京のにちじょうさはん ごこう

京都在住19年目の浜っ子の日記。其の弐。

きょうの発見

2007年10月06日 | 京のつれづれ
きょう、御所を歩いていてみつけたもの。
白雲神社さんの絵馬所において、







昭和6年4月上旬に鴨畔の「蕪庵」で「闘茶七煎法」茶会を開いたことを記し奉納した扁額。
(蕪庵さんは、昭和5年ご創業)








もうひとつ、明治30年5月吉日付のものも。
手を思いっきりのばして撮ってみたのですが、不鮮明でごめんなさい。
いずれも、「茶歌舞伎(茶香服)」(ちゃかぶき)ではなく「闘茶」(とうちゃ)なんですね。
「茶歌舞伎」も「闘茶」もお茶のあてっこゲームです。
それにしばしば物を賭けてやってみたり。
いまはそんなことはいたしませんで、割合に優雅に?やってますけどね。

ちなみに『太平記』に派手な闘茶会をした人物と描かれているのが、
婆娑羅(ばさら)大名といわれた佐々木高氏(道誉)です。
一方、「歌舞伎」というのは「かぶく(傾く)」が語源で、かの信長も「かぶき者」であったといわれています。
秩序を壊すようなことをしたり、みなりを度派手にしてみたり。
「バサラ」も「かぶき者」も、いってしまえばパンクよね。
このお茶のあてっこゲームである「闘茶」は、ばさら大名が好んだり、のちに「茶歌舞伎」と名付けられたりと、世の中の秩序をぶっ壊すぐらいの勢いのある文化に位置づけられるものだったのかもねえ。

だから「茶歌舞伎」は、もっとパンクにロックにやってみるのもいいかも、って思うのはわたくしだけでしょうか。

この「闘茶」だけでなく、いままでの概念や秩序を常に覆し続けてきたのがお茶の文化のありかたでした。いつの時代にも、本筋のひとびとからみれば「ありえへん」ていうことをやってきたのです。
そうそう、某南山城のお茶の名産地では、秋になると「ゲゲゲの鬼太郎茶会」なるものが開かれているらしいのですけど。これはある意味お茶の正しい方向性かもしれません(爆)。








さてよこにそれましたが、
あとひと月もすれば、紅葉シーズンに。
青空のもとの、京都御苑でした。

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2 コメント

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賛成! (ゆう)
2007-10-07 22:03:32
このご意見、賛成です!
昔のスタイル(行動)をそのまま伝えようとするのか、
昔の精神(行動の意味)を今の時代に合わせて表現しようとするのかによって、動きが変わるでしょうね~。(あれ、意味不明ですか?うまく言えず、すみません。f^。^;)
キタロウにも会いたいな~。
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文化って (もちや)
2007-10-08 07:31:58
☆ゆうさま
そうそう、文化って、守るものではなく作り続けるものですよね。
それに、いままでの文化をベースにして、新しいものをとりれつつ、次のステージへと向かうものでして。
作り手側は、分野を超えてさまざまなことに対して興味を持ち、自身をいかに「豊か」にするべきかということが大切なんですねえ。
鬼太郎、会いたいですね。
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