-03 17:45:49
どういう意味で寺社茶園の復活が続いているんでしょうね。。。

石清水八幡宮は、京都橘大学の河原正彦先生をはじめ学識者が考証されて、3年前に、神仏習合スタイルの放生会を復活させました。平安の昔の華やかなりしころの文化を再現しようとしているのでしょうか。

私にとっては、御先祖さまが産土の地に勧請した神社なので、
一度はいかねばとおもいつつ、いまだならずです。
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Unknown (もちや)
2007-05-04 07:56:19
☆猫だまし様
復元茶園、あるいは新規茶園の場合もありますが、最近開設された寺社境内茶園がかなりあることが分かってまいりました。
やや、石清水の放生会は復活されたものでしたか。
先日、大原三千院の懺法会が、現代に復活されたものだと知り、現行の法会・神事についてもその歴史を確認しないといけないなあと肝に銘じたばかりでございます。
石清水八幡宮の場合には、中世については分かりませんが、近世にはどうやら境内茶園があったことが地誌に出ているようです(未確認)。そして、戦後の鳩嶺茶園と、なぜか断続的に茶園が存在していたようです。
境内茶園を開設させた寺社側のお考えはよくわかりませんが(笑)、その背景には、契機となるイベントのの存在や、中心となる茶業をなさってるかたがた・茶園を維持管理する「講」の存在があることがあげられましょうか。こちらも綴喜郡の茶業をなさっているかたがたを中心とする講がございます。
余り知られてないようですが、地元八幡市でも、木津川沿いを中心にてん茶等のお茶が生産されているのですよ。
あの栂尾高山寺の境内茶園も、明恵さんの時代=鎌倉時代からある茶園と思われてるかたもいらっしゃるようですが、あれも復元茶園ですし(場所も違います)、やはり「講」をつくって茶園の手入れ・管理をなさっています。
まださほどではございませんが、なんどか宇治茶の産地で講演をさせていただいておりますが、かならず茶業をなさっているかたがたがかなりお見えになります。拙い話でも、みなさまとてもご熱心に聴いてくださり、ご質問もいただきます。
宇治茶の産地で茶業をなさっていらっしゃるかたがたは、神仏への尊崇のお心も深く、また地域の歴史も大切にされているのだと実感いたしております。それが、境内茶園の開設とその維持管理の「講」という形に現れているのだと思います。
ところで、猫だましさんのご先祖さまって…(汗)。
ちなみに、祖母の家には、「清和天皇」から続く家系図があります(爆)。まあ、江戸時代からは合ってるけどね。(汗)
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放生会のこと (猫だまし)
2007-05-04 10:49:13

すみません、誤解を招く表現だったようで。2004年に137年ぶりに神仏習合様式で放生会をやってみました、ということで、春日・賀茂・石清水社の日本三大勅祭とうたわれる神事の一つにおいて、放生会は明治まで連綿と神仏習合で行なわれていたようです。
たまたま同社の年間行事表で「いつだったかな。。。」と探しておりまして気付いたのですが、お茶の各流派の献茶祭を年間通じてしているのですね。

http://www.iwashimizu.or.jp/7/s/n/index.html

私にとっては、西日本の主要な大社(神功・応神母子からみ)の祭事をここでしているのを発見し、非常に勉強になりました。
やっぱ本家本元は情報もってるというか。。。。周縁をチマチマ探してるだけでは、見落とすことがたくさんありますねえ。
自戒自戒。
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大丈夫です (もちや)
2007-05-04 13:14:38
☆猫だまし様
ちゃんと神仏習合の部分を読んで理解しておりましたので、ご懸念なく(笑)。
献茶祭は、どちらでもよく各流派が廻り持ちなどの形でお勤めされてますね。このかたちになったのは、明治以降でしょう。
それまではもしも行われていたとすれば、社僧によって執り行われていたはずです。
石清水では、今年はこれに製茶(手揉み)がプラスされるようですね。
献茶にいたるまでの手前や、製茶の工程など、およそ中世には表にでることのありえない部分が、現代では儀式のなかに組み込まれていたりします。
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さすが (猫だまし)
2007-05-04 18:25:21
なるほど。機械化などで工程が変わると、儀式の内容も変わる、ということなのでしょうか。

宇治茶といえば宇治の平等院。あのへんも献茶儀礼とかあるのでしょうね。

でもやはり石清水八幡宮は、あの河川合流点の要。あらためてその重要性を認識するよい契機となりました。謝謝。

御先祖さまは。。。。高知県の田舎の八幡宮の神主です。夜須荘でござりまする。私ンチは明治からの分家なので、神職ではありませぬ。
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儀式の変化 (もちや)
2007-05-04 18:55:43
☆猫だまし様

>なるほど。機械化などで工程が変わると、儀式の内容も変わる、ということなのでしょうか。

そうではございません。これ以上は、ちょっと企業秘密となりますので、いつか直接お話させていただきますね。


>でもやはり石清水八幡宮は、あの河川合流点の要。あらためてその重要性を認識するよい契機となりました。

これはぜひ晴れた日に男山におでかけになって、山城国を遠望なさってみてください。いろんなことがわかりますよ。
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